幕間ー契りと滅びー
屋敷に戻った彼を、侍女たちが慌てた様子で出迎えた。
「不比等様!」
「父上の様子はどうか」
「さきほど意識を戻されました。ですが」
長年付き従ってきた侍女が、言い淀んだ。
「どうした」
「医師が、これが最後だろうと」
「――そうか。このまま行く」
大きな屋敷の、長い廊下を彼は進んだ。障子の前で彼は振り返った。
「人払いを」
黙して従う配下をあとに、彼は父の寝所へと入った。父は、布団から起き上がっていた。
「不比等か」
「ただいま戻りました。父上」
医師たちにも退出を促し、やがて二人のみの静かな部屋となった。
口火を切ったのは父だった。
「お前を称える声で起きたぞ。こたびの戦、よくぞ勝利へと導いてくれた」
「付き従ってくれた皆のおかげです。私一人では、とても」
「謙遜は時として嫌味だぞ、朔夜」
父は寂しそうな笑みを浮かべた。
「儂や、儂の息子がついに果たせなかったことを、お前は成し遂げてくれた」
「あの時、拾っていただいた恩を返したまでです」
彼は、臣下の礼を取ろうとして、父の手に止められた。
「今回のことで王は、鳴神の家を将軍の地位へと戻すだろう。その任に就くのはお前だ。当主もこれを機に譲ろう」
「夢見た地位ではありませんか。弱気なことを仰らず、欲を見せてくださいませ」
「この国の大将軍ともなれば、巫女姫様の護衛でお目通りも叶うのだぞ」
彼の表情を見て、父はようやく笑った。
「会いたかったのだろう? 我らへの義理はもう存分に果たした。今度は自分の使命に戻れ」
「…………」
沈黙する彼に、父はゆっくりと、再び横になろうとして、彼の手を借りた。
「あの日のことは、今も運命と思っている。息子を失い、自棄になっていた儂の前に、全ての神性の力を備えた若者が現われたのだ。それも――」
「……」
「それも、あやつの好きだった、海燕にエサをやって……フフ、懐かしいな。ああ、懐かしい…………」
「……」
「あの頃、お前はエサの作り方が下手だったな」
「……? 父上?」
「大きな団子を作って、やれずにいては、泣いておったな、不比等」
「――ええ、そうでしたね」
どこか呆然と、こちらを見つめて懐かしむ『父』は、もう自分を見ていないのだと彼は悟った。
いなくなってしまった、彼の朋友でもあった本当の息子の思い出と共に、逝こうとしている。
拾ってくれてありがとう、と。
戦う術を教えてくれてありがとう、と。
あなたを本当の父のように思っていました、と。
言おうとした、溢れてくる様々な感情は、しかしもう届かない。
代わりにできることを、彼はした。
「不比等……我が息子……どこだ……」
差し出された、震える手を握る。
「安心しろ、『俺』はここにいる」
彼はその時から、『不比等』のように振る舞うと、決めた。
「ずっといるぞ」
「……」
父であり、師でもあった先代の『鳴神不比等』は、安心したように眠りに着いた。
そしてそのまま、夜中に息を引き取った。
それからしばらくの月日が経ち、
万を超える魔物の軍勢を精霊とともに打ち破りし大将軍、次代の『鳴神不比等』として、彼は王に仕え、巫女姫の守護という大任につくこととなった。
それは、かつて家族であった少女との約束を果たした日となった。
誇らしく、幸せな日々がくると、彼は信じていた。
同じころ、当の巫女姫が「遠くない先に島が滅びる」ことを予知したなど、知る由もなかった。
ウォロペアーレ編、終了です。
明日から3日間、3話ずつ投稿して完結予定です。




