傭兵と少年
傭兵ミルの役目は、合図で魔術を発動させること。それは別に、指定の位置にいなくても出来るので、同時に見回りの役目も負っていた。万が一、王府の騎士団や標的である暗殺者、または正義感の強そうな一般人などに見つかってしまった場合、それを早急に排除するためである。
広場を囲む、蜘蛛の巣のような路地裏を、特に規則性もなく適当に見回る。
朝であっても薄暗い路地裏に、いる人は少ない。時々、仕掛けの様子を見ては、仲間に『変わったことはないか』と聞き、迷い込んだ一般人には睨みをくれる。大抵は一睨みで慌てて逃げていった。
の、だが。
「そこで何をしている?」
傭兵ミルは、冷淡な声の下に戸惑いを隠し、いつもより数割増し強くその少年を睨み付けた。
(こいつ、何者だ・・・?)
普通の人なら真後ろに立たれても気が付かないほど、完全に気配を消して近寄ったはずだ。それなのに、少年はまだミルが遠い位置にいるうちから、彼の存在に気付いて振り向いたのである。
(落ち着け。ただの偶然だ。偶然、ふと振り向いただけだ。そうだ、そうに決まってる。)
自分を落ち着かせながら、少年を観察してみると、彼の服装はただの一般人として見るには生地が良すぎるように見えた。貴族だろうか? ふわりと耳にかかる金髪に、くりくりと丸く青い瞳。肌は透けるように白く、ひ弱な印象だ。今まで、汚れ仕事はまったくしたことが無いのだろう。年の頃は14かそこらか。まだまだ、ガキんちょだ。
そのガキが、ムカつくほど綺麗な目を精一杯 尖らせて、こちらを睨み見ている。
(見たことあるような顔だが・・・・・・気の所為か。貴族なんて皆似たようなもんだしな。)
傭兵ミルは手の平の中にこっそりと魔力を集めながら、もう一度尋ねた。
「そこで、何をしているんだ?」
「・・・・・・え、と・・・――――――」
傭兵の強い口調に当てられてか、少年は目を泳がせた。酸欠状態の金魚のように口をパクパクさせて、それからしばらくして、ようやく意を決したのか、言葉を―――傭兵を驚愕させる言葉を発した。
「――――――・・・その・・・まず、手の中の魔力を、解いてくれませんか?」
「っ?! なぜお前・・・っ!」
自ら解くまでもなく、無様にも集中を乱された傭兵の魔力はあっさりと霧散した。
本来、魔術として形を為す前の魔力など、分かる筈がないものだ。どんなに熟練した魔術士であっても、他人が集中させている魔力を事前に察知することはできない。少なくとも、傭兵の知り合いの中に出来る人はいない。使っている魔術士本人にですら、なんとなくの感覚としてしか掴めず、集中を乱されると簡単に消えて無くなってしまう、脆いものなのである。
それを、この少年は―――――――――傭兵ミルは警戒心を最大限に働かせて、少年を睨み据えた。
「貴様―――何者だ?」
「え・・・と・・・僕、は、その・・・・・・。」
「速やかに答えろ。さもなくば」
と、今度は手を翳し、再び魔力を集中させる。今度は常人の目にも映るように、はっきりとした魔術の形をとらせた。
鋭い氷の刃が少年を射程圏内に収める。
「腕の1本くらい、取られても仕方がないと思え。」
「っ・・・・・・。」
一見して分かるほど気弱なこの少年に、この脅しがどう作用するのか、傭兵ミルは予想を立てる。――――――屈するのか、逃げるのか、自暴自棄になるのか・・・さぁどうくる?
