幕間:王女と少年騎士
彼女の手にしていた地図の各所には、赤く丸がしてあった。
丸の横には冷気の発生時期と、同時期に起きた事件が簡潔に記述されている。
赤丸の位置は都市部の近くに多く、特にここ最近は発生頻度が増していた。神聖都市ルヴェールの北平原。港町ウォロペアーレから商人たちの通ってくる主要街道に、海上交通路。鉱山都市ピラカミオンの砂礫地帯。魔法都市ノンノピルツでは周囲の森で異常が見られるという。アルトグレンツェとルチコル村は比較的そういった報告は少なかったが、ついに先日、ルチコル村の産業は打撃を受けるに至った。
そして魔物の襲撃が一番多いのは、彼女の治める城塞都市シュネーケンの近辺だ。
「あの女、侵略戦争でも始めるつもりかしら」
アンネローゼはそう言ってから、首を振る。
「違うわね。そんなメリットなんてない」
雪の女王ヴィルジナルその人を知る者は少ないが、その名は伝承に幾度か登場し、広く民草に知れ渡っている。
そして伝えられている内容の何割かでも真実なら、雪の女王はとうの昔に世界を支配しているはずだった。
事実、魔獣による襲撃報告は後を絶たないが、その多くは防衛側の戦力ギリギリで対処できるものだ。アンネローゼが侵略側なら、攻める時は勝つ時だ。ヴィルジナルは明らかな意図をもって、魔物の襲撃を調整している。
なにか、別の意図がある。
それに呪いのことについても何か知っている節があった。呪いを解明しようとしている彼女にとって、手にできる情報は是が非でも入手しておきたい。
「あの騎士、無理やり捕えさせるべきだったかしら」
もっとも業腹なのは、ヴィルジナルが脅威を抱いた存在が、シンデレラに仕える騎士だという事である。
シンデレラもその優位性を意識しているのか、こちらが譲歩したのに跳ねつけた。
――ああなると、シンデレラったら頑固なのよ。
「……気に食わないわ」
頭の中で再生した姉の声に、アンネローゼの面貌が美しく歪んだその時、部屋をノックする音が聞こえた。
「アンネローゼ様。エルギデオン、ただいま戻りました」
「入りなさい」
呼びつけていた部下の声に、アンネローゼは頭の痛い問題をいったん棚上げにした。表情を繕い、返事をする。
入ってきたのは、髪を切りそろえた少年だった。謹直に振る舞う彼の顔は、激戦を終えたあとでも品よく整って見える。鎧を脱いだ今は、名門貴族の子息と見まごう雰囲気をまとっていた。
実際、彼はシュネーケンでも有力な貴族の息子だった。アンネローゼとしては能力の高い者はすべからく適切な職務に付かせる。騎士の登用も実力に準じてだ。
だが、能力の上に権威という力も持っているのなら、それにこしたことはない。
「調査ご苦労だったわ。早速だけれど、お前には次の任務を与えるわ」
「御意!」
……少々堅苦しい、いや、とても堅物なのが玉に瑕だが。
「ヴィルジナルの話は言う必要もないわね? 近く、あの女の痕跡を探しに行ってもらうわ」
「ハッ! このエルギデオン、身命に代えましても必ずや!」
「でもその前に、ご両親に顔を見せに行きなさい」
「ハ……え?」
少年騎士が呆けた顔をした。思考が停止している。
「お父上から聞いたわ。最近は休日も帰らず、顔を見てないと」
「当然ではありませんか! このエルギデオン、殿下の剣と盾になると誓った時から、この身は死したものと家人に――」
そうねその気持ちは嬉しいわ。
でもお父上の権力も今は必要なの。
「いいから休暇を取り、帰りなさい」
いろいろ言いたい衝動を抑えて、アンネローゼは手短に少年騎士の口上を斬り捨てた。
「お前に拒否権はないわ。これは私からの命令なのだから」
「…………拝命、いたしました」
不承不承、ここに極まれりといった体の騎士に、アンネローゼは密かにため息を漏らした。
同じ年齢だが、彼女と違い、出会った時から一つも変わっていない。
「……まあ、休暇の途中で、あの女の痕跡でも見つけた場合は、勝手になさい」
気休め程度に言うと、ぱっと明るくなった顔で、「アンネローゼ様ッ!」とエルギデオンが目を潤ませる。
それを見て、アンネローゼは再び密かなため息を吐いた。口中で呟く。
「こっちはこっちで、けっこう疲れるわ」




