ゼノ翁
「ちょっといいか」
フヒトたちがその場に踏み入った途端、笑っていた男たちの顔が固まった。
「おお、聞いとくれ若いの!」
もっとも顔つきを変えたのは燕尾服の老人だった。人好きする顔を悲しげにゆがませて、フヒトにすり寄ってくる。
「こいつらなぁ、ワシのなけなしの金を無理やりふんだくってったんじゃあっ。人助けと思って、取返しとくれぇ!」
「なっ」
「おいジジイ、いい加減にしろよ!」
二人の男から怒気が上がった。
「おい若ぇの。見ねえ顔だが、爺さんの妄言なんざ真に受けるんじゃねえ」
「ほう」フヒトが眉を上げた。「この爺さんが嘘をついていると?」
「そうよォ。下手な正義感かざすってんなら、俺らも黙っちゃいねえ。痛い目に合うぞ」
「ワシは嘘など言っとらん! この哀れな老いぼれを見捨てんでくれぇっ」
強面の男二人にすごまれ、老人には泣きつかれ、フヒトは肩をすくめた。
「どうするエインセール、見なかったことにするか?」
「フヒトさん……こうなった以上、せめて騎士の務めは果たしてください」
妖精がジト目で、冷たく返した。慌てたのは男たちだ。
「な……騎士だと!?」
「げえっ!?」
そして男たち以上に顔色を変え呻く老人。フヒトはニヤリと笑いかけた。
「ルヴェールの騎士、フヒト。依頼によりゼノじいさん、あんたを保護しに来た」
そのまま、顔を男たちに向ける。
「それと、違法な賭場をやってる連中がいると聞いたな」
「――やっちまえ!」
次の瞬間、男が雄たけびを上げて拳を繰り出してきた。フヒトは軽い足取りでそれをかわすと、カウンターを男の顎に炸裂させた。後続の男がもんどりうった仲間にたたらを踏んだ時には、その腕をフヒトに捻りあげられている。
「イタタタダダダダッ!?」
「さて、賭場やってる所に案内してもらおうか――爺さん、逃げるなよ?」
言葉を投げられ、老人がぎくりと身体を硬直させた。
「逃げたら依頼主に報告だ。寿命を縮めたくはないだろう?」
朗らかに言われた内容がトドメとなったのか、老人が絶望的な表情でへたり込む。エインセールが呟いた。
「ずいぶん、脅し慣れてるんですね」
「んん? ああ、なぜか口から自然とな」
「私、フヒトさんが実は悪い人だって言われても信じてしまいそうです」
「失礼な。ほら、お前はしゃりしゃり話さんか」
「だ、だれが話すかっ」
男がさらに腕を捻られ悲鳴を上げる。見かねたエインセールが言った。
「あの、早く話したほうがいいと思いますっ。フヒトさんならきっと悪いようにはしませんから」
「うるせえっ。このちんくしゃ娘が!」
「ち、ちんくしゃ……!?」
暴言に妖精が絶句した。目が据わる。向けられた視線の剣呑さにフヒトがたじろいだ。
「フヒトさん、面舵いっぱいで」
「……よーそろー」
処刑宣言に、フヒトは粛々とつかんだそれを回していく。
「あ、ちょ、待った! 話す! 話すから待っごめんなさあああああああああ!?」
今度の悲鳴は長かった。
ウォロペアーレでは港と対照的な位置に、海を眺望できる一等地が存在している。そういった場所に建てられた宿や住宅は、当然と言うべきか富裕層御用達であった。
フヒトたちが歩く街路はゴミ一つ落ちておらず、先ほどまでいた大通りとはうって変わって、人の往来に乏しい。穏やかに吹く風が波の音を届け、その音はまるで無人の町を歩いているかのように、邪魔されることなく通り過ぎていった。
「はっはっは、いい気味じゃったわ!」
先頭を歩くゼノ老が、思いだしてか折れた杖を振って笑った。賭博場の摘発のことだ。乗り込んだフヒトによって、十数名がしかるべき場所に連行されることとなった。
