襲撃
「え? ええっ?」
エインセールがぼんやりと声を出し、顔が蒼くなっていった。
「なんですかこれ!?」
『矢だねー』
「矢だなぁ」
アリスが楽しそうに言い、フヒトはへらへら笑いながら上半身を起こす。
「良かったにゃぁ。あと少しで死んでたぞ」
「悠長に言ってる場合じゃないです! どういうことか分かってるんですか!?」
「お、客か!」
「ヒャハハハハ、歓迎の準備だな!」
ドリットとライツが陽気に笑う。危機感を感じさせない二人の声に、エインセールは少しだけ冷静になれた。
フヒトは変なままだが、同じ変でもティーパーティーはアリスの直属。いくら本人からダメダメと評価されても、いざという時は頼りになるかもしれない!
「おいリューゲ、ちょっと御者台からどんな客か見てくれよ」
「ふっ、見たついでに薙ぎ払っても構わないか?」
頼もしい返事をした猫亜人が幌をめくり、御者台へと消える。それと同時に大地を蹄が叩く音がして、空を鋭く切る音が馬車の外から聞こえてきた。馬車の走行速度が突然上がり、リューゲが戻ってくる。神妙な顔で言った。
「……馬に乗ったゴブリンどもだった。数は十五か二十くらいだ」
「…………」
「え? ええっ? 皆さんどうしたんですか?」
急に静まった馬車の中、もう一本の矢が幌を破って落ちてきた。荷台の中央に刺さったそれが合図だったように、ドリットが座り直す。
「短い人生だったな」
「なに諦め宣言してるんですか!?」
グラスを飲みなおす彼にツッコミが入るうちにも、矢がどんどん馬車の中へと襲来してくる。ライツが真面目に言った。
「ゴブリンは凶暴らしいからね。普段は危険な遺跡から出ないようだが」
「こっちは飲んだくれのダメ人間が四人。まーやるだけ無駄だな。むしろ俺は後悔しないよう末期の酒を飲みたい! 美味いらしいからな」
「後ろ向きなほうばっかり前向きにならないでくださいよ!? リューゲ、貴女はすごい力の持ち主なんでしょう!?」
「ふふ、信じてくれてたのか」
リューゲは冷汗を垂らしながら震えていた。
「そんな力があったら、良かったのにな」
「ええええ」
『あっはは、ティーパーティーに戦闘力は皆無なのです♪』
「アリス様~」
「短い間だったが、お前たちと騒げて、俺は幸せだったぜ」
葬式会場と化した荷台で、ドリットは聖人のような微笑みを浮かべた。
ダメ人間は土壇場でもダメなままだった。
「妖精君、君は逃げたまえ。ここは我々がなんとかする」
「何もしない気ですよね!? 宴会続けるだけですよね!?」
衣が裂ける音がした。
振り返れば、幌を切り裂いて深緑色の人影が乗り込んでくるところだった。
『お、ゴブリンだね♪』
荷台を悲鳴が占拠する。
「フヒトさん、危ない!」
最も手近なフヒトへと、ゴブリンが剣を振り下ろした。
「おお!?」
さすがに危機を感じたのか、フヒトの上体が倒れて剣をかわす。そして天秤のごとく跳ね上がった爪先がゴブリンの股間を強打した。
たとえようもない呻き声がして、ゴブリンの目が黄色く剥かれる。ドリットとライツが顔をしかめた。
「あ、すまん」
後ろによろめくゴブリンを、まだ酔ってるのかフヒトが助けようと手を伸ばす。しかしその手は腰に触れただけで、ゴブリンの身体は幌の裂け目から夜闇の中に消えていった。フヒトが愕然とする。
「お、俺は何という事を……」
ゴブリンの腰元から手に移った弓をかき抱き、フヒトは声を上げて泣いた。
「仮装してせっかく来てくれた人を、俺は、俺は……!」
「まだどんちゃん思考なんですか!?」
『んふふふ~。アリス的には~魔物学の進歩に貢献した一撃だったと思うよ~?』
愉快そうに言って、アリスはフヒトの持つ弓を指さした。
『それより、緑の人たちはゲーム要員だから気にしないでね~。さあ、その弓で的当て大会の始まり始まり!』
「なんと!? そういう趣旨だったのか!」
「意味わかってるんですか……?」
怒る気力も失せたエインセールが見る中、フヒトが刺さった矢を引き抜き、幌を剣で斬った。
