軟弱王子と無責任メイド
「――――――・・・?」
第3王子は眉をひそめて、顔を上げた。
どたばた、きゃあきゃあ、と騒がしい音が近付いてくる。いつか聞いた音の無い足音とは大違いだな、と思いつつ、第3王子は立ち上がった。
聞き覚えのある声なのだ。
しかも、何があったのか知らないが、この状況できゃあきゃあ騒げる人間を彼は1人しか知らない。
第3王子は――――――無意識の内に、国王の遺体を視界から外し――――――寝室を出て、執務室から顔を出した。
「――――――ハルシャさん?」
「あ! あ、あぁっ! だだ、第3王子様?! そちらにいらっしゃいましたか! 捜してたんですよ――――――あ! 丁度良かった! ちょ、ちょっと、聞いていただけますか?! 聞いてください! 失礼します、はい!」
「え? あの、ちょっと、ハルシャさん?」
従者のハルシャは、第3王子を押し退けるようにして執務室に入り、首だけを出して辺りを窺い、「――――――よし、クリア。」と真剣に呟いて扉を閉めた。
第3王子は困惑しながらも、
(スパイみたいだな・・・・・・。)
とごくごく冷静な感想を抱いた。
メイドは扉に背を預け、大きく息を吐いた。
――――――何か、ただならぬものを感じる。常日頃から、どこか他人とは一線を画している人ではあるのだが、それにしても、だ。第3王子の鋭すぎる勘は、事の重大さを敏感に捉えていた。
「どうかしたんですか? ハルシャさん。」
「あ、あの、あのですね、あたし、今、偶然、聞いちゃったんです!」
「何をですか?」
第3王子の問いに、メイドはひとつ唾を飲んで、勢い込んで告げた。
「――――――国王陛下の暗殺は、右大臣様が命じたことです。そして、右大臣様は今、第1王子様のお命をも狙っておられます!」
「・・・あ、はい、知ってます。」
「・・・へっ?」
メイドはすっとんきょうな声を上げた。
第3王子は溜め息を吐いて、近くのソファーに力なく腰掛けると、深く項垂れた。そう言われるだろうとは何となく予想していたが、あぁ、言われたくは無かった。
もう一度、深く深く嘆息する。
「知ってたんですよ、僕は・・・・・・ずっと前から・・・父上が亡くなる前から、知ってたんです。知ってて、何も、しなかったんです・・・・・・」
「・・・・・・。」
「僕は臆病者です! 大馬鹿者です! 何か出来た筈なのに、何も、何もしなかった・・・・・・――――――出ていってください。僕は・・・・・・僕はもう、王族として・・・いえ、人間として、失格です・・・・・・。」
涙すら出ない。
いや、泣く権利などは無い。
取り返しの付かない失敗をした人間に、涙は赦されない。ましてや謝罪すら受け入れてもらえなかった人間に、どうして慟哭が出来ようか。
「出ていってください・・・・・・――――――――」
血を吐くように王子は告げた。
***
「―――――出ていってください・・・・・・」
そう言われて、メイドは頭が真っ白になった。何か言わなければならないのは分かるのだが、王族相手に果たして何をどう言ったらいいものか、肝心なところがまったく分からなって、考え込む。
沈黙が霜のように分厚く降り積もって固まり、時の流れさえ凍りつかせた。
メイドは無性にやきもきしてきて、
(――――――・・・あぁー、もうっ! めんどくさいなぁっ!!)
考えることを放棄し、大股で第3王子に近寄った。
メイドにとって、凍りついた空気ほど嫌いなものはない。
無駄になよなよくよくよする男ほど、ムカつく奴はいない。
氷は爆砕して、不安は一喝して、もっと前向きに威風堂々と行けばいいじゃないか! と、無責任にも思うのである。
メイドは、大きく平手を振り上げて、ダンゴムシのように丸まった王子の背中を、思いっきりぶっ叩いた。
「っ!!」
「なぁーにをくよくよしてんですかっ! 男らしくないなー、しゃんとしなさい! ほら、背筋を伸ばすっ!」
「げほっ、ごほっ・・・・・・」
「人間には合格不合格なんてありません! 無いものを自分で勝手に作って、決めつけちゃいけないんですよ! 絶っっっ対に、駄目なんです! まだ貴方にはやれることがあるはずでしょう?! 力もあるでしょう?!! どうして何もしないんですか!」
第3王子は何度か咳き込んだあと、勢いよく立ち上がってメイドを睨んだ。
「あ、貴女に、貴女に何が分かるんですか!! 何も知らないくせに、勝手なこと言わないでください!」
「はぁ?! なに言ってんですか?! 何も知らないからこそ、勝手なことが言えるんじゃないですか! あたしは、知らないなりに自分の思った通りやって、失敗して学ぶんです! 今までず~っと、そうやって生きてきました!」
「貴女はそれでいいのかも知れませんけど、僕はそういうわけにはいかないんですよ! 失敗してから学んでたら遅いんです!」
