16.横浜・ジヨンにさよなら、そして…
やっと心を決めて、オレは日本に降り立った。ソウルに引き続いての映画DVD発売イベントが、前回と同じ横浜のホテルで行われる。お昼過ぎに羽田空港に到着し、まっすぐ横浜のホテルへ。そう、百合が勤めていたあのホテルだ。悪戯心で、百合にしたキス。真っ赤になったかわいらしい百合のことをオレは今でもはっきり覚えている。神様がオレに今動かないと後悔する、と言っているのだと思う。そして、その動いた結果がきっとオレ達を幸せに導いてくれる、と信じて、オレは日本にやって来たんだ。
イベント開始は18時から。開場がその1時間前の17時からなので、そこから逆算して、リハーサルの開始は15時半からだ。今回は日韓のメインキャスト5人全員と監督が登壇する。映画上映前にマスコミ向けの取材会があり、その後来場者に対する一言コメント。上映後に改めての挨拶となる。優治さん、YURI、オレ、ヤン・ミヒ、リ・セユン先輩の順で、最初のコメントは内容がダブらないように予め打ち合わせた。終わりの挨拶の方は、自由発言でいいとのこと。製作作発表から今日まで約1年10か月。その間、オレとYURIはジヨンとカスミとして一緒に生きてきた。それも今日で終わりかと思うと、ちょっと寂しい気もする。
ところが、ウチのお嬢様は久々会った時から、オレに対してだけすこぶるご機嫌ななめだ。あんまり怒っている風なので、合間にどうしてなのか聞いてみた。
「だって、テオクのせいで、アタシ、ソウルに行けなくなっちゃったじゃない!それに合わせて休みも取って、向こうで楽しんでくる予定が全部パーになっちゃったんだから。責任取りなさいよ!」
なるほど、そういう事情だったのか。確かにいったん決まりかけたスケジュールを、オレのCMスポンサーの発表イベントのせいでずらしてもらったんだ。そのせいでYURIの休みが飛んじゃったのか。
「そうだったのか。申し訳ない!オレにできることがあればさせてもらうけど。何か買い物でもあった?」
「もう、してもらうことは決まってるの。アタシの友達が向こうで子供を産んだの。だから、彼女にプレゼントを届けるつもりだったのよ。壊れ物だから、普通に送って壊れちゃったらイヤだから。そのプレゼントの配達をしてちょうだいね。そのくらいいいでしょ?」
「それでいいなら、承るよ。ソウル市内なんだろ?」
「もちろん。じゃ、リハが終わったら、そのプレゼントと配達先持っていくからね。」
「承知いたしました。」
うやうやしく頭を下げると、やっとお嬢様は機嫌を直してくれた。
「まったく、テオクは実生活でもYURIに振り回されてるのな。」
「先輩、仕方ないですよ。…だって、1年半以上もジヨンとカスミだったんですから。」
「まあ、そうだな。二人とも本当によくがんばったよ。」
「ありがとうございます。」
先輩にそう言われて、心からうれしかった。演技ドルでなく、ちゃんと一人の俳優としてオレを扱ってくれる先輩に認められることは、オレにとって何よりのご褒美だ。
「思い出に残る映画に関わるのが今日が最後だからって、最後の挨拶泣くなよ?おまえ感激屋だからなぁ。」
「いや、そこは韓国男児。簡単に人前で泣いたりしませんよ。」
「ホントにそうか?怪しいな。」
そんな話をしながら、リハを終えてそれそれ部屋に戻った。
すると程なくYURIがプレゼントを持ってやってきた。確かに壊れ物らしく、梱包がかなり仰々しい。
「なんかすごい厳重な梱包だな。」
「だって、ガサツなテオクに頼むんだから、何があっても大丈夫なようにしてきたの。アタシが自分で作った物だから、絶対壊してほしくないんだもん。」
「ずいぶんと信用されているようで。わかった。十二分に気をつけるよ。」
「よろしくね。この中に届け先の住所と地図入れてあるから。で、テオクが引き受けてくれたから、後で都合の悪い日の確認して連絡するね。赤ちゃんがまだ小さいから、基本出歩くことがないの。検診とかに当ってる日が無いかだけ確かめておくから、あとはテオクの都合で届けてくれればいいから。」
