王子と商人
(うーん、やっぱり無茶だったか・・・・・・。)
一軒目二軒目三軒目と、酒場の人間に聞いてみたが、何の情報も手に入らなかった。
そうこうしている内に、日が傾き始めた。王宮に帰るつもりは無い王子だが、できる限り早く、身を隠す場所を見付けるか出国するかしないと、本気で国兵団に探されれば、鎖国中の国だ、すぐに見付かってしまうだろう。
(もう、いいか。このまま出国してしまおうか・・・。)
そう思った矢先、『ぐぐぅ。』と、王子の腹の中に住まう虫が空腹を主張した。
「お腹が、空いたな・・・・・・。」
考えてみれば、昼過ぎに王宮を出てから歩き通しであった。ちなみに、彼は王子だが、剣やら魔法やらの修行が義務付けられているため、体力には自信がある。しかし、生理的欲求には耐性があまり無い。『欲しい!』と思ったら手に入る。それが、王族特権だ。
(ふむ・・・・・・・・・まぁ、夕飯が最優先か。)
そう結論付け――――――王子は、一番近くにあった適当な酒場に入っていった。
***
「はぁ~・・・・・・これから、どうしよう。」
「まぁまぁ、兄ちゃん。こんなときは呑め、呑め!おごったるから!」
「うぅ、ありがとうございます・・・・・・。」
商人は半泣きになりながら、他の客に薦められるがまま、杯を空けていく。
だから、唐突に扉が開き、奇妙な客が訪れたことに、気が付かなかった。
「ほーれ一気!一気!一気!」
「おぉー!兄ちゃん、いい呑みっぷりだなぁー。」
「ほれほれ、どんどん呑め!」
「いいねー!」
商人はもはや、ヤケクソになっていた。
(うぅ・・・・・・もう、どうにでもなれ!)
***
店内に入るとまず目に入ったのは、異様な雰囲気で呑みまくっている謎の一団だった。
輪の中でひたすら杯を空けている好青年は、半分泣いているように見えた。
(何かあったのだろうか?)
首を傾げながら、王子はそのテーブルを避けて通り、カウンター席に付いた。
「らっしゃいっ。」
「何か、食べる物はあるか。」
「軽い物なら。」
「じゃあ、それをくれ。」
「へいよぉ。」
酒場のマスターは、明らかに一般人ではない客をちょっと不審に思ったが、何も言わずに――――作り置きの、サンドウィッチを出した。
「へいお待ち。」
「あぁ、ありがとう。」
「すみませんねぇ、こんな物しか出せなくて。」
「いや、構わない。――――――ところで・・・・・・。」
と、王子は例のテーブルに目を遣った。マスターは、彼の視線の先を見て、『あぁ・・・。』と納得したような顔で頷いた。それから、声をひそめ、王子に事情を教えてくれた。
「実は、あそこのアイツ・・・・・・あの、一番呑んでる奴。アイツ、商人なんだけどな。今日、置き引きに遭っちまって。」
「は?!置き・・・引き、に?」
「そうなんだよ。それで、商人証と出国許可証を盗られちまったのさ。」
「なんと!!」
驚きのあまり、大きな声を出してしまった王子に、マスターは指を口に当てて『しーっ』と言った。
しかし、王子は何も見ていなかった。カウンターから身を乗り出し、重ねてマスターに訊く。
「なぁ、彼の名前は・・・?」
「え?あ、あー、確か――――――」
マスターが告げた名前は、商人証に刻まれていた名前と一致した。
思いもよらぬ発見に、王子は満面の笑みでガッツポーズを決めた。
(まさか、ここで会えようとは!!)