「どうしてですか? 失敗から学ばなくて、一体どこから学ぶんですか?」
「先達に聞くとか――――――」
「じゃあ前人未到の初めての試みは?」
「っ・・・れは、」
王子は口を閉じた。不貞腐れた表情が、年相応に映って、メイドはなんとなく微笑ましい気持ちになった。
(変に悟ったみたいな大人しげな顔がむかついてたんだよねー。)
なんだ、子供らしい顔も出来るじゃないか。とメイドは自分もまだまだ子供であって、彼とは3つしか歳が違わないことを棚に上げ、思った。
「人間は失敗して学ぶ生き物です。何度も何度も失敗して、ようやく1つの成功を得るものなんですよ。疑うんでしたら、第1王子様や第2王女様にも、お聞きになってみたらいかがです? きっと、失敗談の1つや2つ、お持ちのはずですよ。」
「・・・・・・・・・兄上や姉上は、僕とは違います。」
第3王子は再び、歳に見合わないやけに達観したような無表情に戻って、ソファーに身体を埋めた。
「たとえ兄上たちが失敗してたとしても、僕なんかとは意味が違う。兄上たちは、行動して失敗する。僕は、何もしないうちに、失敗してた・・・・・・。」
「なんだ、お分かりじゃないですか。」
「・・・・・・え?」
「そこまでお分かりでしたら、次に何をすべきかもお分かりですよね?」
メイドは自信満々にそう問いかけ、にっこりと笑った。
「兄弟で違うのは当然です。血の繋がりがあっても、他人ですから。動かなかったことを後悔するなら、次は動けばいいんです。―――――――――大丈夫ですよ、カルディア様。貴方なら出来ます。貴方にしか出来ないことがあります。絶対に。」
***
なんだってこの人は、こんなにも自信有り気なのだろうか。どうして何の根拠もなく、『大丈夫』などと言えるのだろうか。王子は不思議でならなかった。
目を見れば分かる。
彼女は本気だ。
本気で、第3王子ならば出来る、と言い切った。
(どうして、無条件に、僕を信じるようなことを言えるんだろう・・・・・・?)
心底、意味不明だ。
―――――――――――だ、が。
王子の中で、仄かに燃え出す何かがあった。
その火種が何であるのか、王子はまだ知らない。それが、兄や姉の中で大きく燃え上がっているのとまったく同種のものだとは、知りようもない。
ただ、
(――――――今なら、変われる・・・?)
そんな根拠のない想いが、脳裏に浮かび上がってきた。
すぐさま、頭を振ってそんな甘い考えを追い出そうとする―――――
(いやいやまさか。そんなはずないだろ。そんな簡単に変われるなら、苦労しない・・・)
――――――が、
(・・・って、思って諦めるから、駄目なのかも知れないな・・・・・・。)
やめた。
逃げるのも、諦めるのも、やめなければいけない。
何より、彼女の無条件の信頼に応えてみたい。いや、応えなければならない。
そう決心すると、胸のつかえが取れて、世界の真理に気が付いたような晴れ晴れとした心持ちになった。
「ハルシャさん。」
「はい?」
「僕は・・・・・・動いても、いいですか? 王族らしからぬ行動をしても、いいんですか?」
メイドは満面の笑みで頷いた。
「勿論ですとも! すべては、貴方様の御心のままに。」
恭しい一礼。
こういうところはさすがに、新人とはいえ王宮仕えのメイドだと思った。
第3王子は心の中で礼を言って、口には違う言葉を出した。
「ところで・・・・・・他に何か聞きませんでしたか?」
「他に? 何か?」
「はい。右大臣たちから・・・・・・たぶん、次の手をどうとか、そういう話を。」
「うーん・・・――――――――――・・・あ、そういえば、」
と、メイドは何かを思い出して、顔を剣呑に歪めた。
「第1王子様に粗相をはたらいたっていう、例の従者長―――――ミシェル、と言いましたっけ?」
「はい。」
「彼を脱獄させたそうですよ。」
「えっ?!」
第3王子は目を剥いた。
「それを左大臣様の所為にしてどうのこうのー・・・とかなんとか。」
「そう、です、か。」
王子は溜め息を吐いて、腕を組んだ。なかなか面倒なことになっているようだ。
(僕に、いったい何が出来る? 僕は、何がしたいんだ?)
その時、頭の中で、まるで神の啓示のように言葉が響いた。
『兄の出国を、手伝ってください』
彼自身が、謎の侵入者に向けて、その場しのぎのために発した言葉である。咄嗟の判断には本性が出る。その嘘は、嘘だと思っていたのは彼だけで、本当は彼の本音だったのだ。
第3王子は深呼吸をひとつして、立ち上がった。
「ハルシャさん、僕、行ってきます。」
「――――――ええと、どちらへ?」
「城下へ。――――――夜までには戻ります。それでは。」
***
「・・・・・・もしかして、あたし、ヤバイことしちゃった?」
誰もいなくなった部屋で、メイドは呟いた。
「まぁーいっか、知ーらないっと!」




