11.ソウル・祖父宅にて~ヒスイの謎解き
ずっと気にかけていたのに、なかなかお互いの時間を合わせられなかった祖父との面会が今日やっと叶った。あの日からもう2週間になるから、百合もきっと気に掛けているだろう。祖父に会うことで、うまく解決できればいいのだけれど。
旧正月以来に訪れた祖父宅は、景色自体からして、いつものように温かくオレを迎えてくれる。
母が亡くなり、父に引き取られて以降、心安まることがなかった少年時代のオレにとって、たまに招かれたこの祖父宅は、唯一本来の自分らしくいられる場所で、庭を駆け回ったり、当時の飼い犬・オパールとじゃれたりしてはしゃいだ。そして、何より亡き母を悼んでくれる優しい祖父の温かいまなざしに見守られていると、それだけで幸せな気分になれたものだった。
「早いものだな。もう、おまえも26歳か…。あれから20年にもなるんだな。」
一人庭で物思いに耽っていたオレに、祖父から穏やかな声がかけられた。
「お祖父様、ご無沙汰して申し訳ありません。お元気そうで何よりです。」
「何、時間の都合が取れないのはお互い様だからな。仕事が忙しいのは、成功している証だろう?この前終わったおまえのドラマは大変よかったよ。歌の方の善し悪しは年寄りにはさっぱりだが、演技の方は確かな進歩が感じられる。がんばっているおまえを見ると、私もうれしいよ。」
「ありがとうございます!」
こうやってほんの二言三言話すだけでも、心が温かくなる。オレにとっては、今でもここが1番の安らぐ場所であることを今さら痛感した。
「ところで、何か聞きたいことがあるとか。」
ああ、懐かしさに浸って用件を忘れていた。
「この画像を見ていただけますか?」
オレは、スマホの画面を祖父に見せた。途端
「ユナ!」
祖父はその名を叫ぶと、すごい勢いでオレの手からスマホを取り上げ、その画像を食い入るように見つめる。
「ユナ…間違いない、これはユナの…。テオク!この画像はどうしておまえのところにあるんだ!?持ち主に、ユナに会ったのか!?」
真剣なまなざしでオレに強く問い質す祖父の様子にとにかくビックリした。
「テオク、どうなんだ!?ユナに会ったのか!?」
「オレが会ったのは、今の持ち主なんですよ、お祖父様。ユナっていう人かどうかわからないけど、彼女は亡くなったお祖母様から譲られた物だと…。」
「亡くなった…ユナは、もうこの世にはいないのか…。」
そうつぶやいた祖父は、その場にガックリと頽れた。
「お祖父様!大丈夫ですか!?」
オレは慌てて祖父を引き起こす。祖父の顔は青ざめて、明らかにショックを受けているのがわかる。
「とにかく部屋へ。座って落ち着いてからお話しましょう!」
まるで力の入らない祖父の体を抱き上げるようにして、1番近いリビングのソファーに掛けさせた。
少し落ち着いて、大きく息を吐いた祖父は、一度どこか遠くの方に視線をやって、それからオレの方を向いた。
「取り乱してすまない。あの画像にあったヒスイは、ずっと長年行方を捜していた「3人目の妹」の物なんだ。妹の、ユナの15歳の誕生日に、私が選んで、細工してもらった一点物だから見間違えるはずがない。戦後すぐに日本へ渡ってしまって、こちらが落ち着いて探し始めた時にはもう行方知れずだったんだよ。いくら金が掛かってもいい、なんとか探してくれといくつもの探偵事務所に依頼したんだが、10年かかっても途中でぷっつりと手がかりが消えてしまう、という返事ばかりで…。これだけ捜して見つからないってことはきっと…。そう思って捜すのを辞めたんだが、でも、内心では諦めてはいなかったのに。一目会いたかった…会って、謝りたかった。そして、すべてを許してやりたかった…。」
祖父の苦しげな様子に、オレまで心が痛んだ。慰めになるかどうかわからなかったが、彼女から聞いた彼女の祖母の様子を話してあげることにした。
「今の持ち主の彼女が言っていました。お祖母様はいつも微笑んで周りを明るくしてくれる人だった、って。優しくて、手先が器用で、孫の彼女のために洋服や小物やぬいぐるみなんかをいっぱい作ってくれたって。早くに亡くなったお祖父様のことを愛しそうに話してた、って。お祖父様と結婚してよかった、幸せだった、って。そして、今も、大好きな孫の彼女といられて幸せだ、っていつも言ってくれたって。」
オレの話を聞いている内に、祖父の目が潤んでいく。
「そうか…ユナは幸せだったんだな。日本へ、アイツについて行って。かわいい孫にも恵まれて、そうか、幸せだったのか…。」
苦渋に満ちていた祖父の表情が、流した涙の分だけ穏やかになった。
オレは、もう一つ彼女が言っていた言葉を思い出した。
