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テーマ短編 '14

うそ、ほんと

作者: 木下秋

 綺麗な水色だった。

 俺は水色が好きだった。

 小さかった頃、濃い青色の絵の具に白い絵の具を混ぜたら綺麗な水色ができて、すごく、嬉しかったのを覚えてる。

 俺の絵の具セットからは、青と白が、他のどの色よりも早く無くなった。

 だって俺は水色が好きだったし、紙いっぱいに空を描くのが好きだったから、だから。

 空は、昨日の豪雨が嘘だったかのような、雲一つ無い、透き通った水色だった。

 俺はそんな水色が、本当に好きだった。

 深く息を吸い込んで、吐き出す。

 昨日の雨が、空気中の不純物を全て洗い流してくれたようで、気持ちが良かった。

「わぁっ!」

「うおぉ!? びっくりしたぁ……」

 突然大きな声がしたので、俺は驚いた素振そぶりをしてみせた。

 でも、嘘だった。俺はまったく、驚いてなんかいなかった。

 彼女は、あやはいつも通りに、俺の驚く顔を見て、笑った。

 彩はいつもこうやって、俺を驚かせた。後ろからやってきて、「わぁっ!」って大きな声を出して、俺の肩をトンッ、って叩いて。

 毎日、毎日。一日に、何回も。俺はその度に、驚いたフリをした。

 そしたら彩が、笑ってくれるから。

「あははっ。待った?」

「ううん。ぜんぜん」

 これも、嘘だった。俺はもうここで、三十分以上待っていた。

 でもだからといって、本当のことを言って、彼女に謝らせるようなことはしない。

 彼女に無駄な罪悪感をいだかせてしまうようなことは、しなくていいんだ。

 行こっか、と言って俺が歩き出すと、彩は「うん」と返事をして、隣に並んだ。

 二人並んで帰るのも、今日で最後だ。明日は卒業式だから、両親か部活の友達と、帰るだろうし。

 思えば、小学校の頃から数えて九年か。彩と、出会ってから。

 小学校の時は、六年間ずっと同じクラスだった。初めて座った教室の席で、彼女は前の席だった。

 “一目惚れ”だった。教室に入ってすぐ、目が釘付けになった。目がクリクリッと大きくって、髪はまっくろサラサラで。肌は雪のようにまっしろで。まるで、アニメのキャラクターがそのままテレビから飛び出してきてきたみたいだった。彩は、俺の初恋の人になった。

 これは後から知ったたことだけど、彼女の母親はモデルをやっていたらしい。授業参観の時なんかにたまに見ることがあったけど、確かに綺麗な人だった。遺伝、ってやつなんだろう。

 俺はとにかく彩と話したくって、「えんぴつわすれちゃったから、かして」って話しかけたんだ。初めての授業の時に。彼女の肩を、トントンッ、って叩いて。

 彩は筆箱から鉛筆を一本取り出すと、俺に「はいっ」って言って渡してくれた。その後、前に向き直った彼女は、自分の消しゴムを半分ちぎって、それも渡してくれた。「あげる」って言って。

 俺は、心が痛んだ。鉛筆を忘れた、っていうのは、嘘だったんだ。

 彩とはすぐに仲良くなって、学校が終わると一緒に帰った。その帰り道が何よりも、一日で一番楽しみな時間だった。

 中学校に入ってクラスが変わっちゃったけど、中二ちゅうに中三時ちゅうさんじのクラス替えではまた同じクラスになった。彼女はテニス部に入ったから、一緒に帰る機会はぐんと減った。でもたまに、本当にたまに、彼女の部活が休みの日があると、一緒に帰った。

 俺はそんな時には、前もって考えておいた、彩の好きそうな、笑ってくれそうな話をした。その話っていうのは大抵誇張たいていこちょうされた実話で、嘘まじりの話だったとも言える。でも、そんな話でも、彼女は腹を抱えて笑ってくれた。彩に笑って欲しくて、彩の笑顔が見たくって、彩の気持ちのいい、カラッとした笑い声が聞きたくって。俺は一生懸命だった。

 彼女は笑い終えるとよく、「やっぱまことの話はおもしろいね」って、言ってくれた。

 そんなことを言われたら、俺は嬉しくって。本当に、本当に……。嬉しかった。

下駄箱げたばこの所でともちゃんに捕まっちゃってさ。ちょっと話してたの。私、慎が待ってるから早く行きたかったんだけどね、ともちゃん話し出すと止まらないから……ん? どうしたの?」

 俺が目尻に溜まった涙を指で拭いながら、鼻をすすったのを、彩は見逃さなかった。

「いや、花粉がさぁ。今日、すげぇ飛んでる」

 嘘だった。

 俺は今までにあった、彩との色々な出来事を思い出していた。そしたら、涙が出てきてしまったんだ。

「そっかぁ。慎、花粉症ひどいもんね。私は花粉症じゃないからよくわかんないけど、もう飛んでるんだぁ。でも今年はね、去年に比べたらそうでもないって。昨日ニュースでやってたよ」

