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聖女

 村に入ったところで、フヒトはさっきの兵士の言葉を思い返していた。

 ――平和で静かだった、か。

 入口で頑丈そうな鉄扉があるものの、それ以外は低い木の柵で囲ったのみ――アルトグレンツェは防備らしい防備の見当たらない村だった。逆に言えば、それだけ外敵の脅威がなかったことになる。

 だというのに、たった今入った村には妙な物々しさがあった。原因は明らかで、そこかしこに金属鎧を着た兵士たちの姿が見える。ほかにも武具を身に着けた者たちが大勢見られた。彼らはみな一様に言葉少なで、緊張した顔つきをしている。威嚇するような視線を周囲に投げるものまでいた。おかげで張りつめた空気が生み出されている。

「両派の兵士や、騎士の方々ですね。仕えるお姫様の護衛でしょうか」

 察したのか、エインセールが先んじて教えてくれた。

「両派?」

「各地の姫は、現在二つの派閥に分かれて、意見が衝突しているんです」

 彼女がそう言ったところで、村の奥からどよめきが伝わってきた。

「……何かあったようですね。行ってみましょう」


 丘の上から見えた村の中央、水辺の前に人だかりができている。

 渦中にいるのはにらみ合いを続ける二つの集団、そしてその先頭に立つ二人の女性だった。

「今の言葉は聞き捨てできない」

 近づいたフヒトに聞こえてきたのは、怒りを含んだ声だ。

「この世の平穏は聖女によって保たれてきた。それ以前にアンネローゼ、貴女の姉ではないか」

 金色の髪を背に伸ばした女性が、やはり怒りを含んだ表情で、目前の女性に言葉を叩きつける。

 一方、その言葉を受けた黒髪の女性は笑みを浮かべていた。

「だからどうだと言うの。姉上を見つけ目覚めさせるまでに、どれだけ時間がかかるかわからないわ。ならば、その時間で民を守るのが先決ではなくて?」

「これまでの秩序は世界の均衡があってこそだ」

「その仕組みこそおかしいのよ。変わるべきは今」

「……これはまた、影響力のありそうな声の持ち主たちだな」

 フヒトが呻く。言葉を交わす当人同士の声は静かだが、その声がよく響き聞こえるのは、周りが一様に押し黙っているせいだ。二人の言葉を聞き漏らすまいとじっと見守っている。それでいて、興奮している節があった。言葉に感化されているのか、双方の後ろに控えた兵士や騎士らしき者たちのにらみ合いが凄まじいものになっていて、その余波で頬がチリチリしてくる。

「金色の髪のかたが保守派筆頭のシンデレラ様。話している黒髪の方は改革派のリーダー、白雪姫アンネローゼ様ですよ」

 エインセールがそっと耳打ちしてくる。

「さっき言ってた『両派』か」

「はい。保守派は『聖女』いばら姫ルクレティア様の救出を、改革派は世界の混乱を鎮めることをそれぞれ優先しています」

「具体的にどう違う?」

 舌戦は続いていたが、周囲の雰囲気に耐えかね、フヒトはその場から離れた。

「呪いの影響で混乱しているのだろう。『聖女』をどうこうするのは、呪いの対処と同等の価値があるのか?」

「もちろんです」

 エインセールが即答した。

「聖女とは、世界の均衡を保つ役割を持つ存在です。さっき、姫たちが各地の代表者だって言いましたよね? 彼女たちは必ずしも統治者というわけではありません。王族の方がなる場合もありますし、多くの人からの支持があれば、一般の方が務める場合もあります」

「聖女は別か」

「二千年前から、聖女や聖者と呼ばれる方がこの世界を導き、治めることになっています。当代となられるルクレティア様も、幼い頃からそうなるべく育ちました」

 そこまで言ったエインセールの様子に、フヒトは違和感を覚える。ルクレティアという聖女のことを語った時、知識とは違う何かが言葉にこもっていた。

「知り合いなのか」

「一緒にいたことがあります。綺麗で、とてもお優しい方なんですよ」

 にっこり笑って――しかしそれをすぐ翳らせて、エインセールはそびえ立つ塔の群れを見た。

「聖女となるには、あのシピリカフルーフで役目を継承しなければいけません。でもその儀式の際に呪いが塔を襲い、ルクレティア様の行方は今も分からないままなんです」

 だからか、とフヒトは思った。

 この村に来て、行き交う者の顔にはなにかしら暗い感情が張り付いているように感じていた。魔物や呪いのせいかと思っていたが、違った。本来希望であるはずの存在が真っ先に不在となっていたのだ。

 治める者がいなければ、不安と混乱は増大する。

 記憶を失くしているせいか、フヒトは聖女の不在と聞いてもピンとこなかった。ただ、親しい者が突然いなくなってしまうことへの不安はよく分かった。さっき聞いたエインセールの言葉を思い出しながら、数少ない記憶を掘り起こす。

『ここへ来て。あなただけが頼りなの』

 脳裏に声が響く。いつか聞いた、塔から助けを求める声。

『塔の中で――探しなさい』

 そう、自分がここに来た目的は、その声に導かれたからだ。

 声の主は、聖女なのか。

 それが夢か現実か、確かめる方法は一つだ。

「エインセール」

 フヒトは言った。シピリカフルーフに厳しい眼差しを向ける。

「俺はあそこに行ってみようと思う」

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