元通りの第1王子
ラヴィは胸の前で指先を弾いた。
パチンッ
小気味のよい音を空虚な広場に響かせて、暗殺者と第1王子は商人に歩み寄っていく。すれ違う時にミシェルが声をかけようとしたが、一瞥もくれない第1王子に怯んで、結局かけられずに唾を飲み込んだ。レイシーが憎々しげに舌を打った。
「フェル。」
第1王子は商人に手を貸して、彼を立ち上がらせると、
「ここまで、私を手助けしてくれて、本当にありがとう。――――――しかし、私は、ここに残ろうと思う。」
はっきりと宣言した。
戸惑ったのは商人の方だ。昨夜は散々、出国したいと言っていたのに、どういう心境の変化だろうか。
「えっ? で、でも、せっかくここまで来たのに・・・」
「あぁ、お前には苦労ばかりかけたのに、すまない。」
「いえ、僕は、そんな、苦労なんて・・・――――――」
首を振る商人から目を逸らし、どこか遠いところを見上げる第1王子。
「・・・いろいろと迷惑をかけた。いろんな人を傷付けた。・・・悪かったことと良かったことを足し引きしたら、今の時点では、マイナスでしかない・・・。それをプラスにできるかどうかは、私の、これからの行動次第だ。だから、私は残る。」
第1王子の胸中に何があるのか、何を決意したのか、商人には分かり得ない。商人は黙って彼を見つめていた。
第1王子が商人を見、微笑んだ。空と同じ、少し白く霞がかったような蒼色の瞳には、穏やかな光が湛えられている。
(もう、納得したんだな・・・。)
彼の中で結論が出ているのなら、自分に出来ることは何もない。フェルもまた微笑んで、頷いた。
「わかりました。それじゃあ・・・――――」
「―――あぁ。さよならだ、フェル。本当に・・・ありがとうな。」
第1王子が手を差し出し、商人はそれを握った。剣術の訓練でも熱心にやったのか、やけに固い手のひらだった。
「お前に出会えて良かった。怪我と犯罪には充分気をつけて・・・また、この国に来てくれよ。」
「はい、絶対にまた来ます! ラヴィさんも、お元気で。」
そのとき、フェルははたと思い出した。脳裏に浮かんだのは、柔らかい栗色の髪。ふわりと漂う優しい香り。暖かく小さな手のひら。
第1王子と手を離してから、商人は躊躇いがちに伝言を頼もうとし、
「――――――あ、あの・・・」
「ん?」
「・・・いえ、やっぱりいいです。」
やめた。
あの女性―――アリシアと言ったか、彼女はかなり真面目そうだった。待っていてほしいが、“待っていてほしい”と言えば、本当にいつまでも待ってしまうだろう。再会の目処も立っていない男に囚われて、人生を無駄にさせることは出来ない。
「いいのか?」
「はい。ありがとうございます。」
第1王子は何か言いたそうにしていたが、結局、商人のあやふやな態度には何も言わず、暗殺者の方に視線を投じた。
「お前も、気をつけろよ。」
暗殺者は黙然と頷き、「フェル、行くぞ。」と商人の腕を掴んで踵を返した。
「さようなら、ラヴィさん! いろいろと、ありがとうございました! 僕、絶対にまた来ますから! さようならー!」
第1王子は黙ったまま手を振り、引き摺られるようにして関所に向かう商人を見送った。
「――――――――――――・・・さて、と。」
商人と暗殺者が関所の向こうに消えると、第1王子はおもむろに頭に手を差し込んだ。頭皮を剥くようにして鬘を取ると、美しく長い金髪がばさりと剥けて、同じ色の短髪が現れる。
「下はそのままにしておいて良かったな。」
呟き、ロングスカートのような腰巻きを片手で一息に剥ぎ取ると、第1王子はすっかり元の第1王子に戻った。
賑やかさを思い出しつつある広場で、第3王子と、ミシェルと、騎士たちが立ち尽くして、彼を見つめている。
第1王子は振り返り、眉尻を下げ、言った。
「さぁ・・・帰ろうか。私たちの城へ。」




