叫ぶ商人
商人が目を覚ますと、視界は薄暗く、頬は冷たくも暖かくもない床にくっついていて、腕の自由が効かなかった。
「う・・・うぅ~ん・・・・・・あ、あれ? ・・・・・・ここ、は?」
「お目覚めかい、坊や。」
「へっ?! あ、うわあぁっ!」
突然、目の前に占い師の老婆の笑顔が飛び込んできて、商人はびっくりして跳びすさろうとした。しかし、拘束された状態では思うように動けず、唯一のけ反らせた頭を椅子の足に強打する結果となった。
(っ!! いぃっ・・・たぁ~・・・・・・。)
思わず涙目になる商人。
占い師たちが頭の上で笑っている。
その笑い声に、ますます自分が情けなく思えてきて、商人は本当に泣きそうになった。
「ふぇっ、ふぇっ、ふぇっ。坊や、悪いが私たちの目的のために、犠牲になってもらおう。」
占い師が言った。
「ぎっ、ぎせっ・・・え?」
「ま、自分の不運と“蜃気楼”を、存分に恨むんだね。」
蜃気楼・・・?――――――商人は首を傾げた。
(僕、自然現象に何かやったっけ・・・・・・。)
商人は暗殺者の二つ名を知らない。
(あれ、でも、何か聞き覚えあるなー・・・最近、どこかで聞いたような気がする・・・。)
彼がそれを思い出す前に、占い師は言う。
「さぁて、蜃気楼が来る前に、準備しちまおうか。――――――坊や? ちょいといろいろ聞かせてもらおうかい。あんた、名前は?」
「え? あ、ええと、フェルリーと言います。」
商人が素直に答えると、占い師は一瞬ポカンとし、呆れたようにため息をついた。
「・・・・・・あんたさ、“魔術士には名を名乗るな”って、誰かに教わんなかったのかい?」
「あぁ、はい、教わりました。」
「教わったならどうして。」
「だって、聞かれたら答えるのが礼儀でしょう?」
「・・・・・・・・・あぁ、そうかい。あんたがそう言うなら、それでいいや、うん。」
商人はごくごく真面目に答えていたので、占い師が微妙な表情をしているのが不思議でならなかった。
占い師の老婆は無理矢理自分を納得させて、商人に向き直った。
「それじゃあ改めて聞こうかえ。――――――フェルリー。」
「はい?」
商人が返事をすると、老婆がニヤリと笑った。その目が、金色に輝き出す。
それを見ていると、商人はだんだん奇妙な感覚になってきた。自分の体の中身を、全部ギュッ、と掴まれたような感覚。何かよく見えない、魂やら心やらが吸いとられていくような感覚。
そうして遅ればせながら、商人は思い出した。
(そうだった・・・・・・父さんに、教わったんだった。――――――“魔術士に名前を教えることは、命を差し出すことだ。”って・・・。)
朦朧とし出した意識の中で、老婆が口を開けたのが見えた。
と、その時。
「【魔の縛りを断ち切らん】!」
凛とした声が響いて、商人はハッと我に返った。
全員が、声のした方に注目する。カウンターの裏に潜んでいるらしい。老婆が目で合図をして、他の男たちがカウンターとの距離を詰めていく。
「誰だい?」
「生憎、魔術士に渡せる名は持たぬ。今すぐ、フェルを放せ!」
(この声は――――――ラヴィさん? な、なんでここに?!)
商人は思ったが、口出しできる雰囲気ではなかったため、黙っていた。
「姿も見せずに、よくも高飛車に命令できたねぇ。その度胸は誉めてやるよ。」
「悪いが、悪党の賛辞を甘んじて受けるほど、私は安い者ではない。」
「そうかいそうかい、誉め甲斐の無い男だねぇまったく。それにしたって、その喋り方・・・一般人じゃあないね?」
「さて、どうだろうな。少なくとも、貴様らの同類ではないとだけ言っておこう。」
占い師と乱入者の緊張感溢れる応酬に、酒場の空気が冷えていく。
(――――――ん?)
その時、薄暗さに慣れた商人の視界の隅で、酒樽が少し揺れた。
「あんたもこの坊やの知り合いなのかい?」
「答えるまでもないだろう? 分かっているのなら早く放せ。私は悪党に対して容赦はしないぞ。」
不意に酒樽が大きく揺れた。
その隙間から、小さな影がいくつか飛び出した。
(ま、まさか、あれは・・・――――――)
その正体に思い当たり、商人は顔色を変えた。怯え。恐怖。商人の顔は、今まで遭遇したどんな窮地の最中の顔よりも、引きつっていた。
「はっ、恐ろしや恐ろしや。どこの誰だか知らないけど、随分な自信じゃないか。後で泣いて命乞いしても、許してやらないよ。」
「命乞い? ふんっ、馬鹿にするな。誰がそのようなことをするものか。」
商人は彼らの話などまったく聞こえていなかった。
影は敏捷に動いて、商人に近づいてくる。
そして商人の目の前に来ると、わざとらしく思えるほど唐突に止まって、赤い目をきらりと光らせて、一言 鳴いた。
「チュウ。」
その瞬間、ついに耐えきれなくなった商人は、思いきり、
「うわああああああぁっ!!」
叫んだのであった。




