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翌朝。風邪から回復した唯は、マスク姿で待ち合わせ場所にあらわれた。熱は下がったらしいものの、まだ鼻声がきつく、少しつらそうだ。
蒼のことを聞こうと思ったけど、どうしても聞けない。きのう蒼と唯がどんなやりとりをしたのか、想像するだけで胸が痛む。
蒼くんまた告白したのかな。唯ちゃんは、今度はどんな返事をしたのかな。
そこにいるのはほのかの知らないふたり。あたしにはぜったい見せない顔を、蒼くんには見せるの? そう思うと涙がこぼれそうになる。
教室でも、少し唯はしんどそうで、休み時間も伏せってぼうっとしていた。
「保健室行けばあ」
と茅野が唯の髪をくしゃっと撫でて、
「うるせー」
と唯は憎まれ口をたたく。茅野と親しくなったいま、もう、そんな光景がほのかを寂しくさせることはない。
茅野さんはいいんだ、茅野さんは。唯ちゃんのこと、とらない。唯ちゃんのこころを、持っていったりしない。だけど蒼くんはちがう。つき合わないで。仲良くしないで。
そんな風に考えてしまう自分がきらい。どうしてあたしは親友のしあわせを願えないんだろう。どうしてこんなにあたしは心がせまいんだろう。
放課後。
唯はほのかと茅野に手を合わせた。
「ごめん。きついから今日は部活行かずに帰る。茅野、頼まれてた背景、来週でいい?」
「それならぜんぜん構わない。ていうかひとりで帰れる? 親呼んでむかえに来てもらったら?」
「だいじょうぶ。ぱーっと飛ばして帰るから」
でも、とほのかが言いかけたとき、「だめだろ」と割って入る声がした。
絶望的な気持ちになった。蒼くんってば、なんでこんなタイミングで、まるでヒーローみたいなタイミングで、唯ちゃんのことさらっていこうとするの?
「おれがおまえんちのおばさん呼ぶ。おばさん来るまで一緒に待つ」
「いいよそんなガキじゃあるまいし。どうせ、おかーさんパート行ってるからすぐ来れないし」
「じゃあおれが送る」
「自分、部活あんじゃん」
「休む」
ひゅうっと、茅野が口笛を吹いた。とたんに唯は真っ赤にほおを染め、蒼を振り切り、ものすごいスピードで教室を飛び出していった。
一瞬惚けて、すぐに我に返った蒼が、「あんのバカ」と捨て台詞を吐く。
「陸上部のおれから逃げられるとでも思ってるのかっ!」
と、弾丸みたいに追いかけて行く。
胸が、痛い。張り裂けてしまいそう。
「相沢? おーい、相沢?」
茅野がほのかの肩をゆする。ほのかの視界はみにくくゆがんでいく。
「え? 泣いてる? え? なんで?」
やっとわかった。これは、嫉妬だ。
「かやのさん」
とまどう茅野に抱き着いて、泣いた。
「えーっと。ここじゃあ何だから」
茅野はほのかの頭をぽんぽんと撫でる。
「今日はわたしらもサボり。うん。で、なんかおいしいもの食おう。そうしよう」
茅野の言う「おいしいもの」はたこ焼きだった。国道沿いのちいさなお店で、よく地元の中高生が買い食いに立ち寄る。
ちいさなテーブル席に向かい合わせにすわって、茅野ははふはふとたこ焼きをほおばる。「ほれ」
とほのかにも皿を差し出すけど、ほのかはだまって首を横にふるばかり。
「聞いてもいいのかなあ」
ひとりごちるように茅野が言う。
「相沢が好きなのってどっちかなあ。高島かなあ。それとも」
「蒼くんじゃ、ない」
「あ、そう。やっぱりね」
茅野は、ぽりぽりと自分の後頭部を掻き、もともと下がっている困り眉を、さらに下げた。
「気分転換に、わたしの漫画、見る?」
「……ホラー?」
「ギャグのほう」
茅野ががさごそとかばんから取り出したノートには、コミカルでちょっとゆるいキャラクターたちが躍っていた。少しひっかかる。どこかで見たことのある絵柄のような気がするのだ。いったい、どこで?
「わたしさ、似顔絵も得意なんすよ。二組の生徒、全員描ける」
茅野はなんとかほのかの気を紛らせようと必死だ。それがすこし嬉しくて、ほのかは「見たい」とせがんだ。よしきた、と茅野はペンポーチから鉛筆を取り出す。ほのかがあげた、めがねの刺繍入りのペンポーチ。たくさんストックがあるのに、結局、彼女のためにあたらしく刺繍して仕立てたのだった。
「だれにする?」
「んーと、じゃあ、多田くん」
「多田ね。あいつは描きやすい。シンプルな顔してるからな」
失礼なことを言いながら、すいすい鉛筆を走らせる。
「すごーい。そっくり。本物よりかわいい」
ほのかは思わず身を乗り出した。
「へへ。そう?」
「茅野さんに図案描いてもらって、あたしが刺繍するの、楽しいかも」
「いいね。二組全員分の顔が刺せるよ」
――全員ってことは、蒼くんの絵も描けるんだよね。
やっと思い出した。茅野の絵は、いつか見た唯のスケッチブックにあったイラストと同じタッチだということを。
「ねえ、茅野さん」
ぐっと身をよせる。
「唯ちゃんにも、描いてみせたこと、ある?」
「あるよ」
「誰を描いた?」
「言っていいのかなあ」
「教えて。あたし、なんとなく想像ついてるから」
「ん」
茅野は声をひそめた。
「ぜったい石田にはナイショな。あいつ多分めっちゃ恥ずかしがって怒るから」
こくりとうなずく。恥ずかしがるということは、やはり、蒼――。
「小学校時代の、仲良し四人組」
「え」
「石田と、高島と、三崎と、それから相沢な。そっくりだっつって、すげー嬉しそうだった。石田ってあれだな。普段つっぱってるくせに、なんていうか、こう」
なぜか茅野のほうが照れくさそうに身をよじっている。
あたしたち、四人?
ほのかが見たスケッチブックには、蒼のほかに、哲也とほのかも描かれていたのだ。それを唯はあんなに愛おしそうな目で見つめていた。
ひょっとして。ほのかはそのとき思ったのだった。ひょっとして唯もまた、ほのかと同じものを、たいせつに抱きしめ続けていたんじゃないかと。




