ウヴリの塔の謎
ローブや騎士鎧がもう動かないことを確認して、フヒトはエインセールたちと合流すべく歩き出した。
崩落――おそらくはローブの影が放った魔法によるものだ――の起きた場所まで戻ったところで、瓦礫の影から新たな異形が出てきた。
尾が大蛇と化した、巨大な緑の鶏――のような魔物だ。
フヒトは咄嗟に剣を抜きかけるが、それより早く飛来した矢が魔物の巨体に刺さった。魔物が苦鳴をあげたところに、銀鎧の騎士が間合いを詰めて斬りかかる。
エルギデオンだ。
「落ちろ!」
迫る少年騎士へと、魔物の尾の蛇が槍衾のごとき襲撃を仕掛ける。それを冷静に見切ってかわすと、逆にエルギデオンの剣が大蛇たる尾を両断する。
「ほう」
力と技。修練の跡を見せる動きにフヒトが声を漏らした時には、エルギデオンの剣が魔物にとどめを刺していた。絶命した魔物が倒れる。重たげな響きが瓦礫を揺らす。
「いやあ、見事なものだな」
肩で息をする少年騎士にそう言って近づくと、フヒトを認めた彼の目が鋭角に吊り上がった。
「貴様ァ! 今までどこに隠れていたっ」
「ふむ?」フヒトは眉を上げた。「人聞きが悪いな」
「うるさいっ。あのあと大量の魔物が上から降りてきたのだ! それを殲滅した頃にのこのこ現れるとは……貴様、それでも騎士か!」
「落ち着きなさい、少年」
たしなめる女声は、フヒトの死角から現れたイルゼのものだ。彼女の近くではエインセールも飛んでいる。
「そうですよ、フヒトさんにだって、魔物が襲いかかってきてたんですからっ」
「フン、その割にはほとんどケガもしてないではないか!」
エインセールとエルギデオンが怒鳴り合う。
「それは、フヒトさんが強すぎるからですよ! 貴方と違って」
「どうだかな! 強いならさっさとこちらの援護に来れたはずだっ。どうせ倒せず、走り回って逃げていたに違いあるまい!」
「むむ……」
半分当たってなくもないので、フヒトとしてもつらい言葉だ。
「いいか、シンデレラ様の騎士っ。これだけは言っておく!」
エルギデオンはそう言って、フヒトに詰め寄った。近づかれると、彼の鎧は昨日と同じく、魔物による傷跡が目立つ。剣の鞘も各所が摩耗していた。
「敵から傷を受けたことがないことを自慢する奴がいるが、俺に言わせればそんなやつは三流以下だ! 民のために最前線で命を賭ける、その覚悟を持った者に傷を受ける受けないなど関係ないのだッ。目の前の敵を親のカタキと思え! 刺し違えろ! むしろ貴様は野垂れ死ね!」
「どんどん滅茶苦茶になっていくぞ……」
少年の剣幕に押されながら、フヒトは彼の後方を指さす。
「傷を受けないなら、彼こそそうだろうが」
そこにはホッファがいた。周囲には赤い骨が散乱している。見たところ、かなりの数を倒したらしい。
フヒトたちの騒ぎは無視していると思ったが、気付いたホッファは鼻を鳴らして口元を歪めた。
「俺様は完璧だからな」
「完璧なホッファ様が怪我などするミスをするわけがなかろう! 貴様とは違う!」
「そんな無体な……」
明白な贔屓に、フヒトは肩を落とした。
「大体貴様っ、なぜ騎士の証である鎧を着てない! だから怪我するのだ!」
「ああ、それは全身で攻撃を知る――」
言いかけて、フヒトは少年の言葉を吟味した。
「もしかして、心配してくれていたのか?」
「なっ……なぜ俺がそんなことをせねばならん!?」
エルギデオンは一瞬狼狽えた顔をした。生真面目そうな顔が、己の失態を悔いるような、苦々しい顔でフヒトをねめつける。
しかしすぐに赫怒の表情となった。
「貴様のことなど俺の知ったことかッ。塔の中では協力してやるが、昨日のアンネローゼ様への不敬、忘れたわけではないからな!」
怒声を張り上げると、エルギデオンは踵を返した。二階に上がり始めたホッファを追って、階段を駆け上がる。肩をすくめてフヒトも歩き出す。
「はぅ~……戦闘中もずっとあんな感じで、うるさいです」
「そうだったのか」
「始終あんな怒鳴り声で、疲れないのでしょうか?」
エインセールが嘆息する。
「きっと、高血圧というやつですね!」
「コーケツアツ?」
「……って、オズヴァルト様が言ってました。よく分かりませんが」
「よく分からないのに自信たっぷりだな」
苦笑して、並んで歩くイルゼを見る。
「イルゼ殿は、怪我はなかったか?」
「ええ。問題ないわ」
言葉少なに応じると、イルゼは少年騎士の背へ視線を投げた。
「むしろ貴方が見当たらずに、彼が相当焦っていた気がするわ」
「ええっ、そうでしたか?」
エインセールに、イルゼはうなずく。
「背後が隙だらけだったもの。あまりに大きな隙だから、狙ってしまいそうだったわ」
「それは……貴女が後ろにいたからでは?」
エインセールの声に戦慄が混じる。
「イルゼ殿が背後にいても、緊張は解かぬようにしないとな」
フヒトもぼそりと呟いた。
一階での襲撃がうそだったように、以降の戦闘はなかった。道なりに進めども変わったこともなく、五階に続く階段の前まで来る。
「確か、この塔は五階建てだったか?」
「はい、次が最後ですね」
エインセールも拍子抜けした様子で階上を見上げる。さっきは危険を察知した彼女だが、この先にはそうした予感を感じていないらしい。
