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王国脱走物語  作者: 井ノ下功
第2章
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呑気な商人

 

 頭を踏まれ、商人はようやく我に返った。


(あれ? あ、・・・あー、えーっと、そっか、僕、誰かに殴られたんだね。)


 腕や足をさりげなく、少しだけ動かしてみる。どうやら拘束はされていないみたいだ。まずはそこに一安心する商人。

 左手は女性の手の中だ。さっき一瞬見えた時、なんだか泣きそうな顔をしていたので、商人は心配になってきた。少し強めに握り返す。

 本当は笑顔で勇気づけたいところだが、横向きに地面と引っ付いている頭の上には、誰かの足がそのまま置かれている。


(うーん、まぁ、耳を踏まれてないのは良かったかなぁ。あと、“ぐりぐり”もされてないし。)


 どこまでも呑気な商人である。

 唯一の憂いは、押さえつけられた状態では、状況が見えないことだ。状況の理解は苦手だが、ラヴィやザックの足手まといにはならないよう、商人は商人なりに精一杯気を張っているのである。

 ついさっき暗殺者を窮地に追いやったことは、壊れた故の無意識の行動。すなわち“事故”というやつだ。商人に責任は無い。


(万事休す、かなー・・・?)


 商人はぼんやりとそう思って、目を閉じた。

 下手に動く事は出来ない。動いても裏目に出ることは明らかだ。

 耳からいろんな情報が入ってくる。

 右耳からは、石畳を通じてきた戦闘の足音が。

 左耳からは、占い師の老婆が呟く微かな声が。


「【――――――~に閉じ込めた蛇の死骸が牙を向く、新たな血を求め黄泉の道を這う、新たな血の名はザック=ロマニー、」

(っ?! ザック?!)

「彼の血を吸い付くし壺の奥底に締め上げて転がせ、運命は私に味方をし、運命は彼に刃を向ける、彼の名は私の手の中にあり、彼の命は私の手の中にある】!」


 どう考えても良い内容ではない呪文が、親友の名を絡めて、おそらく完成したようだ。魔法は門外漢だが、雰囲気でそれはわかった。


(なんで・・・ザックの名前を知ってるんだろう?)


 つい先程自分が大声でばらしたんだということは、まったく記憶に無い商人であった。

 右耳から振動のように伝わる戦闘音が、ほんの少し変化した。

 規則正しくは無いが、独特なリズムを持って続いていた機械のような音が、乱れたのである。


(あああ、ザック? ザック?! ザックがやばいの? ヤバイのかな?! どうしよう? 僕に何ができる? 何ができるの?! 足の人が退いてくれれば、いや、あれ? それでも駄目か?)

「おや、どうかしましたか?」


 身動ぎしたのが伝わったのだろう。足の人(ジキル)が言った。たぶん見下ろされてるのだろうと思ったが、商人からは見えなかった。


「何か、気になることでもありました?」

「あ、ええと、その、ザック・・・ザックは、大丈夫かなーと、思って・・・。」

「あなたは、彼のお知り合いなのですか?」

「友人です。」

「そうでしたか。それでは、あなたの心配も当然のことですね。戦況としては五分五分、といったところですよ。」

「そうなんですか?! 良かった~。」


 一応補足しておくが、この間も商人の頭上に足はある。

 足の人が鼻で笑った。


「えぇ、本当に・・・さすがとしか言い様のない戦いぶりです。2人の魔術士から呪いを受けて、まだあれほど動けるとは・・・脱帽ですね。降参はしませんが。」

「・・・呪い?」

「さて、こちらも手を打っておきましょうか。“朽縄”、少々、アリシア殿をお任せしても?」

「あいよ。」


 フェルの呟きはすっぱり無視されて、見えない頭上で事が動いていく。


(――――っ、痛い!)


 体重がかかった。商人は眉をひそめる。繋いだままの左手に力を込めそうになって、慌ててそれを押し留めた。

 ふっ、と頭への圧力がふいに弱まった。

 足の人の足が持ち上がる。当然の反射として、商人の頭が少し浮かんだ。

 瞬間、再び下ろされた足が圧倒的な暴力を伴って商人を襲った。


「い゛っっ!」


 商人の頭の中で火花が散った。目の奥がチカチカして、涙が滲む。石畳に赤い筋が流れた。

 商人が左手に力を込めたからか、ジキルの暴行を目の当たりにしたからか、アリシアが悲鳴を飲んだ。

 堅い靴底のブーツが、今度は商人の耳をも巻き込んで、まるで煙草の火を揉み消すような気軽さと荒々しさをもって、左右に動く。

 商人は手足をばたつかせた。うめき声しか出ない。


(うあああああっ! 痛い! 痛い痛い痛い痛いぃっ! ちょ、“ぐりぐり”やめてーっ!!)


 商人の悲痛な心の叫びが聞こえたのか。

 唐突に再び、足が離れて――――間髪入れずに同じ足が腹にめり込んだ。


「っぐぅっ!」


 衝撃に押されて横に転がる。繋いでいた左手が外れた。

 次の被害者はその手だった。


「うああっ・・・!」


 投げ出した左手が容赦なく踏みにじられて、アリシアのぬくもりが掻き消える。

 商人は本当に泣きたくなってきたが、もはや泣いている暇も無い。ただひたすら、暴力に耐えるしか彼には無かった。

 頭を抱えて踞れば、ピンポイントに脇腹を蹴られ、それに反応して手が動けば、すかさず頭を蹴られる。


「無抵抗というものは楽ですが、つまらないものですね、っと。」

「うっ!」


 何発蹴られたのか分からないが、商人はだんだん頭が朦朧としてきて、体から力が抜けてきた。

 足で肩を押される。されるがままに、仰向けになる。

 肩を踏まれて押さえ込まれた。

 暴力が止んだのを見て、商人は恐る恐る目を開けた。

 ぎらりと光る刃先が顔の上の方で揺れている。

 その向こうに足の人(ジキル)の顔があって、商人は初めて自分をいたぶる人物を知った。


(普通の人だなぁ・・・。)


 微笑んでいるその人の姿は、普通の優男の風情で、有能な人なんだろうなぁなどと商人は思った。

 ナイフが揺れる。

 例の切れ味抜群のナイフだ。

 柄を人差し指と中指で挟み、わざと不安定にしているようである。


(あぁ、殺されるんだなぁ。)


 商人は思った。

 死ぬのは怖いが、泣くほどのものではない。泣いてしがみつくほど、生に対する執着もない。なにより彼は、不条理な暴力に耐えることに嫌気が差していた。暴力が無ければ、それでいいかと。できれば即死がいいなぁと、それくらいしか思わなかった。


「さて、どうします? 王子様、“蜃気楼”? 武器を置いて、大人しく投降なさった方が、よろしいかと存じますが。」


 戦闘音は今や聞こえなかった。ザックが全て倒したのか、ただ膠着しているだけなのか、商人は知らないし、正直どうでも良かった。

 ただ商人はぼんやり、


(名前を聞いておけば良かったなぁ・・・。)


 と、見知らぬあの女性に想いを馳せた。

 

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