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思春期スイッチ  作者: せせり
ハードル
11/26

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 衣替え期間もすぎ、修学旅行という大きなイベントも終わった。忙しかった十月ももう下旬、日が傾き始める午後は少し肌寒いくらいだけど、走っているとすぐに暑くなる。

 哲也の所属する陸上部は秋の記録会を終えたばかりで、ぴりぴりした緊張感から解放された部員たちは一様にリラックスモードだ。哲也もしかり。

 タオルで汗をぬぐいながら、一一〇メートルハードルのレーンを見やる。流しているメンバーの中に蒼のすがたはない。また膝の痛みが出たらしいのだ。

 短距離専門の哲也とちがい、蒼は二年にあがってからハードルもはじめた。膝に痛みが出始めたのは、タイムがぐんぐん伸び出して、本人もおもしろくなってきたと言っていたころだった。

 ほんとはもっと前から痛んでたんじゃないのかな、哲也はそう思っている。きっとごまかしながら走ってたんだ、あいつ。

 九十一センチの、ミドルサイズのハードルは哲也には高い。一度ためしにやってみたことがあるけど、ひるんでしまった。練習すればなんとか跳べなくもないかなとは思ったけど、蒼みたいに、初速を落とさず迷いなく踏み切り、すれすれを跳ぶなんて芸当は自分にはむりだ。しかも、高校に進めばまたハードルの高さは上がる。蒼がこの先も陸上をつづけるかは本人に聞いていないのでわからないけど、きっと身長ももっと伸びるだろうし、かなりいい線いけるんじゃないかと思っている。ハードル走はやはり身長が高い方が有利だ。もっとも、身長が急激に伸びているせいで、蒼は今、なかなか走れないでいるのだが。

 

 練習が終わり、着替えてクラブハウスから出ると、同じクラスの森川理穂に声をかけられた。一緒にいた二年生たちが、にやにやと意味ありげに笑いながら、「んじゃお先―」と哲也の肩をこづいて帰っていく。

 森川はテニス部だ。わざわざ待っていたんだろうか。ほおを赤らめてもじもじするその様子に、哲也はピンときて、そして、少しだけうんざりした気持ちになった。

「ちょっとだけ。ちょっとだけ、いい?」

 そう言って、上目使いにこちらを見る森川は、かなりかわいい。修学旅行の夜、男子の大部屋でひそやかに行われた二組女子人気投票では、森川がダントツのトップだった。哲也も彼女に票を入れた。無難なところだと思ったからだ。ちなみに石田唯に票を入れたものはおらず、さすがの蒼もこういう場でうっかり本命に票を投じるほどのバカじゃないんだな、と哲也は思ったのだった。

「あの、三崎くん」

「え。あ、なに?」

 いけない。ぼうっとしていた。

「三崎くんって、彼女いないんだよね?」

「うん」

「好きな女の子も、いないんだよね?」

「いないよ」

 なぜそれを知っているのか。女子の情報網が少し恐ろしくなる。

「じゃあ、あたしとか。どうかな」

「……えーと。悪いけど」

 哲也は森川理穂のくりくりと大きな目から逃れるように視線を落とした。

「だって、好きな女の子、いないんでしょ? だったらあたしとつき合っても問題ないでしょ?」

「ぼく、今のとこ、女の子とつき合うつもりはないんだ。えっと、彼女とかより部活のほうがだいじだし、男友達とつるんでるほうが楽しいから」

 言い訳ではない。すべて事実だ。

「……そう」

 と、いったんはうなずきつつも森川はくっと顔をあげ、食い下がった。

「今のとこ、だよね? じゃああたし頑張る。頑張って自分みがいて、春になったらもう一回告るから。そしたらまた考えて」

 涙をこらえて強がる姿にみょうな迫力があって、思わずうなずいた。

 女子って、どうしてこういうことに一生懸命なんだろう。

 春になって告られても、どうせまた同じ返事しかできないのに。

 女の子とつき合うつもりはない。男友達とつるんでいるほうが楽しい。

 自分はこの先もきっと、ずっとそうだ。

 

 しばらく走ることを禁じられた蒼は、腐るでもなく、最近はまってんだよねー、と携帯にイヤホンをつないで音楽を聴いている。蒼が好きなのはバンド系。しかも骨太なかんじの。哲也はボカロしか聴かない。なので、音楽のしゅみはあまりかぶらない。

 昼休みの教室、やわらかい日が射してきらきらとほこりが舞っている。

 蒼は哲也の前の席にすわっていて、リズムにあわせてひざをゆすっている。哲也は好きな作家の本を読んでいる。読書は好きで、いったんはまると著作をぜんぶ追いかけたくなるほうだ。すくない小遣いのなかから文庫本や漫画を買い集め、自分の棚に、発行年順にぴしっとならべている。

 オタク気質でケッペキ症、と蒼にはよくからかわれる。ほっとけ。

 哲也は本を閉じて顔をあげた。

「見つかったら没収されるよ」

 いちおう、注意してみる。緊急時以外の、校内での携帯の使用は禁止されているのだ。

「だってさ、足のせいで外でサッカーもできないし、音楽くらい、いいじゃんか。あー、おれバンドやろっかなあ。超気分いいだろうなあ。ギターじゃんじゃんかき鳴らして、ドラムばんばん叩いて」

