絶極
長い回廊を走り切った時、襲ってきたのは熱波だ。
「うっ……!?」
息をするのも苦しいその場で、同時にエルギデオンを襲ったのは悪寒だった。禍々しい悪意が、塔の中を満ちている。
「なんだ、あれは……!」
同じく塔へと入ってきたシンデレラが、驚愕の呻きを漏らした。
溶岩の炎が燃え盛る塔の中央部に、巨大な何かがいる。
離れていても分かる『塔の主』の威容。空気を震えさす強大な存在に、その場の全員が息を呑む。
「竜よ」
答えは、すぐ近くからあがった。
入口の近く、段差の影に身を休めているのは白雪姫たちだった。
「姐さん!」
「アンネローゼ様!」
すぐさま、改革派が彼女に駆け寄ってその無事に安堵する。
「待て。竜と言ったのか、アンネローゼ?」
シンデレラの問いに、アンネローゼは視線を巨竜へと戻した。
「言ったのはお前の騎士だけどね。あのあたりにいるわ」
彼女の示した指先に、みんなの視線が向けられる。
そこには竜の巨躯と比べてあまりに小さな、しかし不思議な光に煌めく存在が、空を駆けて数多の攻撃をかいくぐっていた。
「あれが、アイツだと!?」
エルギデオンが驚愕する。
「バカな。あんなのに、人間が一人で敵うはずがない……」
アンネローゼは、臣下の言葉をとがめなかった。彼女としても疑問がある。
「分からないわ。なぜさっさと倒さなかったのか」
先ほど、聖女の姿の時には優勢だったはずだ。その時に倒してしまえばよかったのだ。
「それでは、過去と同じ過ちを繰り返すからです」
唐突に、彼らの周囲の熱が減じた。
灼熱の苦しみを和らげたのは、冬の気配をまとった女王だ。
「ヴィ、ヴィルジナル様!?」
エインセールが声をあげた時には、騎士たちが姫を護らんと臨戦態勢に入っている。しかしそれをアンネローゼが手で制した。
静かにたたずむ雪の女王へと、彼女も歩み出る。
「ようやく私の前に姿を現したわね。それで? 今の言葉はどういう意味?」
「あの竜は、かつてこの地で討たれたモノ」
ヴィルジナルが、忌まわしい過去を思い出すかのような目を伏せた。
「その時も人の姿でした。しかし本来の姿でない時に倒しても、万に一つ生き延びる可能性がある。あの時はそれに気付かず、あの竜の思念体とでもいうべきものを逃してしまったのです」
「……まさか、当時の戦いには貴女も?」
シンデレラの言葉に、女王はうなずいた。
「禍根を残さないために、彼は戦っているのだな……そして、貴女も。貴女がここに来たのは、なにか方策が?」
「アレは外の理に属するモノ。私や、戦いの生き残りである『灰色の古狼』も、竜に真に有効な手段はもっていません。ですがその剣と使い手が在るならば、話は別です」
彼女の指先は、エルギデオンの持つ『氷霜の剣』へと向けられた。
襲ってくる絶望感に、それでもなお屈せず、不比等は刀を揮い続けていた。
いかに渾身の一撃を加えようとも、竜の体躯を覆う「呪いの蔦」が神性をことごとく吸収し、その体に手傷を負わすことさえままならない。
そもそも、傷を負わしたとして竜の核を破壊せねば、滅ぼすことは不可能なのだ。
その核はといえば、いっそう繁茂する蔦によって守られてしまっている。
呪いによって、不比等の体内からは神性が徐々に失われつつもある。かろうじて躱せている敵の攻撃も、そう遠くない先に直撃は免れないだろう。
絶極の剣さえ放てれば……
意味のない思考と分かっていながら、そう思わずにはいられなかった。あの堅牢な守りを突破するには、残った全ての神性力を結集させ、吸収される前に破壊し尽くしかない。
それを為し得るのが、彼が師から教わりし奥義「絶極の剣」だ。己自身を莫大な神性力の剣と変え、一刀の元に解き放つこの技は、しかし体内や周囲にある神性を『視て』バランス良く束ねていく必要がある。神性力と多少親和性があるとはいえ、異世界であるこの場所では時間と集中を必要とするものだった。
その時間も集中も、目の前の敵は許してくれないだろう。
ならばやることは一つだった。
――できることに全力を賭すしかない!
大きな隙を作らせ、その間に水晶核へと瞬間的に出せる全力を全て叩きこむ。
不比等が風を操り、加速した。防御のための力をギリギリまで太刀へと回し、攻撃の機に備えていく。
刺し違えも辞さぬ覚悟の特攻は、しかしながら相手にとっても絶好の機会となり得た。
『――――――――――――!!!!!!』
広大な空間を埋め尽くさんとする魔術の円陣が、より一層の輝きと規模を増す。遮蔽物のない空中で仕留め切ろうと、豪雨のごとく間断なく炎を放ち撃つ。
視界を染め上げる深紅の脅威に、不比等は畏れることなくさらに速度を上げた。間一髪、掠めていく炎を後にしながら、火浣布を己の身体に纏いつくほどに収束させる。
目前には、竜の頭部。
その口から灼熱が生み出される。
「頼むぞ、俺を守ってくれ!」
吐き出される熱の奔流に構わず、炎の瀑布へと突き進んだ。
世界をあまねく、紅に染める業火。いかに火浣布とて耐えきるものではしなかった。
筒姫の加護が綻び、砕け散っていく。
だが、その身を焦がしながらも炎を振り切った不比等の前には、竜の見開く目があった。
斬――!
