若い傭兵
傭兵は怒っていた。今までにないほど、心の底から。何もかもが上手く行かず、何もかもが気に入らない。
呪いをかけられてもまだ戦う奴がいたと思えば、隠した魔法をあっさり見破る奴もいるし、丹精込めて発動させた魔術は一般人に壊されて・・・――――――いったい、これは、どんな罰ゲームなんだ!
(ふざけるなよ・・・いい加減にしろ、畜生!)
運命の女神がわざと自分に意地悪をしているような気さえしてくる。
(そっちがその気なら、こっちだって・・・!)
俺を苛む全ての物を、ぶち壊してくれよう――――――――――――決意し、広場を睨み付ける。
関所前の広場には、だいたいの面子が集まっていた。
全ての元凶、第1王子と暗殺者が、うんざりした顔で傭兵を見ている。文官と騎士が、そこに駆け寄っていいものかと迷って、中途半端なところで立ち止まった。そんな4人の中間地点に、小さな影が倒れていた。
(“朽縄”さん・・・――――――)
傭兵の頭の中身がスコンッと抜け落ちた。
視界からは色が抜け、耳に届くはずの音は遠退き、口元を濡らす血の生温さだけがねっとりとこびりついている。それをおざなりに拭って、傭兵は腹に力を籠めた。
普通なら見えないはずの、空中を漂う金色の流れが、傭兵の目にはっきりと映っている。
(――――――死ぬのか・・・それも、いいか。)
薄ぼんやりと、傭兵は思った。
魔導は死に通じる技術だ。魔力は体力と同じ体系をしているが、元々は女神から施されたエネルギーであり、人の営みとはかけ離れたまったく別の循環をしている。死に近寄れば近寄るほど、魔導士の身体はより強く、深く、その流れに接続できるようになるのだ。そのために、魔導士は断食や禊をする――――――――――とはいえ、どれだけ断食をしようとも、魔力の流れそのものを見られるようになるのは、死ぬ直前のこと。
今、傭兵の身体は死の淵に瀕し、魔術を行使できるはあと一回のみ。しかし、その一発の魔術は、命と引き換えに最大の威力を発揮するだろう。
傭兵は手首に刺さっていた矢を引き抜いて、地面に叩きつけた。鮮血が溢れ出した手首を捧げるように持ち上げる。
「・・・【金色の流線は俺の意のままに、俺の悲しみは消えることなく凝り固まって、冷たく鋭い刃と化し、俺を苛む全ての物事・人々・神々にすら、その命を掻き消すために降り注ぐ、】」
魔力の流れが傭兵の方を向き、渦を巻きながら体内に入ってくる。さながら植物が光合成をするかの如く、金色の光が身体中に満ちていき、生体エネルギーと結び付いて外に出ていく。
傭兵は初めて、魔導の仕組みを芯から理解した。
(言葉によって魔の流れを体内に呼び込み、言葉を介して物理的な力へと導く――――――それが、“魔導”・・・――――――)
悟るように思ってから、ふっと自嘲ぎみに笑う。
(――――――・・・死ぬ間際に分かってもな。)
もう何も感じない。力が抜け切った身体はいつになく自然体で、長年の習慣により染み付いた詠唱が口をついて出てくる。
第1王子と暗殺者が傭兵の方に駆け寄ってくるのが見えたが、それについて何かを思うこともなく、傭兵は淡々と言葉を紡ぐ。
2人が傭兵に何をするより、呪の成就の方が早い。
「【~~~~し、俺の名前は魔力に捧げられ、俺の命は魔力に変わり、俺の悲しみだけが真実を示して全ての物事を凍り付かせる、世界の終わりはこの手にあり、世界の終わりはこの手にあり、世界の終わりは――――――】」
慌て顔の2人を見ながら、最後の一節を口に出す。
「【――――――今、この場にもたらさ】」
「ミル、おやめ!」
老婆の声が鋭く傭兵を刺して、ミルは口を閉ざした。
一瞬の隙に2人が追い付き、あっという間に傭兵は組み伏せられてしまった。
集まってきていた魔力が離れていく。
「【闇よ、彼の者の体内に流れ込み、その身体を蝕む一切の厄災を食い潰せ】」
代わりに、まったく違う魔力が身体に流れてきた。ラヴィの回復魔法だ。体力が回復していくのと引き換えに、見えていた金色の流線が薄らいでいく。死は傭兵に背を向けた。
「なん、で・・・・・・。」
「私らは負けたんだよ、ミル。」
占い師の老婆――――――傭兵が尊敬してやまないその人が、満身創痍の身体を引きずって、傭兵の元へやって来る。
地に腹を付けたまま老婆を見上げる傭兵の、目の前に膝をついて、老婆は語りかけた。
「負けたのは私だ。死ぬなら私の方だよ。――――――生きな。あんたはまだ若いんだ。あんたの時代を生きなさい。」
「っ・・・・・・。」
傭兵は俯いて、額を地面に押し付けた。涙が溢れてくる。
――――――俺は、結局何も出来なかった。あの人の役に立つこともできずに、死ぬことも出来ずに、情けなく、敵の手に助けられて生き延びている。
不意に背中から拘束が無くなったが、傭兵は動けなかった。嗚咽を漏らさないように、奥歯を噛み締めて、傭兵はひたすら、敗けを心に刻み付けた。