「それでも、一つだけ後悔してるって。大事に育ててくれた故郷のお兄ちゃんに、今、幸せだって伝えたいけど、ずっと連絡を取ってないから伝えられないって。それがとても残念だって。きっと喜んでくれただろうに、って。」
「ユナ…。」
「その故郷のお兄ちゃんっていうのが、お祖父様だったんですね。じゃ、今の持ち主の彼女とオレって、遠い親戚で血が繋がってるんだ。」
オレの言葉に祖父は、ふふっと笑みをこぼした。
「テオク、早合点するな。私は「3人目の妹」って言っただろ?3番目じゃなくて、3人目。ユナと私は血が繋がっていないんだよ。ユナは、若くして亡くなった叔父夫婦の、妻の方の連れ子なんだ。叔父も養子縁組しようとしてたんだが、元の死別した夫の親が納得しなくてな。その内に、叔父夫婦も事故で亡くなってしまって父が引き取ったんだが、籍をどうにかするタイミングを無くしてしまったんだ。」
「そうだっんですね…。血は繋がってないし、直接の縁戚でもないんですね。なんだぁ…。」
「そうだな。だから、その彼女とも望めば結婚できるぞ。」
そう言いながら、ニヤニヤしてオレを見る祖父は、もうショックから立ち直ったようだ。
「そ、そんな関係じゃありませんから!仕事関係の友人の、その友達なだけです!」
彼女とのあの一夜が思わず頭に浮かんで、慌てて打ち消したオレは、やはり見るからに何かありげだったのだろう。祖父は笑いながら、さらに突っ込んできた。
「そうか?それにしては、忙しい中わざわざ私の所までやってくるなんて、彼女に想いが無いんだとしたら、おまえはずいぶんと親切な男なんだな。」
「そ、そうですよ。メンバーにもいつもおせっかいなヤツだな、って言われてますから。知ってて黙って見てるのが苦手なんですよ。動かずにはいられないんです。」
「そうだな、おまえはお母さんに似て本当に優しい子だから…。そうだ、優しいついでに、私とその彼女を会わせてもらえないか?私が元気な内に日本へ行って、ユナの墓参りをしてやりたいから。」
「そうですね。夜に連絡してみます。この時間じゃ、まだ仕事中でしょうから。」
「そうか、よろしく頼む。」
「はい、わかりました。」
満足そうに祖父が頷いてくれて、オレもやっとホッとした。そして、待っているであろう彼女にいい報告ができることもうれしく思った。その時、もう一つ思いついたことがあった。
「ねえ、お祖父様。実は、さっきの彼女、今ちょっとしたピンチなんです。そのヒスイの件も、お祖母様からの遺言で、本当に困ったことがあったらこれを売りなさいと言われたのを思い出して、その価値を確かめてみようと思ったからだったんですよ。」
「どういうことなんだ?」
オレは、彼女の置かれた状況をかいつまんで説明した。それと、オレが彼女を助けたくだりも。祖父は大層驚き、そして
「本当に中途半端な金持ちはやり方が姑息で気持ちが悪い。わかった。私が彼女の力になろう。ユナにしてやれなかったことを孫の彼女にしてあげれば、天国のユナへのせめてもの餞になるだろう。それと、彼女を襲った奴らもきっと捜し出してお灸をすえてやる。まあ、そっちは大方予想どおりだと思うがな。」
祖父は、彼女を襲った犯人には心当たりがあるようだ。オレも祖父の様子で何となく気がついた。きっと祖父とこのヒスイの関係を知っているごく近しい誰かにとって、このヒスイの存在は都合が悪かったのだろう。
とにかく、彼女のことについて、力強く祖父が請け負ってくれて安心した。できるものなら、オレ自身が手を差し伸べたいとさえ思っていたが、オレの援助を躊躇なく受け入れるような彼女じゃないのはわかっているから。血縁ではなくても、親せき筋だとはっきりした祖父の申し出なら受けてくれるかもしれない。まだ自分で何とかできると思っている内はダメかもしれないが、本当に手立てが無くなった時に思い出してくれればいい。
それから少しの時間、お茶を飲みながら和やかに世間話をして、オレは祖父の家を辞した。
帰り道、少し遠回りして徳寿宮の前を通った。
あの日の最初で最後のデートの時の彼女は、咲き誇る桜の花よりももっと美しかった。まるで、凛として匂い立つカサブランカのように。
オレにあんな幸せな恋を、たった1日でもさせてくれた彼女には、本当に幸せになって欲しい…。それは今でもオレの切なる願いだ。
「その彼女とも望めば結婚できるぞ。」
さっきの祖父の言葉にほんの少し胸がときめいたことも、血縁じゃないとわかってなぜか安堵したことも、オレは自分で気づかないフリをした。
普通の幸せを望める稼業じゃない上に、来年末には兵役がある。そうなるべきではない時に、欲張ってはいけない。欲しがっちゃいけないんだ。オレは自分に改めてそう言い聞かせた。
次話は、テオクと百合、ソウルと東京を結んでのLINEでの会話になります。久々の会話は、甘くてじれじれです。
よろしかったら、またお付き合いください。