人魚の守護する町
どこにいても、波の音が聞こえてくる――。
港町ウォロペアーレは、古くから人魚族との関わりが強いようだった。海沿いに発展したこの町には意図的に広い水路が多く作られ、人魚たちが通れるようになっている。海からの波は町に張り巡らされた水路を伝い、絶え間なく水面を揺らしている。
「古い伝承では、かつて海の人と呼ばれた人魚との仲は悪かったそうで、対立までしていたらしいですよ」
そうした水路にかかった橋を渡るフヒトに、エインセールが解説をしていた。フヒトが橋の下を見れば、荷と男たちを乗せたゴンドラが通り過ぎていくところだった。この水路は人にとっても大事な道なのだ。
「ある時、凶悪な魔物が現れて、人間と人魚が手を取り合うことになったんです。当時の聖女が、人魚の姫と町の青年の恋を成就させたということもあって、わだかまりがなくなったらしいですね。魔法に秀でた人魚たちは、人々の守護と豊漁を。人々は海の生命をみだりに奪わず、水の中の友に感謝と敬意を。両者の共存は二千年近くも続いていて、今では各地の流通拠点として栄えているんですよ」
「なるほど」
潮の香り漂う町を、フヒトは見渡した。
今は雲間に隠れているが、それでも真上に位置する太陽の光が雲を真白に輝かせていた。石畳で舗装された街路が整然と広がっており、白いレンガ造りの建物が立ち並ぶ。広場では市場がテントを張り、その軒下では赤、黄、緑と野菜や果物が売られていた。視線を遠くに転ずれば大小の帆船が停泊する港が見え、広がる海原を背景にカモメが舞っている。
その鳴き声が聞こえてきそうなくらい、町は穏やかな雰囲気だった。
いや、それどころか、
「……もっとも、呪いの影響で現在は船が自由に出航できず、閑散としています」
「だろうなぁ。本来ならもっと騒がしいだろうに」
フヒトたちがこの町に来てからも、腕っぷしの強そうな男たちが手持ちぶさたにぶらぶらしたり、どこかの家の塀にもたれてぼうっと海を見てたり、あげくは酒場で愚痴を吐いていたりするのを何度も見た。おそらく普段は漁師か、荷揚げ場にいる者なのだろうが、仕事がないのだろう。彼らの生活に呪いが与えた影響は大きいようだ。
「海は陸よりも魔物の危険が大きいんです。漁船の安全は人魚族の戦士やルーツィア様の騎士が担っているはずですが、それでも魔物の凶暴化や増殖に手が足りないくらいですから」
「代わりに各都市への陸の流通路は、他の都市からも防衛部隊が派遣されてるんだったな?」
町に来るさい、エインセールから教わった情報をフヒトは思いだす。
「あ、覚えててくれたんですね。その通りです! 商人さんたちが通る街道は生命線ですから、保守派も改革派も関係なく協力し合ってるんですよ」
「それが救いだな」
ヴィルジナルによる魔物の凶暴化や増加だが、各都市の協力もあって生活面にやや支障が出るくらいで被害は抑えられている。
あるいは今回海で起きた異変が、その均衡を崩そうという女王の次の手なのかもしれない。
フヒトとエインセールは昼前にここウォロペアーレに着いたのだが、人魚姫であるルーツィアが多忙ですぐには会えないこと。また異変は夜に起きていることから、彼女との謁見は日が暮れてからという話になっていた。
その間これといってやる事もないので、フヒトはこうして町の案内をしてもらいながら、住人からの依頼を受け、ある人物を探すことになったのである。
「むむむ……一通り歩きましたが、探し人は見つかりませんね。ランタンの様子ではこの辺りのどこかにいるのですが」
エインセールが迷ったように呟いたのは、入り組んで並ぶ民家の群れが視界にあるからだった。ここを探すにしてもかなりの時間がかかりそうだ。
「一度ご飯を食べて、休憩しませんか?」
「うむ。そうしようか」
エインセールの言葉に、フヒトもうなずいた。
「どこで食べる?」
「私、町の入り口にあったレストランがいいです! デザートの『泡ゼリー』が美味しいって、アメリアちゃんが言ってました!」
「それは楽しみだな。俺は魚を食べようか」
そんなことを二人が話していると、横手の細い道から「なにをする!」と老人の悲鳴が聞こえてきた。
レストランに向きかけた歩を止め、声のした方をうかがうと、燕尾服を着た老人が地面から起き上がるところだった。
「ワシの、ワシの金を返せ!」
老人の前に、折れた杖が投げ捨てられた。
「調子乗るんじゃねえぞ、ジジイ」
「痛い目にあいてえのかぁ?」
山賊と呼んでも差し支えなさそうな風体の男が二人、吐き捨てるように言った。
「下手に出たらいい気になりやがって、杖が折れるまで叩いてくるとかどんだけだよ」
「うるさい! ワシから奪った金を今すぐ返さんかっ」
「てめえ全賭けで負けといて言うか普通!? 返してほしけりゃ金持ってこいや!」
「迷惑すぎるから門前払いだけどな」
男たちが笑う。老人が地団駄を踏んだ。
「いましたね、探していたおじいさん」
エインセールがフヒトにささやく。ランタンが老人を示して瞬いていた。
「でも妖精の直感的に、今助けるのは嫌な予感がします」
「奇遇だな、おれもそう思う」
フヒトはため息を吐く。
「だが、そうも言ってられないだろう」
そして、路地へと踏み出した。