「了解。ちなみに中は何?」
「フォトフレームなんだ。枠から作って、スワロフスキーとかアクリルとかでデコったの。すごくカワイイんだよ。自慢の出来!」
「そうなんだ。そんなに手をかけるってことは、大事な友達なんだな。」
「うん。ホントに大事な友達なんだ。だから、テオクよろしく頼むね。」
「わかった。…『絶対大事にするよ、カスミ。』」
「…『ありがとう、ジヨン。その言葉信じるよ。これからもずっと…』って、ダメだ。なんか泣ける。ジヨンとカスミでいるのも今日が最後だね。テオクにはホント感謝してる。テオクだからアタシ、ちゃんとカスミでいられたんだもん。」
「オレこそ、YURIには感謝しかないよ。オレがジヨンでいられたのもYURIのおかげ。」
「うん。これからもお互いがんばって、絶対また素敵な映画で共演しようね。」
「ああ、今度は逆にオレが振り回す役がいいかな。」
「あ、それはムリ。テオクは結局優しいから振り回されちゃうっていうか、自分で勝手に振り回っちゃうんだから。…前にも言ったでしょ?何が何でも自分で守りきろうとしちゃうから、アタシにはダメって。テオク、自分一人で空回りしないでね。二人で生きていくんだから、相手にも頼らなきゃダメだよ。信じてるなら、それも大事。絶対、幸せになってよ。大事な友達だもん。アタシ、祈ってるから。」
「何だか大袈裟だなぁ。でも、ありがとう。オレもYURIが1番好きな人と幸せになれるように祈ってる。」
「ありがとう。じゃ、そろそろ行くね。支度しなくちゃ。ジヨンのかわいいカスミをちゃんと覚えておいてもらえるように。テオク大好き!」
そう言ってオレをハグして、YURIは出て行った。そう言えば、あの時も百合に抱きついてたなぁ、とオレはまた懐かしい光景を思い出す。さあ、オレも最後まで、カスミのジヨンとして決めていかなきゃな。オレは、出番のための準備を始めた。
オレと百合を出会わせてくれた映画「いつまでも君と見続ける夢」の最後のイベントは恙無く終了した。先輩に「泣くなよ。」と釘を刺されていたにも関わらず、終了後の挨拶で、隣りで挨拶したYURIが泣いてしまったから、危うくもらい泣きするところだった。
そして、そこでオレは、泣いたYURIをなだめる優治さんの態度が変わったことに気づいたんだ。周りを気にして置いていた微妙な距離がなくなって、YURIの全部を受け入れてる気がした。そうか、YURIの気持ちは伝わったんだ、とオレまでうれしくなった。だから、あんな風にオレのことも祈ってくれたのか…。後で先輩に聞いたら、来年のYURIの誕生日に入籍する予定で、今からスポンサーに根回ししているらしい。YURIがこの映画で独り立ちしたことで、事務所がYURIの恋愛を認めてくれるようになったそうだ。そういう意味でも、この映画はYURIにとって大切な映画になったんだな。
さあ、次はオレの番だ。オレは意を決して、LINEのトークを開き百合にメッセージを送ったんだ。「久しぶり。元気にしてる?今、仕事で横浜のあのホテルにいるから、もし、時間が大丈夫なら連絡して。」って。けど、1時間経っても2時間経ってもメッセージが既読にならない。あんなに迷って悩んでやっと決心したのに、肩すかしをくらって、オレはひどく落ち込んだ。神様が用意してくれたチャンスだと思ったのは、オレの勘違いだったのか…。諦めきれずその後何度も画面を確認して、眠れない夜を過ごした。
結局オレは百合とは連絡を取れないまま、ソウルに帰ることになってしまったのだ。オレと百合が出会うキッカケになった映画の仕事がこれで終わったように、オレと百合の仲もこれまでなのか…。深い落胆の想いを抱いて、オレは日本を去ることになった。
次話は、再びソウルに戻ったテオクの落胆とその後の思わぬ展開を描きます。
よろしかったら、またお付き合いください。