閉ざされた里と、ユスティーネ
気が付くと地面から、人ひとり分ほどの高さを落下していた。フヒトは急加速して近づいてくる草色の地面に、すさまじい勢いで叩きつけられた。肺からごっそりと息が絞り出される。肌に感じるのは湿気を含んだ冷たい空気で、視界には先も見通せぬ霧があった。
「フヒトさん、大丈夫ですか!?」
エインセールの声に手を上げて応え、ようやく息を吸った。衝撃は身体に残っていたが、立ち上がる。
「エインセール、空気って物凄くうまいぞ」
「……フヒトさんって、やせ我慢が多いですよね」
足がおぼつか無いフヒトに呆れた視線を落とした後、エインセールはその視線を転じた。森の中に生じた小さな広場……しかし彼女の知ってる光景では、こんな濃密な霧などなかった。
「おかしいですね。この場所は風や森の妖精たちが集まるので、こんなに静かなはずがないんですが」
「よく似た別の場所ではないのか?」
「それはあり得ないです。それに、いくつか咲いている花にも見覚えがあります」
「それは妙な話だな」
フヒトの手がサーベルの鞘を掴む。何かの気配を前方に感じたのだ。ゆっくりとこちらに近づいてくる。
「そこにいる大きな影は人間? 迷い込んじゃったの?」
霧の向こうから女の声が聞こえた。警戒心のない声にフヒトはおやと思うが、エインセールの反応の方が大きかった。
「その声はティーネですか!?」
「あら、エインもいるの?」
近づいてきていた気配が、ようやく見えるようになった。
霧の中から現れたのは、エインセールと同じ妖精だった。暖色系の大きな羽を生やし、長い白銀の髪が伸び、踊り子のような赤い衣をまとっている。大きさを除けば、妖艶さを備え始めた大人の女性だった……あくまでエインセールと比べれば、だが。
「アンタがここに来るなんて珍しいじゃない」
「ティーネこそ、どうしてこんな遠くに」
「知り合いか?」
フヒトが聞いた。二人の会話は、勝手知ったる者同士のそれだ。なんとなくエインセールが気まずそうな顔をしているのも気になった。
「……彼女はユスティーネ。オズヴァルト様に仕える炎の妖精です」
「ついでに、そこのエインの姉よ。よろしくね、剣士さん」
「ほう、姉妹か」意外な情報に、フヒトの眉が上がった。「あまり似てないのだな」
「そうね。司る物事が違うってのもあるけど……エインってちょっと堅物だからね」
「ティーネがあけっぴろげなだけでしょう! そんなことより、自分の主をほっといて何をしてるんですか?」
ちょっとトゲのあるエインセールの声だが、ユスティーネは気にした風もなく手にした袋をぷらぷらと揺らした。
「別にサボってるわけじゃないのよ? オズったら最近疲れがたまってるみたいだから、これを探しにきてたの」
「それは?」フヒトが聞いた。
「ある植物の花粉よ。これを混ぜた料理を食べれば、象だって鼻歌まじりで踊り出しちゃうくらい、疲れがとれるって話らしいわ」
「危ないモノにしか聞こえませんよ!? しかも伝聞形じゃないですか!」
「大丈夫大丈夫。彼、あれでいてジジイだから、ちょっとくらいキツイ方がよく効くわ、きっと」
「全然大丈夫に聞こえないんですが……というか、自分の主をジジイ呼ばわりしてるし」
呆れたのかため息を吐くエインセール。
「それで、今も花粉を集めてたんですか?」
「ううん。必要な分はとれたんだけど、大妖精のババアが急に里に結界を張っちゃって、出れなくなったのよ」
「大妖精様までババア呼ばわり!? 張っ倒されますよティーネ!?」
エインセールのツッコミ内容も気になったが、フヒトは結界の単語に引っ掛かりを感じた。
「この霧は、結界のせいか……よくやるのか?」
「滅多にないわね。なんでも古狼が目覚めたらしくて、森の魔物が活発化しているらしいわ。その被害を受けないようにって……って、みんな怖がってもっと遠くに逃げちゃったんだけどね」
「古狼って、もしかして『灰色の古狼』ですか!?」
エインセールの顔が見る間に青ざめていく。
「大丈夫か、エインセール? その古狼とやら、そんなに危険なヤツか」
「妖精の間ではすごく有名です」
「悪い意味で、だけどね」
ユスティーネが合の手を入れる。
「なんでも妖精を食べて成長するらしいわ。昔、無防備だった里が襲われて、みーんな食べられちゃったって……」
「それ以上は言わないでください!」
エインセールが叫ぶ。
「ああ、アンタこの話嫌いだったわね。とにかく岩より大きくて、凶暴なやつって話よ。魔物も従えちゃうから、ずっと昔にウヴリの塔に封じられたはずなんだけど」
「……もしかして、ルチコルの襲撃も『灰色の古狼』のせいなんでしょうか」
「そうかもしれないな」
ならばなぜ目覚めたのかが気にはなるところだが、実際に村が襲われている以上、真偽を確かめる必要がありそうだった。
「それにしてもティーネ……神経が太いのか知りませんが、さすがに避難した方が良いのでは?」
「あら、エインが私のこと心配してくれるなんてね」
笑うユスティーネにエインセールは「むしろその危機管理のなさを心配してるのですが」と疲れた顔をした。
「でも、私も好きでいるわけじゃないわ。ここから出るにはこの里にある『白露の石』が必要で、それが一定数以上ないと外には出れなくなっているのよ」
「なに!?」
「ええっ、それじゃあ私たちもそれを集めないと……」
「出れないわね、一生」
しれっと答えるユスティーネ。
どうやらルチコル村に向かうには、もうしばらく時間がかかりそうだった。
薄い気もしますが、このまま書き進めます。