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いつまでも君と見続ける夢  作者: オクノ フミ
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4.ソウル・10日後の夜

 こうやって、この景色を見るのも本当に久しぶりだな…。オレは、母の命日以来約8か月ぶりで、母と住んでいたこの街にやって来た。ここにいられたのは、小学校に上がる直前までのほんの2年ほどで、あまり記憶は多くない。ただ、こうやって自分の家のある暗い通りから、わずか通り2本先のチョンノの宝石街のまばゆいばかりの明るさを、実際の距離以上に遠いものだと感じていたのは記憶にある。


 父が働いている、いや、父が経営している店のある街…。


 自分の家には父がいなくて、その理由は、母が不倫をしてオレが生まれたからだ、というのは、いつの間にか周りの人間から聞かされて知っていた。不倫が悪いことで、母は罪を犯した罪人だ、と口さがないうるさ型の親戚が、母の顔を見る度そうやって責めていたのも覚えている。そんな親戚の態度に耐えかねて、母はオレが4歳くらいの時に、生まれた街からここに引っ越してきたのだ。


 「あの宝石街にはね、テオクのお父さんが経営している店があるの。」


 引っ越してきたその日、ぽつんと母がそうつぶやいた。オレと2人、この暗い通りから、あの明るい街を見ながら。その時の母の今まで見たこともない程の寂しそうな顔も、オレの記憶に強く残っている。ああ、母は父に会いたいんだな。けど、会っちゃいけないんだ。不倫の仲だから…。幼い身ながらも、会っちゃいけない人を好きになって、こんなに寂しい思いをしている母がかわいそうだった。人を好きになるって、ちっともいいことじゃない。父を好きにならなければ、母はこんなに悲しむこともないのに。オレは、母のように人を好きになって苦しみたくない。誰かに本気で好きになられて、母のように悲しませるのもイヤだ。この景色を見ながら、そう思ったことが、今のオレのお寒い恋愛事情の理由なんだろう。


 この街は、決してオレにとって懐かしさを覚える街じゃない。母が死ぬ時、ここから動きたくない、と言ったからか、祖父が住んでいた部屋を買い上げて残してくれた。だから、そんな母の命日にだけはここに来て、1人で母を悼むけれど。


 なのに、なんで命日でもない今日、ここに来たんだろう…。




 今日は、先日の横浜に続いて、ソウルでの映画の完成披露上映会とアフターパーティーがあった。ただでさえ苦手なパーティーなのに、今回YURIは、急遽日程が再調整されたため仕事の都合が付かず来られなくなった。そうすると、どうしてもオレは心を許して話せる人が1人もいない時間ができる。さすがに地元のことだから、スポンサーなんかもそれなりに付いてくれたし、後半は先輩や優治さんが居てくれたからまだマシだったけど。


 パーティーが始まってすぐ、オレがたまたま短い間ではあったけど、完全に1人になった時、すぐ近くの人の輪の中に某有名映画評論家がいたんだ。大家ではあるけれど、もう感覚が錆びていて、特に若い監督の作品には辛口だ、ってことは聞いていた。だから、今回の作品に対しても、評価がキツイんだろうなと思いながら、聞くでもなく聞いていたのだけれど。


 「そういえば、あの韓国側の主役の男の子、もっと何とかならなかったのか?見た目は今時でかっこいいのかもしれんが、他に目立ったことが何もない。当たり前で平凡すぎて、印象に何も残ってないよ。あの程度のヤツならもっとマシな役者がゴマンといるだろうに。」


 正直凹んだ。思った以上にダメージを受けた。その評価は、実は一部の日本での評価にもあったからだ。この大家が錆びていたとしても、案外多くの人がそう感じているんだとしたら…と、急に不安になった。毎日の撮影で築かれたキャストやスタッフの一体感も、撮影が終わった後感じたやりきった充足感も、みんなオレの独りよがりだったんじゃないのか?観る側の人には、何も残らないんじゃないか?


 パーティーが跳ねて、また1人になった時、オレの足は自然にこっちに向いていた。気がつけばここに立っていたんだ。あの頃の小さかったオレに、あの宝石街がはるか遠くに見えていたように、この映画の成功もはるか遠い彼方にあるかのように思えた。



 そんなことを思いながら、しばしぼうっとしていたオレの視界に、暗がりで動く白い物が目に入った。ちょうど華やかな街の灯りの途切れる父の経営する店のある辺りだ。


 けど、父の店はこんな遅くには開いていない。対象であるセレブは、こんな時間に買い物に出たりはしないから。よーく目をこらしてみると、白い服を見た若そうな女の人が父の店の裏口の辺りをウロウロして、途方に暮れている風だ。昼間来た観光客が、改めて見にでも来たのか?でも、何かおかしいな、と気になって、その女の人の動きを知らず追っていた。





 ちょっと早く来過ぎちゃったのかな?約束の9時半には、確かに10分くらい早いけれど、それにしたって、たかが10分くらいなら早めに来て準備していそうなものなのに…。


 裏口はセンサーライトはあるものの、動きが止まるとすぐに消えてしまうからあっという間に真っ暗になる。すぐそこのお店まではまだ開いていて、煌々と灯りが点いているけれど、この大きなお店が閉店していると、辺りはほとんど暗がりだ。さすがに黙ってここに立っているのは気持ちが悪い。明るい方へ少し戻って、時間まで待っていよう。そう思って戻り始めたら、向かい側から2人の黒ずくめの男がやってきた。


「まったく、お前のせいで時間ギリギリじゃないか。間に合わなかったらどうする。」

「大丈夫だって、あと5分あるだろう?時間どおりに来るヤツなんかいないって。」

「みんながみんなお前みたいにルーズじゃないんだぞ。しかも、人気のない内に宝石をいただかなくちゃなんない。あと30分したら他の店も閉店して、人の流れが変わる。それまでに済ませなきゃならねぇからな。いいか、紺のシャツにベージュのパンツ、黒い髪の多分日本人だ。店で英語だったらしいから。抜かるなよ。」

「わかってるって。任せとけって。」


そう言いながら、さっきのお店の方に向かって行く。


どういうこと?さっきの服装って、昼間私が着ていたのと同じだ。じゃ、私を呼び出したのは、宝石を奪うためなの?あんな高級そうな宝石店なのに、もしかしたらマフィアとか犯罪絡み?ここにいちゃダメだ!おばあちゃんの大事なヒスイが盗られちゃう!


