欲求不満の従者
小さい頃の記憶の中には、いつも優しい兄がいた。
7つも歳上の兄は、まるで娘のように、妹のアリシアを可愛がっていた。
アリシアの家は中流の貴族である。両親は基本的に放任主義だったため、アリシアの面倒は兄アルシエがよく見ていた。
ある時、兄が言った言葉を、アリシアは今でもよく覚えている。
『アリシア。』
『なぁに? おにいちゃん。』
『俺、大きくなったら、王宮に仕えて、この国のために働く! この国は良い国だよ。だけど、もっともっと良くなるような気がするんだ。どんな形でもいいから、俺はそこに関わりたいんだ。』
『おにいちゃん、かっこいい! 頑張って! アリシア、応援してる!』
『ありがとう、アリシア。俺、頑張るからな。』
それから兄は王宮に上がり、数年後にはそれなりの地位を確立させていった。そんなある頃、兄は突然、アリシアを王宮へと呼びつけ、第2王女付きの従者にならせた。
『国家を掌握しようと思う。』
そう打ち明けられたのは、第2王女に出会ってから4年と半年後、つまり今から半年前のことだった。
『え・・・・・・?』
『お前も協力しろ。いいな。』
『ちょ、ちょっと待って、待ってよお兄ちゃん?! 何を――――――』
『口を慎め、従者。ここは職場だ。』
反論は鋭い眼差しに貫かれて、封じられた。
『・・・・・・し、失礼しました・・・。』
混乱は彼女を追い詰めて、視界を狭める。強制された選択肢には、協力か裏切りかの二択しかなく、家族を裏切れるほどの冷酷さを彼女は持ち合わせていなかった。
そうして、全ての感情や疑問を、心の奥底に追いやって、協力する道を選んだ。
彼女の知らない間に、兄に何があったのか―――――――――今となっては知りようのないことである。
ただ、アリシアは後悔する。
例えば、もっと兄のことを知っていたら。もっと早く兄と同じ職場に行っていたら。あの時、もっときちんと問い詰め、糾弾し、制止していたら。
兄の苦しみの理由を、知ることが出来たのではないか、と――――――――――――
***
暖かいものが頭の上から離れていって、アリシアは名残惜しさに顔をしかめたが、睡魔には勝てず、再びの夢の中に取り込まれた。夢? あぁ、そう、夢を見ていた。優しくて暖かい、幼い頃のような夢を。成長が2人を引き離して、ぬくもりが消えていく――――――抱き締めて欲しかった――――――・・・・・・・・・・・・・・・
目が覚めた。
「う・・・・・・んんー・・・。」
目を擦りながら上体を起こすと、肩から毛布がずり落ちた。
上半身を預けていたベッドの中は、薄っぺらで、誰もいなくなっていた。
(もう、行ってしまったんだ・・・・・・・・・。)
頭というより、心がぼうっとする。
起き抜けだからだろう、変な体勢で中途半端に寝てたからだろう――――と分かりきった虚言で理由を付け、アリシアは立ち上がった。
いつまでも酒場にいるわけにはいかない。
(シルヴィア様の元へ戻ろうか、右大臣様の元へ行こうか、それとも、第1王子様を追うか・・・――――――)
3つ目を選びそうになる決定は先伸ばしにし、アリシアは階下へと行った。
午前中の酒場は休業中だ。1階の食堂はがらんとしていて、アリシアの微かな期待は見事に裏切られてしまった。
階段のふもとで立ち止まったアリシアに、カウンターの中で何やらごそごそやっていた店主が気が付いた。
「ども、おはようございますー。体調はいかがっすか?」
「あ、店主さん・・・おはようございます。大丈夫です。ありがとうございます。」
「それじゃあ、朝飯どーぞー。」
「え・・・あ、いや、そんな、甘えるわけには――――」
「――――いや、いまさら朝飯程度で遠慮されても遅いです。」
「あぁ・・・そうですよね、すみません・・・・・・。」
店主の正論に返す言葉がなく、アリシアは恐縮して頭を下げた。
苦笑いを浮かべつつ、店主はサンドイッチをカウンターに置いて、身振り手振りでアリシアに席を勧めた。
いつまでも遠慮していてはむしろ失礼だろう。そう思って、アリシアは大人しく席についた。
薄っぺらいサンドイッチをかじる。途端にアリシアは空腹を思い出して、しばらくは黙ったまま、食べることだけに集中したのだった。