と、挑むような心持ちで脅迫した傭兵ミルだったが、彼の予想は裏切られた。
緊張した面持ちで傭兵のことをじっ、と見ていた少年が、微かに震えながら深呼吸をし、口を開いた。
「貴方は魔術士さんですね? この辺り一帯に仕掛けられている魔法の罠は、貴方の管理下に・・・いえ、もう1人、協力者がいますね。2人の魔術士さんの管理下にあるみたいですね。範囲は関所前の広場全体。いくつかのファクターを予め設置して、それを魔力で繋いでおいて、きっかけ1つで一斉に発動―――1度完璧に仕掛けてしまえば、継続して魔力を注ぐ必要は無いみたいですね。広範囲に作用するタイプのようですけど、一体どんな効果があるのですか?」
「っ・・・・・・。」
「僕の予想では、足元に、人の動きを封じる呪いの網を敷くような感じだと思うのですが・・・どうでしょう? 違いますか?」
話しているうちに余裕が出てきたのか、少年は小さな笑みさえ見せてきた。
対する傭兵は、真剣に編み込み、綿密に潜伏させた魔術を、拍子抜けなほどあっさり見破られて、内心 混乱の極みに達していた。
(な・・・・・・なんだコイツは。何なんだコイツはっ?! こんな、こんな奴が、俺の魔術を見通しただと? それに――――――なんなんだ、あの余裕のある態度は。・・・もしや、気弱そうに見えたのはフェイクか?! ということは・・・・・・信じられないが・・・・・・コイツは、名の知れた、魔術士なのだろうか?)
そう思って再び少年を見てみれば――――――おどおどした態度からは実力を隠す謙虚さを、弱々しい微笑みには泰然とした雰囲気を、優しい顔立ちからは無邪気な残忍さを、澄みきった瞳からは躊躇い無く事を為せる強さを――――――感じ取ることが出来た。
傭兵の手の中から、氷の刃が掻き消えた。掻き消されたのだ。気圧されたのだ。この1人の少年に。
(マズイ・・・・・・コイツは、危険だ。)
自分が逃げ腰になっているのが分かった。
(どうする? 倒すか? いや・・・・・・倒せるのか? 俺に――――――)
睨む気力すらもう無いというのに、どうして戦うことが出来ようか。ましてや勝つことなど―――。
不覚にも、傭兵は背を向けて逃げたくなったが、全てを見透かすような青い瞳は彼を捉えて離さなかった。自然と息が上がっていく。
無限にも思われた時間は沈黙とともに過ぎ去って――――――――――――突然、少年が背を向けた。
「っ!」
思わずビクリと震えて防御の姿勢を取った傭兵。
(殺られた・・・っ!)
完全に後手に回り、死を覚悟した傭兵。今までの記憶が、走馬灯のように、脳裏を駆け抜けていく――――――故郷の深い森。幼い頃の友人たち。彼らと遊び回り、喧嘩し、仲直りしたこと。そして、師匠との出会い。強さを求め、夜中にひっそりと故郷を捨てた。他国の軍人になり、憧れの人に出会った。その人が軍を辞めると、後を追うように軍を辞めた。流れの傭兵になり、あちこちの戦場を回った。そして、また、再び、憧れの人に出会った――――――思い返し、傭兵ははっと我に帰った。
(そうだ、俺はまだ、あの人に教わりたいことがある。今ここで、死ぬわけにはいかないんだ・・・!)
防御の姿勢を解く。一撃をくらうのは覚悟の上だ。魔力を一瞬で凝縮させ、少年に向かい、放つ――――――――――――――放とうとして、ぴしりと硬直した。なぜなら、彼が、まったく予期していなかった光景が、そこにあったからである。
少年は、何をするでもなく、一目散に大通りを目指して駆け出していた―――お世辞にも“速い”とは言えない歩調で。
「・・・え?」
傭兵ミルは、思わず間抜けな声を漏らした。かなり小さい音だったのだが、少年はそれに反応したように立ち止まると、振り返って大声で言った。その姿に、さっきまでの謎の威圧感は欠片も無い。
「す、すみません! 僕、ちょっと、行かなくちゃ、」
「・・・は?」
「そ、それじゃ、さよならー!」
呆然とする傭兵を置いて、少年は路地裏を出ていった。
後に残された傭兵は、少年の大声を聞きつけ現れた仲間のごろつきに声をかけられるまで、微動だに出来なかった。
『・・・もしかして俺は、あの少年に、騙されたのか?』
――――――傭兵の中にそんな疑念が浮かんできて、疑念が確信に変わり、確信が怨恨を生むまでは、そう時間はかからなかった。
(くっそ、あのガキ・・・・・・覚えていろよ・・・!)
腹の中で怒りが沸々と煮えたぎっていたが、前が見えなくなるほど愚かではない。
パァンッ! と大きな音と共に、青空に信号弾が花開いた。