「聴かされるほうはたまんないだろうね」

「すげー冷たい言い方ー」

 蒼はぶうたれる。哲也は笑った。

「んじゃ、歌えばいいじゃん。もうすぐ合唱コンだし、ちょうどいいよ」

 文化祭に合わせて各クラス対抗の合唱コンクールが開催される。

 ちょうど、今日の五時間目のホームルームで、曲および指揮者、ピアノ伴奏者を決めることになっていた。

 蒼は不服そうに眉をよせた。

「合唱とか、そんなお行儀のいい歌でおれのこのウックツが晴れると思ってんのか」

「蒼も鬱屈かかえてんだ、人並みに」

「む。ウックツというより、ま、ようするにヒマなんだよ」

 ふー、と息を吐いて、ほおづえをついたまま、どこか遠くに視線を飛ばす蒼。

「よく考えたらさ、この状況って、ふつうもっと腐るよね。腐ってもいいんじゃない?」

 哲也は文庫本の角っこで蒼のあたまをこづいた。骨がぐんぐん成長してるせいで痛みが出て練習できないとか、伸びざかりなのに、自分のからだをうらまないのか。

「しょうがないじゃん。ていうか、しょうがないって思うしかないじゃん?」

「どういうこと?」

「だってさあ、どれくらい骨が伸びるとか、いつまで続くのとかさあ、自分で決められないもん。自分でコントロールできないことは、しょうがないって思うしかないっつーか。あきらめるともちがうし、受け入れるとかでもないけど。ひとまず、『しょうがない』とでも思っとくことにする、っつーか」

「よくわかんない」

「ずーっと同じとこで悩んでんのもそれなりに疲れるし。そういうときに、しょうがない、って思っとくの。とりあえず、として」

 ふーん、と興味なさげにつぶやきつつも、内心、こいつすげーんじゃないか、と思っていた。ふたりのつきあいは長くて、哲也は一応親友ポジションでずっと近くにいたけど、いつのまにか、蒼が自分より少し大人になってしまったような気がしたのだ。

「ふーん。やっぱバカ最強だわ」

 くやしくて、思わずそんな憎まれ口をたたいてしまう。

 バカ最強。これは、ずいぶん前から蒼にたいして思っていたことだった。

 一度、「ハードル怖くねえの?」と聞いたとき、蒼は「だって目の前にあったら跳ぶしかないだろ」と答えたのだ。バカ最強。

 唯にふられたと言って落ち込んでいたのに、少し哲也がはっぱをかけてやったらすぐに起きあがった。バカ最強。

 ウックツ抱えてんのも疲れるから「しょうがない」と思うことにする。これは……。バカというより、むしろ悟りの境地のような気もする。

「なんとでも言え」

 蒼は大きなあくびをして、それからすぐ、しゃきっと目を見開いた。

「あー唯ちゃんだー。どこ行ってたのかなー図書室かなー」

 哲也は意地悪く笑う。唯が、ほのかと茅野千歳と三人で連れだって教室に入ってきたところだった。

「タカシマくん結局二度目の告白はできてないんですよねー?」

 にやにや笑みをうかべて蒼をこづいた。

「言うな哲也。あいつすぐおれをまいて逃げるんだ。家に行っても居留守だし」

「ストーカーだと思われてんじゃない?」

「言うな哲也あ……」

 蒼は乙女のように両手で顔をおおった。こっちはからかっているつもりなのに、蒼は逃げるでもなく反撃するでもなく、まともに返してくる。これじゃあぼくのほうがバカみたいじゃん、と思う。

「あのさあ。唯ちゃんのことも、しょうがない、って思える?」

 哲也はすこし声をひそめた。

「ん。そりゃそうだ。だってさ、他人の気持ちなんてどうにもできないよ」

「じゃあ、自分自身のことは? 自分の気持ちのことは、しょうがないって思える?」

「しょうがない。がんばってもリセットできない」

「コントロール不能?」

「うん。ていうかさあ、そもそも相手が唯だっていうのも、自分で決めたことじゃないっつーか。自分の意志関係ない気がする。奴らの差し金だ」

「奴ら?」

「おれの中にいる、勝手にスイッチ押してく奴ら」

「蒼、一体なんの電波受信してんのさ」

 ちいさなちいさな人間たちが血流にのって蒼のからだの中を駆けめぐっているのを連想してしまう。

「電波か……」

 とつぶやいたきり、蒼はみずからの思考の迷宮にはまりこんでしまった。

 恋はコントロール不能。誰を好きになるかは自分で決められない。

 それは、うん、その通り。全面同意。

 ただ、蒼のように「しょうがない」とは思えないのだ。結局、蒼が好きなのは唯だ。性格もルックスもあんまり女子っぽくないとはいえ一応は女子だ。「めっちゃかわいい」とは思わないけど、みがけば光る気もするし。

 だけど哲也の相手はちがう。「しょうがない」では済まされない。

 まだ悟れないよ、ぼくは。

 哲也は至近距離にいる親友に気づかれないように、ひそやかなため息をついた。


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