「マジ? よかった」

「うん」

 人気ひとけの無い、静かな住宅街を、二人で並んで歩く。

 それはいつもの、帰り道だった。

 今日、学校は卒業式の練習しかなくて、今はたぶん、一時くらい。

 陽光ようこうは暖かくて、吹き抜く風は涼しかった。

「明日、卒業式だね」

 彩が、ぽつりと言った。

「うん」

「私ね、明日は泣かないよ」

「えぇえ!? うっそだぁ!」

 俺はおどけた調子で、からかうように言った。

「ほんとだもん!」

 彩は笑いながら返す。

「だって小学校の卒業式の時はすげぇ泣いてたじゃんか」

 それだけじゃない。小学校四年生の時、学校の授業の一環でミュージカルを観に行った時も。五年生の時、友達が転校しちゃった時も。この前の合唱コンクールでクラスが優勝した時も。

 彩は泣いてた。俺は彩の泣いている所を、何回も見たことがあった。

 涙を流す彩の横顔は、本当に美しかった。

「いや、明日はね。泣かない」

 微笑みながら、きっぱり言い切る彩。

 そんなこと言って、でもやっぱ泣くんだろうなぁ、なんて思う。

「そっか」

 それでも俺は、それ以上は追求しなかった。彼女がそう言うんだから、そうなんだろう。

「……今日は慎、静かだね」

「そうかな」

「うん」

「俺にだって、そんな気分の日はあるさ」

 俺はもう、嘘をつくのが嫌だった。

 口を開けば、嘘がこぼれ出してしまう。もう嘘を、つきたくなかった。

「高校……どうして違う所にしたの?」

 ドキッ、と胸が高鳴った。

 俺は空を見上げながら、言う。

「いや、俺には光才こうさいは向いてないかな、って。思ってさ。ほらあそこ、校則厳しいらしいからさ」

 でも、これも嘘だった。

 彩含めて、うちの中学からは近くにある光才高校こうさいこうこうに進学する人が多かった。

 でも俺は自分で選択したんだ。そこには行かない、って。

「そっか。慎も、光才行くんだと思ってた」

「俺は俺でがんばるからさ。彩は将来、“お花屋さん”になりたいんだろ? がんばれよ」

 彩は小学校一年生の時から言っていた。“お花屋さん”になりたいって。それは今でも変わっていないようだった。俺のこの言葉は、嘘じゃなかった。純粋に、彼女の夢が叶いますように、とおもった。

「うん」

 彩は前を向いたまま、頷いた。

 もう少しで、彩の家だった。

 この道をまっすぐ行って、路地を曲がれば、そこにある。

「違う高校行ったらさ、もう会わなくなるのかな」

 少しさみしそうに、彩が言った。

「いや、なんだかんだ言って、結局また会うだろ」

 嘘だ。俺は高校に入ったら、もう彩と会うつもりはなかった。

 でも俺は、彩のさみしそうな表情を見るのなんて、耐えられなかった。

「そうだよね」

 確認するように、彩が言う。

 路地の入り口で立ち止まる。

「じゃあ、また明日ね」

「うん。じゃあ」

 バイバイ、と手を振って、彩が行く。行ってしまう。

 家に入るまで、俺は見ていた。彩は扉を開け、中に入る直前にこちらを見て、もう一度手を振った。

 俺も手を振り返した。扉がバタンと音を立てて、完全に閉まる。俺は元来た道を引き返した。

 ごめん、彩。この道の先に、俺の家があるっていうのは、嘘だったんだ。

 俺は九年前、彩と一緒に帰るために、嘘をついた。同じ方向だって。俺の家は本当は、真逆の所にある。

 今まで君に、どれだけの嘘をついてきたんだろう。

 彩と付き合いたいと思ったことは無かった。この友人関係が壊れてしまうのが怖かったというのもあるけど、何より、彼女は美しすぎた。

 容姿が、というのもあるけど、それだけじゃない。なにより精神が、心が美しかった。

 嘘つきで、何も誇れるものを持っていない俺じゃ、君とは釣り合わない。俺じゃ、君を幸せにしてあげられない。

 わかっちゃいるのに、君に会うとどうしても、俺は君とずっと一緒にいたいって、叶わない夢を見てしまう。

 だから、俺は、もう君には会わない。

 俺は君とは違う高校に行って、君じゃない人のことを好きになる。

 もうこの道を、俺はもう二度と歩かない。なぜなら歩けば、思い出してしまうから。

 二度と歩かない道を、一人まっすぐに歩いた。


 でも、でもね、彩。


 君のこと、本当は、


 本当に、


 本当に

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― 新着の感想 ―
[良い点] なんか可愛い男の子ですね。 どうしても彩と一緒にいたかったんだな…… [気になる点] 終わり方寂しすぎます…(泣) 何でもう会わないって決めたのかがちょっと分かりにくかったかもしれないで…
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