呪われた森で
教会の村 アルトグレンツェ
「オズヴァルト様、大変です!」
オズヴァルトと呼ばれた青年は、手にした本から顔を上げた。エインセールが慌ただしくこちらへ向かってくる。
「やあ、エインセール。どうしたのかな?」
「大変なんです、オズヴァルト様!」
エインセールはオズヴァルトの顔の前で止まると、もう一度同じことを言った。
「さっき、ハイルリーベから来た人と出会ったんです!」
「……フム?」
オズヴァルトがその言葉に、微かに眉を寄せた。
「それは本当かい?」
「えとえと、本人からちゃんと聞けたわけではなく、可能性としてなのですが……」
「構わないよ。そう思った理由を詳しく話して」
分かりましたと言って、エインセールが話し始めた。
「さっき、いばらの森で倒れた人を見つけたんです。介抱している最中に魔物に襲われて、でもその人が助けてくれて――」
アルトグレンツェ南方、いばらの森ロゼシュタッヘル
「――きて」
誰かに呼びかけられたような気がして、彼は自分の意識に光が灯るのを感じた。薄暗い光だ。暗い場所にいるのだと分かる。背中の感触からおぼろげに、自分が横たわっていることも分かった。
身体が重い。途方もなく長い道のりを旅したゆえの疲労だ。
……旅?
なぜそんなことをしている。
自分に問いかける。理由が思い出せない。ただ、そうしなければいけなかったのだとは分かる。断言できる。
しかしなぜ断言できるのかは皆目、見当がつかなかった。
「――きて、起きてください!」
すぐ近くで声がした。
少女のものであった。それまでの思考が吹き飛ぶ。
顔に感じるのは、吐息だ。
そう思った瞬間、起き上がっていた。
「ひゃわわわわ!?」
驚き慌てる声。額に何かがぶつかる感触。続いて悲鳴。
「……だれぞ、いるのか?」
問いかけ、フヒトは額に手をあてる。覚醒し始めた目で周りを見れば、そこは森だった。
どこもかしこも木々が果てしなく続いており、密に育った葉は夜かと思うほどに、太陽の光を覆い隠している。わずかな木漏れ日で見えるのは、木々の合間で繁茂する雑草や、見たこともない植物――そしてそれらに巻き付く茨の群れ。
なんだここは。
初めて見る森だった。鳥や虫の声が一つもしておらず、耳鳴りが頭を揺らす。空気はよどんでいて、冷たい。氷が身体に根差すような感覚に、フヒトは顔をしかめて体をさすった。
「狩りをするにも最悪の場所だな――」
――狩り?
自ら呟いた言葉に疑問が生まれる。
――俺は何を言っている……?
「いたたたた……」
声が、彼の意識を現実に引き戻した。
さきほどの少女の声だ。
「もう、いきなり動くからびっくりしたじゃないですか!」
「どこだ、いずこからしゃべっている?」
声は近い。そのはずなのに、その主の姿はどこにも見えなかった。
「声からして小童か。妙な真似はせず出てくるがよい」
「……なんだか、妙な話し方の人ですね」
姿なき声には、訝しげな調べがのっていた。
「それより、私はここです。ずっとあなたの前にいますよ!」
「なに?」
「あ、もう少し下です。下を見てくださーい」
言われた通りフヒトが視線を下にやれば、確かにそこに人がいた。
いや、それを人というには語弊があるだろう。
地面に投げ出すように開かれた、フヒトの両足のあいだ。そこにいたのは、広げた手よりも少し大きいくらいの少女であった。
緑色の服に包まれた身体からは蝶の羽があり、それが手にした灯りを受けて煌びやかに輝いている。輝きは一様ではない。空にかかる虹のような色めきがたゆたい、羽がはためくたび鮮やかな色の移り変わりを見せていた。
――なんだこれは。
生まれて初めて見た存在に、フヒトは声も出せず、見つめるのみとなっていた。
「初めまして、私はエインセール」
「えいん、せえる……?」
「見ての通り、かよわい妖精です」
かよわいようせえ?
笑顔で自己紹介をしたエインセールだったが、珍妙な顔のまま動かなくなった彼の様子に、徐々に不安そうになっていく。
「あの、私の言ってること、分かりま――」
「ああ、そうか!」
言葉の途中で突然大きな声を出すフヒト。エインセールのつぶらな目が丸くなった。
「そなた物の怪か!」
「も、もののけ?」
合点が言った様子の彼だが、エインセールは発せられた言葉の意味が分からず、首を傾げた。
「いえ、私は妖精――」
「おおかた、蝶の物の怪であろう」
「――なんとなく、それ、悪口ですよね?」
ニュアンスから感づいたのか、エインセールの顔が憮然とする。フヒトはうなずいた。
「こんな気味の悪い森におるのだ。きっとそうに違いない」
「失礼なこと言わないでください! そもそも、森がこんな風になったのは、例の『呪い』が蔓延したからで……?」
エインセールの言葉が途切れた。
近くの下生えが、前触れもなく大きく揺れたのだ。
「なんだ?」
「そそそそうでした! この辺りは危険なんです!」
エインセールが羽をはためかせ、フヒトの顔の前に飛び上がった。かなり狼狽えている。
「立てますか? 早くここから離れましょう」
「猪でもおるのか?」
彼女の様子に、フヒトが訳が分からないながらも腰を上げた瞬間。
それが下生えを飛び出して、二人へと向かってきた。
キャラぶれ、地の文や句読点の不備等多々あるかもですが、締め切りも近いので、のちのち大幅に書き直すのを前提にとにかく進めます。