空間をも焦がすほどの光と熱が、その一太刀に宿っていた。
両目を切り裂かれた竜が絶叫とともに大きくのけ反る。
さらに――
不比等を迎撃しようとして伸びてきていた呪いの蔦が、今度は突然凍結し、砕け散った。
不比等の視界の端に、『氷霜の剣』を投擲するエルギデオンの姿が見えた。
人の力では到底及ばぬ距離を、『氷霜の剣』はその身に宿らせた魔女の力によって突き進んだ。氷の女王の絶大な魔力は、のけ反る竜の首に突き立ったが直後、その周囲を圧倒的な冷気で凍てつかせていく。
それは、呪いの蔦も例外ではない。
この上ないチャンスだった。
不比等は水晶核へと疾駆しつつ、素早く刀を納めた。
あれを打ち破るには力がいる。
欲しいのは何者にも負けない力だ。
理不尽を覆す力だ。
氷結をかろうじて免れた蔦が襲ってくる。それを目に、ありったけの神性を練り上げる。刀身に宿った闇と風に、光と炎、地の力が合わさっていく。
抜刀は、轟く雷鳴を伴っていた。
閃光を纏った太刀筋から、雷条が幾重も迸る。迫りくる蔦も雷に打たれて燃えだし、炭化した断面からの再生はすぐには起こらない。
狂ったように振られる剣は一閃ごとに加速してゆき、核を覆う蔦を瞬く間に払っていった。やがて露出した水晶の輝きへと、渾身の一刀をたたき込む。
ひときわ甲高い響きが起こった。
水晶核には、大きな亀裂が走っている。
だが黒塗りの佩刀は、刀身を粉々に散らしていた。
「――――!?」
目を見開いた不比等に、再生した呪いの蔦が殺到する。抵抗する間もなく幾重にも巻き付き、宙へと持ち上げられた。
伸ばした手も蔦に埋まった。闇の中で茨が不比等の全身を刺し、呪いが蝕んでいく。
竜が起きあがってくる。周囲の熱で氷は解けていく。
ここまでなのか――。
呪いが眠りをもたらしてきていた。神性が急速に失われつつある。完全な眠りにつくのも時間の問題だった。抵抗しようにも、四肢は拘束され動くこともできない。
ここが死地なのか。
薄らいでいく意識の中で、自分を嘲笑う。
情けなかった。悔しかった。最高の一撃は通用せず、これだけはと願ったものすら、その手にできない。
せっかく思い出せたというのに。
刀はもうなく、万策が尽きた。
――諦めないで!
声が聞こえた。
暗闇の中、蝕んでくるはずの蔦から声が聞こえてる。
ルクレティアの声だった。
暗闇の中、見えないはずの視界に確かに本物の聖女が立っていた。いつか『いばらの塔』で見た――いや、元の世界の時からで夢に出てきたその姿から、今度こそはっきりと言葉が紡がれた。
『あの子を助けてあげて。あの子にはあなたしかいないの!』
聖女の力が、不比等の前に、夕日の中を歩くかつての光景を蘇らせる。
「!!」
その光景が、不比等の身体に込められていた『力』を呼び起こす。
それは、別れ際に託された筒姫の力。
事象を見通し紡ぐ、膨大な光の神性だった。
――視えた!!
今や不比等には、巫女姫と同じ力が備わっていた。
過去を見、未来を見、神性の在り処を見る力。
あの時の顛末。筒姫――タケの記憶、想い。
――そなたの行く末の幸福を、私は祈っています。
その真意を、不比等は理解した。
「うおおおおおおああああああああ!!!!」
爆ぜる感情が、咆哮とともに瞬時に神性を紡ぎ、束ねていく。
深海の時と同じ発光現象。今度はそれを、筒姫の力で意識的に行っていく。
呪いの吸収を上回る速度で神性が収束し、白光が生まれた。
最高潮に達したその輝きを、一気に解き放つ。
求めるは、何よりも遠きに視える、最果ての剣――!
不比等の身体から極大の雷が吼え猛った。
呪いの蔦が瞬時に蒸発するほどの熱量。
いましめを消し飛ばし、自由となった彼は稲妻とともに奔った。
その目は、長い歳月の果てに膨大な力を蓄えた、もう一つの神性の在り処を捉えていた。
刹那、不比等の手は竜の首から『氷霜の剣』を引き抜いている。
剣の内包した水の神性が光と合わり、際限なく互いを高め合っていく。
『…………!?』
剣身の赫耀に、竜の目に初めて恐怖が宿った。
絶極剣。
怒号。不比等が竜の核へと駆けた。
途中に存在した竜の巨躯ごと、刃は一瞬の停滞も見せず、核へと到達している。
力が解放された。
核から竜の体内へ、烈光は余すことなく駆け抜けた。竜の体のほとんどを光がかき消していき、その余波が、残ったものを凍てつかせ、氷と化していく。
やがて、そのすべてが砕け散った。
残り2話でラストです