王子は嬉しそうに笑いながら、席を立った。
***
その商人に声が掛けられたのは、ついに彼が音を上げた時だった。
「もーう、無理です~・・・。」
「お?もうリタイアかぁ、兄ちゃん?」
「頑張れよ~!」
「ムーリですってば~。」
テーブルに突っ伏した商人。その後ろに、やけ身なりの良い青年――――王子が、やって来た。
「なぁ、おい。・・・・・・なぁ、そこの商人。」
「・・・・・・はい?」
背に手を掛けられ、ようやく、自分が呼ばれているのだと気付いた商人。顔を上げ、酔いと涙で真っ赤になった目で、王子を見た。
「僕に・・・・・・何か?」
「これは、お前のだろう?」
王子は、商人の目の前に財布を差し出した。
商人の目が見開かれる。
「・・・・・・え?嘘・・・・・・。」
微動だにしない商人に、持ち主を確信した王子は、財布を押し付けて笑いかけた。
「――――すまない。偶然、貴方の鞄を持った輩に出会ったのだが・・・取り返せたのは、それだけだったのだ。」
商人は、夢でも見ているような心持ちで、財布を開け、金も、商人証も通行許可証も、無くす前とまったく変わりなく有ることを見て・・・・・・「僕のだ。」と呟いた。次の瞬間、周りから拍手喝采が沸き起こり、商人の双眸からは大量の涙が溢れた。
「ありがとう・・・・・・ございますっ・・・・・・!ありがとう・・・!ありがとう!本当に・・・・・・っ。」
商人は立ち上がり、嗚咽の合間に御礼を告げながら、財布を胸に抱いて、深々と頭を下げた。その感謝の仕様といったら、王子が少々引くほどであった。
「良かったなぁ、兄ちゃん!」
「おうおう、泣くな泣くな!」
「こりゃあ、祝い酒だな!おい、マスター!酒、酒!」
商人はひとしきり王子に礼を言いまくって、気が済んだのか、頭を上げた。まだその目は真っ赤だが、表情は晴れ晴れしい。王子は、届けられて良かったと思った。同時に、『そんなに金が大事か』と、絶望にも似た奇妙な気持ちも抱いた。
「そうだ、皆さん。」
と、商人は盛り上がる周りを見た。
「ご迷惑おかけしました。お詫びというか、お礼というか、とにかく――――ここは、僕におごらせてください。」
「えっ?!」
「いや、そんなもん気にすんなよ、兄ちゃん。」
「そうそう。いいからいいから。」
「いえ、そういうわけにはいきませんよ。お礼がしたいんです。それに、」
この国には稼がせてもらいましたから。と、いたずらっぽく笑った商人に、周りはあっさり折れた。
「そこまで言われちゃあ・・・なぁ。」
「そうだなぁ。じゃあ、お言葉に甘えちまうかぁ?」
「どうぞどうぞ。マスター!お酒、お願いしまーすっ。」
「へいよぉ!」
商人の注文に、マスターが威勢よく返事して、酒を大量に運んできた。あっという間にテーブルは酒で埋まり、豪華な酒宴と化した。
王子は既に、元のカウンター席に戻っていた。お礼にとあっさり稼いだ金を手放した商人に対し、嬉しかったがしかし、あのように思ったことを後ろめたく感じたからだ。
(金が第一、じゃあ、無いのだな・・・。)
商人は、カウンターで一人サンドウィッチをかじる王子を見付けると、するりと酒宴を抜けて、彼に近寄った。
「隣、いいですか?」
突然、そのように声を掛けられて、王子は驚き、サンドウィッチをくわえたまま頷いた。
商人は嬉しそうに笑って、王子の隣に腰掛けた。
「本当に、ありがとうございました。助かりました。」
「・・・・・・いやっ。――――構わない。取り返せたのは、ただの偶然だからな。」
「それでも、ありがとうございます。―――――――貴方にも、御礼をさせてください。」
まぁ、おごるくらいしか出来ないんですけど。そう言った商人に、王子は、『礼など要らぬ。』と言いかけ――――――――――ふと、良いことを思いついた。
(そうか・・・・・・それがいい。それでいこう!)
善は急げを素で実行する彼は、計画をまとめるやいなや、勢い込んで商人に話しかけた。
「なぁ、商人!」
「あ、はいっ?」
唐突に呼ばれ、黙って酒を呑んでいた商人は、少し驚いて王子を見た。
王子が真剣な面持ちで自分を見ている。商人は――――もちろん、彼が王子様であることは知らないが――――まるで、王の勅命を待つ兵士のような気分を味わった。
「頼みがあるのだが・・・・・・聞いて、くれるか?」
真剣にそう言われ、商人は―――――少しだけ、間を置いて―――――へらへら、と笑った。
「いいですよ。何でも言ってください。僕に出来ることなら、何でもします。」
「そうか、ありがとう。なら――――――」
私を、国から出してくれないか?王子は商人に笑顔で、そう言った。