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蒼の指揮は、おぼつかないながらも、なんとかさまになってきた。聞けば、茅野からスパルタ特訓を受けているらしい。今日の放課後も、クラスのみんなが解散したあとも教室に残って、委員長の榎木、茅野、茅野のつきそいのほのかと四人集まって練習している。
「ぼく、終わるまで本読んで待ってるから」
哲也はかれらの輪の中には入らず、教室後方の、自分の席に座った。
根がまじめなのか負けず嫌いなだけなのか、さいしょはいやいや引き受けた指揮にも熱心に取り組むようになった蒼のすがたを、文庫本を読むふりをしながら見つめていた。
ほのかちゃんも最近たくさん笑うようになったな、ふとそう思う。
茅野とだけではなく、蒼や榎木とも会話できているようだ。蒼とはもともと仲がよかったし、榎木は優しく神経が細やかで、人に気を使うタイプだから、溶け込みやすかったのかもしれない。
思い返せば、ほのかにもずいぶん意地悪なことを言った。唯から離れろとか、ほかにも友達をつくれだとか。まるで自分を見ているみたいでほうっておけなかった。
蒼たちの輪の中から笑い声が沸き起こる。ほのかも笑っている。
よかったじゃん、自立できそうじゃん。
開いている本のページに目を落とす。ほのかちゃん、ほんとに唯ちゃんから離れてっちゃうかもな。なんとなく、そう思った。
それにくらべて唯ちゃんは。いらいらとページを繰る。今日も部活とか言って逃げやがって。居づらい原因の半分はぼくだろうけど、もう半分は蒼だろ。わかるんだ。指揮者から目をそらして歌うわけにはいかないからな。
蒼の居残り練習が終わり、五人でわいわい言いながら、日の暮れたあとの校舎を出る。
徒歩通学の榎木と茅野とわかれて、三人で駐輪場へ向かう。
ふいに、
「さぼり魔発見」
と蒼が言った。見ると、唯が自分の自転車のかごに荷物を載せようとしているところだった。
非常にまずい。自分と唯は絶交しているのだ。無言で自分の自転車のスタンドを跳ね上げる。
「悪い。ぼく、ひとりで先に帰る」
「哲也」
「哲也くんっ」
蒼の声にかぶさるように、声をはりあげたのはほのかだった。
「仲直り、してほしいの」
ごめん、ほのかちゃん。ぼくはまだ怒っているんだ。
ほのかを無視して進む。道路に出る。自転車で坂道を下る。
国道に出て信号待ちをしていると、「てつやくーん」と、声が聞こえた。ほのかが追いかけてきていたのだ。髪を乱して、息をきらして、一生懸命にペダルをこいでついてくる。
信号は青に変わったけど、わたらずに哲也は彼女を待った。
「はやいよ、哲也くん」
「ほのかちゃん」
「哲也くん……」
自転車をとめて、ぜいぜいと肩で息をしているほのか。だいじょうぶ、と声をかけると、うん、とうなずいた。
「蒼と唯ちゃんは?」
「置いてきちゃった」
そうか。あのふたり、戸惑ってるだろうな。
「哲也くんがなんで怒ったのか、あたしは、なんとなくわかる」
歩行者信号が点滅している。
「あたしにも、唯ちゃんの気持ちなんてわかんなくて。なんにも言ってくれなくて、さびしくて」
ふたたび信号が赤に変わる。夜のはじまりのうす青い闇のなか、走り去る自動車のライトのひかりがにじんでいる。
「でも。見守るって決めたの。いつか、素直になって笑ってる唯ちゃんが、見たいから」
ほのかは泣きそうな顔をして笑った。
「いいの? 蒼にとられちゃっても」
「いいよ。しょうがないもん。蒼くんになら、しょうがない」
「……強くなったね」
ぼくよりも。
「そのかわり」
ほのかは自分のハンドルを、ぎゅっと強く握った。
「また昔みたいに、みんなで仲良くしたい。あたしのせいで壊れちゃったから。あたしが勝手に、みんなのこと怖がって、壁をつくってたから」
信号が青に変わった。
「……行こう」
ふたりは並んで走り出した。
その晩、哲也は唯に電話をかけた。ほのかちゃんのためだほのかちゃんのためだ、と自分に言い聞かせながら携帯のアドレス帳をひらく。五コール待ったところで唯は出た。
「あんたとは絶交するって言わなかったっけ」
開口一番、それかよ。哲也は苦笑する。
「ほのかちゃんに、どうしても仲直りしてほしいって頼まれたから、ひとまず心にもない謝罪を述べることにしたんだ。ごめん」
「はあ?」
「また昔みたいに四人で仲良くしたいんだって。だから、まだ唯ちゃんのことはむかつくけど、折れてやることにする」
「それって人に謝る態度?」
あきれながらも、唯の声に昨日のようなあらあらしい怒りは含まれていなかった。
「ま、べつに謝ってもらわなくてもいいけど。なんであんなに切れたのか教えてくれない? すっきりしなくて気持ち悪いよ」
「そしたら絶交撤回?」
「撤回する」
「うーん。じゃあ交換条件。明日から、合唱の練習さぼらずにちゃんと出ること」
沈黙。
「蒼がんばってるから。ちゃんと見てやってよ」
ああ。結局自分は、こんな風に親友の恋のおぜん立てをしてしまう。
笑っている蒼が、見たいから。
「……わかった」
唯はこたえた。
「ぼくが切れたのはね」
ちゃんと見てやって。こたえてあげて。唯ちゃんには、超えるべきハードルなんてないだろ? 伝えたらおしまいになる恋なんかじゃないだろ?
できることなら、ぼくが唯ちゃんになりたい。
「たんに、部活で嫌なことがあってむしゃくしゃしてたから。やつあたりってやつ。ごめんね!」
「はあああー?」
本当のことなんて教えてやるもんか。哲也は笑った。