視界には馬車の光を受けて浮かび上がる、ゴブリンライダーの群れが現れる。
「待たせて悪かったな」
足元をふらつかせつつ、フヒトの放った第一射は先頭のゴブリンの胴に命中した。革の鎧の上から刺さった矢に悲鳴が上がり、落ちたゴブリンを巻き込んだ後続の一騎も転倒させる。
『おお! 今のはボーナスなのです!』
「幸先が良いにゃぁ」
笑いながらフヒトが立て続けに三射して、いずれも標的を捉える。
「す、すごいです! 弓もお上手だったんですね!」
「ふっふっふ。子どもの頃から剣より弓で狩りをしてきたのだ」
調子に乗った声で撃ち続けていたフヒトが矢を取ろうと手を伸ばすが、次に眉を上げた。
「んん?」
手の届く範囲にもう矢がなかった。
「なんと不便な」
四つん這いになって矢を補充しに向かうその背に、仲間の仇を取るべくゴブリンたちの反撃の矢が発射される。
「お? すまんな」
フヒトはその一本を後ろ手に掴むと、指の中でくるりと反転させた。その時には、なめらかな動作で弦が引き絞られている。
一射絶命。
反撃を喰らったゴブリンが馬上から吹き飛んだ。
「ん、もう終わりか?」
ゴブリンたちの距離がそこで開いた。追跡をやめたゴブリンたちが馬を止めていく。同時に、外の世界が急に青く光り出した。
『森を抜けたみたいだね~』
アリスが言う通り、木々が新たに現れることはなく、馬車の四角い景色の手前からは、星々に照らされた草が中央へと走っていくようになった。草原に出たようだった。森が急速に小さくなっていく。夜空が広がっていく。
「えとえと、場所的にはエングヒンメルでしょうか」
『そだね。今日は快晴だから、星もよく見えると思うよ~。ホントはもう少し、ピンチに次ぐピンチ、アクションに次ぐアクションが見たかったけど!』
「私はもうけっこうです……」
深く安堵の息を吐いて、エインセールはティーパーティーの方を向いた。
「でも、良かったですね。私たち助かっ――」
「カンパーイ!」
「イエーイ!」
ティーパーティはカップを打ち合わせていた。
「プハーッ、やっぱうめえな! 生き返った気分だ!」
「ツマミにちょうどいい見せモノだったぜ、ヒャハハハハ!」
「聞くほど大した連中じゃなかったか。我が左手の力を解放すれば良かったかもな」
「な、な……」
襲撃前と変わらぬ光景に、エインセールは羽を震わせた。
「フヒトさん! 流石に何か言ってください!」
「射的の景品はないのか?」
フヒトがアリスに聞いていた。
『今はないけど、今度ノンノピルツに来たら用意しとく~! 来たらたっくさん面白いことして遊ぼう!』
「おお、楽しみだな」
「フヒトさん……」
『エインセルセルも許してあげて? フッヒーのおかげで、ルチコル村とノンノピルツ間の危険度が二.六倍下がったのです』
「はあ……」
『じゃあ、アリスは実験があるからもう行くね~。また明日話そ! バイバーイ!』
最後まで楽しげなアリスの声が消えるとともに、鏡の姿も消失した。
「元気な小童だのう」
「そうですね」フヒトののんびりした声にエインセールは投げやりに返した。
「お元気過ぎて疲れた気もします。結局フヒトさんと何を話したかったのでしょうか……」
真面目な話をしたのはエインセールだけだ。アリスはフヒトの戦いぶりでも見たかったのだろうか。そういう意味ではタイミングの良い通話時間だった。
ただそれだとアリスはゴブリンと戦うのを知っていたことにもなるので、あり得ない話だ。
「おーいフヒト、今日はお前が主役だ。飲め飲め」
「おう、行くぞ! しかしウサギのおじさんに誘われてもなぁ~」
「あ、テメ、俺が毎度気にしてることを……!」
「ヒャハハハハ」
「フッフッフ……」
「……はぁ」
再び始まったバカ四人の宴会に、エインセールは今日何度吐いたか分からないため息をした。
「先に幌を修理しないと、みなさん風邪ひきますよ?」
そう言って馬車の外を見る。
空には満天の星空があった。