「でも、導きのランタンは上を示しています。登れば私たちの知りたかったことや、その手掛かりがあるはずです」
「そうあってほしいものだ」ホッファが吐き捨てた。「どの階を探しても、魔狼どころか、資料らしきものもなかった。できれば手ぶらは避けたいからな」
「怪しかったのは一階で見た靴跡と、妙に手強かった魔獣たちね」イルゼが思い出すように続ける。「あの魔獣たちは、この近辺では見かけないタイプよ。棲みついたにしても、最近まで先住していた魔物がいたはず」
とにかく上がろうということになって、階段を上った。登り切ったそこは他の階よりも天井が高く、そして異様に明るい。
奥の壁が大きく破壊され、開いた大穴から夕陽の光が塔内に差し込んでいた。
そして光に照らされる形で、巨大な質量が横たわっていた。
「竜の眷属か!?」
家ほどもありそうな巨体は、退化した翼をもつ竜だった。トカゲなどの爬虫類をそのまま大きくした様相に、禍々しいトゲが各所から伸び生えている。エルギデオンが慌てて構えるが、すぐに気付く。竜は死んでいた。
「ひゃわわわわ、首を食べられちゃってます……!」
見てしまったエインセールが青ざめるほど、凄惨で分かりやすい結末だった。竜の身体には大剣をはるかに凌ぐサイズの爪痕が残り、首には巨大な顎で食いちぎったであろう跡がまざまざと残っていたからだ。そして傷のある場所は、不気味な色に変色している。
「同じくらい大きな存在と戦って、敗れたのね」
イルゼが近づいて確認する。
「自然腐敗がまだ少ない。死んでから日数がほとんど経ってないわ。臭いが薄いけど、肉食の鳥が食べに来ないのは、爪痕から毒がまわっていたせいね」
「時期的に、『灰色の古狼』がやった、といったところだな」
ホッファが言って、穴の開いた壁を見る。ちょうど竜や古狼が通れそうなくらいの大きさで、断面の建材は外向きにひしゃげている。何より、断面の建材自体が他の部分より古びていなかった。
穴が開いたのも、かなり最近だ。
「昨日、ここに魔狼がいて、棲んでいた竜を殺して出ていった、ということでしょうか……」
エインセールが呟いた。
魔狼はウヴリの塔に封じられていたということだから、あるいはこの場所がそうだったのかもしれない。
気にかかるのは、なぜ封印が破れたかということだが……
「なあ、これは何かわかるか?」
フヒトが竜のすぐ近くの壁を指さす。絵のような図式とともに、奇妙な文字が並んでいる。エルギデオンがそれを見て、眉を寄せた。
「魔法の研究資料か? 塔の年代を考えれば古代文字のような気もするが……イルゼ殿は?」
「私には分からないわね」
「フン……」
ホッファが鼻を鳴らす。視線が集まる中、彼は懐から手鏡を取り出した。フヒトがシンデレラからもらったのと同じ、魔法の手鏡だ。
「こういうことは、白雪姫の方が判断に長けている」
「つまり、読めぬのだな」
フヒトの確認に、ホッファは少し不機嫌な顔をした。
「フヒトさん、私たちもシンデレラ様に見てもらいましょう。シンデレラ様の治めるルヴェールは、学問に秀でてますし!」
「そうだな」
対抗するように言ったエインセールに、フヒトもうなずいた。手鏡を取り出す。エルギデオンが慌てた。
「ホッファ様、保守派に先を越されてはアンネローゼ様の不興を……」
「呪いの調査を優先している以上、すぐには出れんはずだ」
そして彼の言った通り、先に応答があったのはシンデレラだった。
『やぁ、二人とも無事のようだな。塔の調査は進んでいるだろうか?』
「そのことだが、話しておきたいことがある」
かいつまんで状況を話し、問題の文字へと鏡を向ける。
「これがそうなのだが、どういったものか分かるだろうか?」
『……フム。確かにこれは古代文字の類だな』
返ってきたのは、色よい声だった。
『多少であれば読める。どうやら人工的な魔力の結晶を作るようだが……』
「それって、ローズリーフのようなものでしょうか」
エインセールの声に、鏡の中のシンデレラもうなずいた。
『そのようだ……でかしたぞ。製造方法が分かれば、ローズリーフより強力な魔除けを作れるかもしれない』
続きを読もう、とシンデレラが文字に目を走らせていく。
『製造方法……材料……人の意識を睡眠状態にし……その魔力を……なんだと!?』
「どうした?」
息をのむ姫の声にフヒトが訝しんだ瞬間――変化が起きた。
文字の刻まれた壁に、突如として亀裂が生じる。
「え、一体何が……」
「エインセール、離れろ!」
フヒトがエインセールを抱えて飛び退いた直後、壁の亀裂から表面を破壊し、何かが飛び出してきた。
無数の氷の棘だ。霜柱のようなそれは成長し、剣山のようなサイズにまでなってようやく動きを止める。
当然、壁面は粉々となり、もはや意味をなさない細かい破片となってしまっている。
「今のは……魔法か!?」
エルギデオンが目を瞠る。氷の剣は正確に文字のあった壁のみを破壊している。そして直前まで誰も気づくことがなかった。魔法であれば、恐ろしく精緻で強力なものだった。
「それはあくなき人の業。見るのはおよしなさい」
その声は、冷たい風とともに聞こえてきた。
全員の視線の先、大穴からのぞく夕陽を背景に一人の女性が立っている。
彼女の纏った気配にその瞬間、太陽すら凍り付いた気がした。