慌てて駅の方に戻ろうと思ったら、また、向こうから別の黒ずくめの2人組が…。こっちはダメだ。暗くてイヤだけど、向こう側から駅の方へ回ろう。私は、焦る気持ちと怖さを必死に抑えこんで、小走りに逆方向へ向かった。





 あれ?駅に向かうのかと思ったら、こっちに向かってきた。ったく、こんな時間にこっちに来ちゃヤバイって。この少し先は行き止まり。しかもそこらは怪しい店が固まってるんだから。おや?しかもヘンな2人組が後を尾けてきてるじゃないか。ますますヤバイな。どこの誰かは知らないけれど、こういう時に見て見ぬふりができない性格が、我ながら恨めしいぜ。


 オレは、その女の人を救うべく、タイミングを見て通り側へ出て、声を掛けた。


 「リリイ!」


 遠目に見た時に、あの横浜のホテルで会ったYURIの友達のリリイによく似てると思ったからそう呼びかけたのだけれど、オレの声に、驚いたように顔を上げたその女の人は、まさしくそのリリイ本人だったんだ。





 突然脇から出て来た人に、名前を呼ばれてビックリして顔を上げたら、その人は、YURIと一緒に映画に出ていた人、演技ドルのT-OKさんだったから、さらに驚いた。向こうも同じようにビックリしたみたいだったけど、ハッとした顔をしたかと思ったら、いきなりグイっと私の腕を引いて、自分の腕の中に私を抱えこんだ。


 また突然のことに驚いて固まった私の耳元で、T-OKさんが小声で話す。


 「少しの間じっとして。ヘンな2人組の男が尾けてきてるから。いなくなるまでこうしてて。」


 近付いてきた2人組の話し声が聞こえる。


 「ほら、兄貴。やっぱり違うじゃないか。捜してる娘とは服装も違うし、いかにも観光客だったっていうのに、恋人に会いに来ただけみたいだぜ。」

 「そうかなぁ~、オレの目に狂いは無いと思ったんだが。今じゃ日本人の若い女の子でもあんなに黒い髪の子はそうはいないんだよ。それに着てたのはカジュアルだけどブランド品だったって話だったからさ。金持ちはみんないいクツ履いてるんだ。ほら、あの娘もそうだろ?だから、間違いないと思ったんだけどな。」

 「とにかくアイツらが見つけるより早く見つけてダンナに恩を売らないと。このままじゃ、クビになっちまう。」

 「わかったよ。もう1度駅の方へ戻ろう。」

 「そうしようぜ。」


 そう言いながら、男達が駅の方へ戻って行く気配がして、思わずホッとした。


 「ね、リリイって韓国語わかるの?」


 T-OKさんが私を抱え込んだまま、韓国語で話しかけてきた。


 「ホテルで役に立てようと思って、少し勉強したんです。だから、難しい話はわからないけれど多少なら。」

 「そっか。じゃ、今の2人の話はわかったんだね。」

 「はい。」

 「それなら、話は早い。他にも追ってるヤツらがいるらしいから、ここにいちゃダメだ。夜のこの辺りは特に危ないから。とりあえずすぐそこにあるオレの実家に行こう。朝になったら、駅まで送るから。」

 「でも、ご迷惑なんじゃ…。」

 「こんな状況でYURIの友達を見捨てて、何かあったらそれこそオレ、YURIに殺されるって。だから、オレのためにも、今夜は面倒見させて。いいだろ?」


 まったく知らない人っていう訳でもないし、あのYURIが「信頼できる最高の男友達だよ。」って言ってた人だから、きっと大丈夫。


 「じゃあ、申し訳ないですけど、お言葉に甘えます。」

 「OK!さあ、行こう。」


 抱え込んでいた腕が解かれて、T-OKさんの顔が間近に見えた。何だかんだ演技ドルだけあって、ホントにキレイな顔立ちだなぁと、つい横顔をまじまじと見てしまった。するとT-OKさんがうれしそうに笑った。


 「そんなにオレの顔気に入った?ふふっ、リリイに気に入られてうれしいな。」


 ホントにうれしそうにそんなことを言うから、また、私はすごく恥ずかしくなって下を向いてしまう。


 「そっか、リリイは恥ずかしがり屋なんだ。だから、オレの顔をまっすぐ見られないんだね。あの横浜のホテルの廊下で会った時もそうだったんだ。なんだ、そうか。」


 一人で納得したT-OKさんが、自然に私と手を繋いで歩き出した。さっきまで暗くて怖くて気持ち悪かったのに、こうしていると不思議なほど安心できている。人の手の温もりって力になるんだな、と改めて思い、すると大好きだったおばあちゃんのあの温かい手を思い出して、何だか胸が熱くなるのだった。


 次話は、行きがかり上テオクが実家へ百合を連れていってからのお話です。話している内に、実は似通った境遇で育ったことを知る二人。それが共感を呼び、そして…。

 よろしかったら、またお付き合いください。

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