ウヴリの塔・内部
「うう、じめじめしていてカビ臭いです……」
エインセールがそう評した通り、ウヴリの塔の中は湿り気を帯びた冷気がこもっていた。壁や天井には植物の太い茎が這い伝い、塔の中でぼう、と揺らめく灯りの中で葉を伸ばしていた。
「この光はなんだ? 誰か点けたのか?」
「たぶん、魔法による灯りです。空気中のわずかな魔力を吸い取って、長い時間光り続けるものなのだと思います」
「便利なものだな」
フヒトの言う通り、等間隔に道を照らすそれのおかげで視界が確保されている。棲みついているという魔物が襲ってきても、素早く対処できそうだった。
「誰か最近、ここに来たみたいね。足跡があるわ」
イルゼがしゃがみ、コケや泥で汚れた地面を示す。
「複数人のものがあるみたいだけれど、ひとり女性がいるようね」
「そんなことも分かるんですか?」
短い時間で言ってのけた彼女に、エインセールが件の足跡のところまで飛んで行く。しかし、やはり分からないらしく首を傾げてフヒトの元へと戻ってきた。
「足跡らしい物は分かりましたが、それ以外は全然です……」
「当然だ! イルゼ殿は、そういった知識や経験をアンネローゼ様に買われ、村に派遣された人材だからなっ」
エルギデオンが小馬鹿にしたように言ったのち、イルゼに言う。
「しかしイルゼ殿。定期報告がこないと、アンネローゼ様が仰っていましたよ」
「定期報告なら、この前送ったわよ」
「あんなの再提出に決まっているでしょう!? 魔物の骨だけではないですか!」
「……もしかして、捨てたの?」
「当然でしょう!」
エルギデオンに言われ、イルゼは力が抜けたようにしゃがみ込んだ。
表情の動きは相変わらず乏しいが、よく見れば愕然と目を見開いている。
「ここひと月で仕留めた、一番立派な魔物の骨だったのに……」
「そういう問題ですか……?」
エインセールが珍獣でも見ている目つきで呟く。
「やはりそこは、一筆添える必要があったのだろうな」
フヒトが慰めの言葉を放って、場に沈黙が訪れた。
「おい……待て」
「なんだ?」
エルギデオンとフヒトの目が合う。
「今、一瞬うなずきかけたが、魔獣の骨の説明をしたところで意味はないからな!?」
「な……アンネローゼは魔物の生態報告を求めていたのでは」
「そんなワケあるか!? そんなものは研究者がすればいいだろうがっ」
フヒトにそう怒鳴ってから、エルギデオンの目が烈火のごとく燃え上がった。
「アンネローゼ様を呼び捨てにしたな……殺す」
「あ……すまん。うっかり」
「『スマン』では済まんわ!! やはりホッファ様に刃を向けたとき、斬っておくべきだった!」
「いきなり斬りかかってきたのはそっちじゃないですか!」
「うるさい! 問答無用だッ」
少年騎士が構える。フヒトもまた剣を抜き払った。エルギデオンが笑う。
「面白い、やる気になったか!」
「フヒトさん! いくらなんでもこんな理由で戦いなんて……!」
「いや、来たぞ? 向こうから」
エインセールの声に、フヒトがエルギデオンのさらに向こうを指さした。
『え?』
仲良く声のそろった妖精と少年騎士が振り向く。そこに上階への階段があった。
乾いた音がして、石の階段を何かが下りてくる。
「スケルトンか」
今の今まで全員を無視していたホッファが、剣と盾を手に現れた人の骨を見て呟く。明かりの中、しっかりとした足取りで進む骨の魔物は、その全身が奇妙な赤色に変色していた。
「“魔”を帯びてるわね」
イルゼがそう言ったと同時、赤い屍がやにわに走り出した。剣を振り上げ、先頭にいるホッファに突進してくる。
「フン」
ホッファが小さく鼻を鳴らすと、双剣の柄を握る。転瞬、二条の蒼が閃光となってほとばしった。高速の斬撃を、しかし赤いスケルトンは身を屈めてやりすごすと、足を薙ぐように剣を旋回させてくる。
「なに」
軽い驚きをにじませたホッファが地を蹴って斬撃をかわす。着地するのと、スケルトンがゆらりと立ち上がるのは同時だった。
「魔物風情が……」
ホッファが舌打ちする。
「ひゃわわわわ、大変です!」
エインセールがそこで、悲鳴を上げる。
「危険が近づいてます!」
「当たり前だっ、目の前にいるではないか!」
エルギデオンも厳しい顔で、いつでもホッファの援護ができるよう立ち位置を変えながら叫び返す。
「違います、その魔物も危険ですけど……」
「エインセール?」
彼女の様子がおかしいことに気づいて、フヒトが訝しむ。
「どういう意味だ」
「同じくらい危険な感じが、近づいてきてるんです!」
エインセールの悲鳴と同時、フヒトたちの天井が轟音を立てて崩れてきた。