免疫不全の従者
アリシアが王宮に戻ってくると、空気がばたばたしていた。メイドが走り回り、文官がわたわたして、落ち着かない雰囲気が充満している。
そう言えば国王陛下がご逝去なされたとジキル殿が言っていたな・・・――――――と思い返しつつ、適当なメイドに声をかけて、第2王女様の居場所を聞いた。
ばたばたとメイドが走っていき、しばらくして戻ってきて、王女の部屋に通された。
すぐにいらっしゃいますのでしばらくお待ちください、と言われて直立不動の姿勢をとる。
(すべてを打ち明けてしまおう・・・私の罪も、兄貴の罪も。然るべき場所に出て、然るべき裁きを受けなければ。)
力が籠った拳の中に、何か小さい物が食い込んだ。はたと思い出して、拳を開く。商人から貰った髪留めだ。金属製の花は長い間握り締めていたにも関わらず、冷たさを失っておらず、アリシアを冷静にさせる。
アリシアは少しその青い花びらを見つめ、深く呼吸をした。
(すべてが終わったら、これを付けよう・・・・・・それまでは、まだ、付けられない・・・・・・。)
商人から貰ったものだ。中途半端な覚悟のまま、後悔を背負ったまま、付けることはできない。
アリシアはそれを手首に巻いた。
ちょうどその時、扉が開いて、第2王女が飛び込んできた。
「アリシア!」
「シルヴィア様――――――っ!」
後から入ってきた人物を見て、アリシアは息を飲んだ。
「まったく・・・何をやっていたのだアリシア。国の危急に、第2王女様に無駄なご心痛を与えるなど・・・――――――」
「構わないわ右大臣殿。アリシアに休みを与えたのは私ですもの。遅れてきたのには、何か、理由があるのよね? そうでしょう?」
「――――――――」
「アリシア?」
「どうしたアリシア? ・・・大丈夫か? 何かあったのか?」
王女と右大臣の2人に心配そうに覗き込まれ、アリシアは何も言えなくなった。
本当に心配そうにしているのは王女だけで、右大臣は王女に気付かれないよう、目の奥に脅すような光を灯している。今ここで余計なことを言ったら、分かってるな? と言いたげだ。
アリシアは深く俯いた。冷や汗が背筋を流れる。
(なんで兄貴がいるのよっ! 理由? それをあんたが聞く?! 話せるわけがないじゃないこの馬鹿兄貴!)
内心でめちゃくちゃに罵り出したアリシアだったが、
「――――――あら? 何これ。貴女、こんなの持っていたかしら?」
「え?」
「可愛いじゃない! どこで手に入れたの?」
王女がアリシアの手首を掴み、しげしげと眺めているのはゲンティアナの花。
「あぁ・・・これは・・・貰い物です。」
「貰い物? どなたから?」
「えぇと・・・―――――――――」
口籠るアリシア。
(誰から、と言われましても・・・・・・)
今ここで、すなわち兄貴の前で、答えることは出来ない。相手は第1王子の脱走を幇助する商人だ。第2王女様のことである。下手にこぼせば、一から十まであらいざらい吐かされるに決まっている。つまり、第1王子のことを含め、出会った経緯を片っ端から話さなければならないのだ。そうなれば、兄貴の言う“余計なこと”を言うことになり、第2王女様の立場も危うくなってしまうかもしれない。
―――――――――と、そんな真面目なことを、アリシアは何にも考えていなかった。
口籠ったアリシアは、次の瞬間に頬を赤く染め、髪飾りを付けた手首を手で包み、胸を押さえた。
それは、第2王女にとっては分かりやすすぎるサインであった。
アリシアは恋に慣れてないのである。中流とはいえ貴族育ち、恋愛には縁遠い立ち位置にいた上に、本人にも興味がなく、免疫が何にも無いのだ。
態度ひとつで贈り主が男であることを察した第2王女は、右大臣の方を振り返って見た。
「右大臣殿。席を外して。」
「あっ、は・・・え?」
「ここから先は、乙女の秘密よ。貴方は外にいきなさい。」
「し、しかし、」
「い・き・な・さ・い。」
「――――――・・・はい。」
笑顔の気迫に押されて、右大臣はついに追い出された。
アリシアはまさかの展開に目を白黒させて、しかし己に迫りつつある危険は察知し、身を固くさせた。
「――――――さて、と・・・これで邪魔者はいなくなったわ。」
「っ!」
笑った顔の、その真剣な目に射竦められて、息を飲む。
「ゆっくり、聞かせなさい? アリシア――――――」
「あ・・・は、はい・・・・・・?」
「それの贈り主の男性のことも気になりますけど・・・・・・それ以外に、何か、話したいことがあるんじゃなくって?」
「っ?!」
「それも、右大臣殿には話せないことね?」
「・・・・・・・・・。」
私の観察眼は分かってらっしゃるでしょう? 右大臣殿が入ってきた瞬間の貴女の表情、見逃すと思って? ――――――と微笑んだ第2王女。
「シルヴィア様・・・――――――」
「昨夜からのことを包み隠さず教えなさい。勿論、その人のことも含め、ね。」
「っ・・・!」
笑みを深くした第2王女に、アリシアは蛇に睨まれた蛙の気持ちを味わう。
これで心置きなく、事の経緯を、第1王子の危機を、我らが兄妹の罪を、話すことができる――――――――という幸運を、まったく喜べないアリシアだった。




