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赤ずきんリーゼロッテ

 刃物のような巨大な爪が、空を切り裂いて迫ってきた。

 間一髪、獲物にされた彼らはそれを避ける。しかし代わりに、爪は盾にした木の幹を深々と穿ち、なぎ倒してしまった。

「アイツ……オレたちの大事な木を!」

 悔しそうな声をにじませたのは、赤毛の少年だ。たった今倒されたのは、彼らが受け継いで、大事に育てていた木だった。彼の生まれる前から実をならし、毎日見回っては守ってきたものだった。それが一瞬で無残に切り裂かれ、収穫前の果実をまき散らしていく。

「ヘンゼル、今はこらえて」

 先頭を走るのは赤い衣の上から弓と矢を背負う少女。ルチコル村の「姫」リーゼロッテだった。手にした短剣を振って、隙あらば襲いかかろうとする狼型の魔物たちを牽制する。

「リーゼお姉ちゃん、危ない!」

「そらっ」

 ヘンゼルとリーゼロッテの間で守られていた女の子が声を上げ、ヘンゼルが石を投げた。それがリーゼロッテの死角から飛びかかろうとしていた一頭の顔に当たり、魔物は悲鳴を上げて離れる。

「ありがとオランジュ!」

「うん。で、でも……」

「クソ、これじゃ村に帰れないな」

 果樹園から村へと続く小道は、魔物であふれかえっていた。いずれも敵意をむき出しにしてこちらを威嚇してくる。木々の上からも鋭い光が見える。通り抜ける隙間はなさそうだった。一種壮観ともとれる光景に、リーゼロッテも呻く。

「うわぁ……話が通じる様子じゃないね」

 ルチコル村の住人にとっては当然のことなので、普段は意識しないが、周辺の動物や魔物の一部とは意思の疎通ができる。おかげで棲み分けができ、魔物が多数生息する森と接していても、その被害は一年を通してもほとんどない。

 聖女が倒れ、季節外れの冷気を感じたあたりから魔物が凶暴化したが、それでも他の都市と比べれば安全な場所――の、はずだった。

「やっぱり、アイツのせいじゃないか」

 ヘンゼルが背後をにらみつける。視線は見上げる形。

 倒れた木と同じくらいの高さに、巨大な魔物の頭があった。

 全身の毛が、灰を被ったような色をした狼だった。人より何倍も大きいその身体が移動するたび、太い木の枝が折れくだけ、微かな振動が足から伝わってくる。

 妖精たちの古い伝承に出てくる魔物、灰色の古狼。

 種類の違う魔物がリーゼロッテたちを一斉に威嚇するのも、それでいて襲いかかろうとしないのも、灰色の古狼が魔物たちを統率しているからだ。

 そして魔物たちの一部がルチコル村の方へ向かったのを、リーゼロッテたちは逃げながらも目撃していた。

「村、大丈夫かな」古狼の迫力にオランジュが震える小声で言う。

 リーゼロッテが妹に笑いかけた。

「大丈夫だよ。騎士のみんなもいたし、アンネだって今頃助けに来てくれてるはずっ」

「だな。その前にグレーテルが片っ端からかまどに放り込んでるだろうさ……伏せろっ」

 灰色の古狼から逃れるべく、密になった木の間を走っていた三人の頭上を、獣の爪が薙いでいく。木々のくだける音がして、三人の上から木くずや枝が降ってくる。悲鳴を上げるオランジュを立たせて、二人はすぐさま走るのを再開した。

 向かう先には、丸木小屋がある。リーゼが舌を噛まないよう叫ぶ。

「あそこ、確か地下があったよねっ?」

「ああ! 壊されるより早く逃げ込めばなんとかなると思うぜ」

 問題は、小屋が開けた場所に建ててあることだった。

 このままだと、木々がまばらになった途端、追いつかれてしまう。

「……よし。リーゼ、先行っといてくれ」

「ちょっとヘンゼル、どうする気!?」

 立ち止まったヘンゼルに、リーゼが振り返る。

「二人が着くまでアイツの気を逸らしておく。走るなら俺一人の方が速いしな」

 手にした石を放って掴むと、ヘンゼルが追ってくる古狼の方へと引き返した。制止しようとしたリーゼロッテだが、手を握った妹に視線を落とすと、小屋へと走り出す。

「お姉ちゃん、私のせい?」

 オランジェが言った。

「私が、果樹園に行きたいって言ったせい? ごめんなさい」

「ううん、そんなこと絶対にない!」

 強く返して、リーゼロッテが走る。小屋まであと少し。そこで魔物たちが現れ襲いかかってきた。

「どいて!」

 リーゼロッテが声を張り上げた。

「どかないと、本気のグーで殴るよ!」


 魔物の攻撃を振り切って、小屋にたどり着いたリーゼロッテが扉を開ける。

 ヘンゼルの声が聞こえたのはその時だった。

「お姉ちゃん!」

 オランジュの悲鳴に振り返ると、灰色の古狼がいた。

 その口にくわえていたヘンゼルを、地面に落とす。

「ヘンゼル!」

 叫んだリーゼロッテだったが、呻くヘンゼルを見て少しだけ安心する――まだ生きてるらしい。

「お姉ちゃん、どうしよう……ヘンゼルが」

「オランジュ、地下の扉を開けて、いつでも入れるようにしといて」

 走り進んだリーゼロッテが短剣を捨て、弓を手にし、矢をつがえる。

「ヘンゼルは私が助ける」

 狙いを定められた灰色の古狼が、目を細めた。明らかに嘲笑っていた。

 ――分かってる。これは罠だって。

 あの魔物は、二人とも食い殺す気だ。

「でも、それでも見捨てるなんて私がするわけがない!」

 矢を放とうとするリーゼロッテ。同じく、足の力をたわめていた古狼が口を開け、一気に飛びかかろうとする。

 その鼻先に忽然と何かが出現した。

「ひ、ひゃああああああ!?」

 妖精の悲鳴。

 直後、灰色の古狼は苦痛の声をあげてのけぞった。

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