「お前さん、なかなか喧嘩が強いのう! けっこうな腕っぷし自慢どもだったのに」
「上機嫌だな、じいさん」
「おうともさ! こうして金が返ってきたなら一安心というもの!」
鼻歌混じりに進むゼノ。フヒトたちがその後に続くのは、彼の妻に捜索を頼まれたからだ。
見た目は穏やかな老婦人、といった女性だったが、ただ探すにしては高額すぎる報酬と、「殺してでも連れ帰ってきてほしい」というデンジャラスな内容に、フヒトはその依頼を受けることにした。
理由はおもに加減をしなくて良さそうな事と、あと半分は恐いもの見たさだ。
「久々に孫が遊びにくるもんでな。ところがどっこい、小遣いに用意した金に手をつけちまった」
「何をやってるんですか……」
「大勝負で取り返せば何とかなると思ったんじゃけどなぁ」
あっけらかんと笑う老人に、エインセールは軽く息を吐いた。
「フヒトさんはこんな風にならないでくださいね……もう手遅れかもしれませんが」
「なぜそこで一言多い」
「着いたぞ」
ゼノの声に、二人は彼の視線の先に目を向ける。そして声を失った。
そこにあるのは屋敷だった。大きさで言えば、周囲より明らかに格が一つ違う。門から屋敷まで広がる庭はよく手入れされており、植えられた木には柑橘系の実がなっているのが見える。
「昼はまだ食べてないのじゃろう? 礼に馳走くらいはさせてくれ」
相変わらず足取りよろしく敷地内に入ったゼノが、作業をしていた庭師に声をかける。ゼノに気づいた庭師が丁寧に頭を下げる様子を見て、エインセールがこぼした。
「このお屋敷、王侯貴族の別荘に匹敵すると思います……」
「エインセール、ああなってはダメか?」
フラフラ揺れるゼノの背を示し、フヒトが問う。
「うぅ、これはこれでアリなのでしょうか……もう世の中どうなっているのか分かりません」
「泡ゼリーとやらがでれば、アリにしないか?」
「むむむ、魅力的な提案です。とにかく、お昼ごはん期待できそうですね!」
「うむ。たらふく食うぞ」
現金にも足取り――一方は羽どり――が軽くなった二人は、ゼノに遅れまいと進んだ。両開きの扉をそなえた正面玄関の前で追いつく。
「成功した商人かなにかか、爺さんは?」
「んー、頭を使うって意味じゃ似たようなもんかの」
「頭がいいのに博打でやられたのか」
「あいたたた」
老人が苦笑する。
その一瞬だけ、これまでの言動が狂言だったかのように、目つきが変わった。
「ま、疲れるわ息子の方が才能あるわで、さっさと楽隠居というやつよ」
そうぼやいてゼノは二人を中に招き入れた。フヒトたちが玄関をくぐると、吹き抜けのロビーと、二階へ続く階段が姿を現す。足元の柔らかさは、絨毯が敷いてあるからだった。
「おーい、クラリス。旦那様の帰還じゃぞ~」
広い空間にフヒトたちが唖然としていると、老人は待っているよう言い残し奥へ進んでいく。手持ちぶさたになって、二人は顔を見合わせた。
「すごいですね! 広くて、あっちもこっちもキラキラしています」
「うむ。さっきの賭博場とは大違いだ」
「あっちはいかにも『隠れてやってます』という感じでしたもんね。ここでは何をやっても高級感溢れそうですが……こんなに広そうなお家だと、なんだか探検したくなっちゃいます」
「分かる。『隠れ鬼』をやっても楽しめそうだ」
エインセールが首を傾げた。
「隠れ鬼、ですか?」
「知らないか? こう、小童が遊ぶときに」
フヒトがそこまで言ったとき、大声が上がった。
「き、貴様ら!? なぜこんなところにいるっ」
驚く声に視線を上げれば、二階に続く階段に少年が現れていた。
「答えろ! 返答次第ではタダでは済まさんぞ!」
シュネーケンの騎士、エルギデオンはフヒトを睨みつけた。




