大根役者の従者
『王子を見つけたら、「ランプ」という名の酒場の裏に来い。私の従者がそこにいる。そいつに居場所を報告しろ。』
バカ兄貴の言葉を思い出しながら、あてがわれた寝床からそっと起き上がったアリシア。
決して物音を立てないよう、細心の注意を払って酒場を脱け出す。辺りを確認し、通りを横切る。
アリシアには、夜空に浮かぶ月の真っ白な輝きが、まるで自分を凍え死にさせんとしているように思えた。
(あぁ・・・いや、むしろ、いっそのこと・・・・・・)
沈黙のため息。
贖罪を求める代わりに、彼女は歩みを速めたのであった。
しばし歩くと、目的地が見えてきた。
『ランプ』と銘打たれた酒場は、あまり大きい店でなく、深夜の今、暗闇に沈んで存在感を無くしていた。店の左側には小さな路地があって、細い道が反対の通りまで続いている。野良猫が出てきたのと入れ替わりに、アリシアは路地に足を踏み入れた。
道の中程に到ると、右手に古びた木戸があった。錠を掛けるべきところには、口を開いた南京錠が力なくぶら下がっている。アリシアは路地の入り口を一瞥して、それから寸の間躊躇し、ゆっくり木戸を開くと中に入っていった。
木戸をくぐると、そこはこぢんまりとした庭だった。その中央に、輪郭を闇に溶かした人影がある。アリシアは一歩だけそれに近寄り、警戒心からか立ち止まった。
人影はアリシアの方を向いて、軽くお辞儀をした。
「こんばんは。お待ちしておりました、アリシア殿。」
「・・・・・・お待たせ致しました、ジキル様。」
ジキルはアリシアを手招いた。渋々、といった風情で、彼女は庭の奥へと進む。
アリシアが人1人分くらいの間を空けて立ち止まると、彼は幾分か声を低めて、アリシアに尋ねた。
「――――――して、第1王子様はおられましたか?」
きた・・・っ――――――――アリシアは唇を少しだけ噛んで、ジキルを睨むように見た。
ジキルはジキルで、歪んだ笑みを浮かべ、アリシアの視線を受け止めた。
「どうかなさいましたか、アリシア殿?」
「いえ・・・・・・その・・・・・・実は・・・・・・・・・」
わざとらしく口ごもりながら、アリシアは察していた。
(私の考えは読まれている・・・。・・・でも、退くわけにはいかない!)
決断は既にしていた。
アリシアは――――まぁ、バレているならもういいか――――と、諦めて、大根にも程がある演技をうつ。
すなわち彼女は俯いて、内心で大いに怯えると同時に大いに笑いながら、棒読みでこう言ったのである。
「申し訳ありません、ジキル様。第1王子様を見つけたには見つけたのですが、王子様は私にお気付きになると、素早く御身をお隠しになってしまいまして・・・・・・。それっきり、見失ってしまいました。本当に、申し訳ございません。」
アリシアが1人でどんな決心をしたのか、何を守って何を犠牲にしようとするのか、ジキルには手に取るようにわかっていた。わかっている、ということに気付かれていることもわかっていた。
だから、怖い笑顔で、言ったのであった。
「そうですか・・・・・・。しかし、ご安心ください。こんなこともあろうかと、他の者にも見張らせておりますから。」
「・・・・・・はい?」
「はい。ですので、貴女の役目はここまでです。」
アリシアは、嫌な予感に身を固くした。
「どうぞ・・・・・・ごゆっくりお休みください。」
彼がパチンッと指先を鳴らした瞬間、夜中の庭に気配が満ち溢れ、風切り音があちらこちらからし―――――――――何もわからぬまま、アリシアの視界は暗闇に閉ざされた。




