宿題
俺は次の日の夜彼女の家に行く前に昨日立ち寄った宝石店に再び向かった。
ジィさん・・・店主は、やはり来ましたかといった顔で俺を迎えると店のカウンターの横にある椅子に俺を案内した。
「 それで、カノジョさんの指の大きさはわかりましたか? 」
「 あぁ。 」
俺はそう言って輪を作ったヒモを店主に渡した。
彼女の指に直接巻いて測ったわけじゃないけど、手の大きさや指の細さはもちろん、体温、脈拍まで・・・
一度しか握らなかったあの手を俺はしっかり憶えていた。
「 わかりました。ではこのサイズでお造りいたします。受け取りはいつになさいますか? 」
「 三ヵ月後で、それくらいには金が貯まるから。 」
「 それでは、三ヵ月後にお支払いと指輪の受け渡しでよろしいですか?」
「 あぁ。 」
店主は契約書らしき書類に俺の住所や名前を書かせたあとに、自分でヒモの輪の大きさを確かめて書類に書いていた。
やはりこういう場所離れない俺は、居心地が悪そうに椅子に座って店主が書類を書き終わるのを待っていた。
俺のそんな様子に気がついたのか、店主は親しげに俺に話しかけてきた。
「 そういえば、この前店の前で声をおかけした時に私はあなたに『いいカレシさんだ。』といいましたよね。 」
「 あぁ、そういえば言われたような・・・。 」
彼女のことであのときは頭がいっぱいだったので、あまり覚えていないが
店主がそんなことを言っていたのをおぼろげに俺は思い出した。
「 お気づきでないと思いますが、私はあの言葉を二重の意味で言ったんです。 」
「 二重の意味? 」
店主は少し楽しそうにほほ笑むと言った。
「 ひとつはごく当たり前の『カノジョにプレゼントを買ってあげるいいカレシ』という意味。
もうひとつは――― 」
言いかけて店主はそこで何かを思い出したように俺に訪ねた。
「 ――― そのまえにお客様はこの指輪についている花を何だかご存知ですか? 」
あの小さなうす桃色の花を思い出す。
「 初めて見たときに梅の花みたいだな。と思っただけで、それ以上は考えてなかった。 」
わからない。と俺が言っても店主は嫌味な感じではなく、むしろさらに楽しそうにその花の名を口にした。
「 そうですか、あれは『サンザシ』という花なんです。 」
「 さんざし? 」
花には縁もゆかりもない俺にはまったく分からない花の名だった。
「 サンザシはバラの仲間の植物なんです。春の終わりに花を咲かせて、秋になると赤い実をつけます。食べ物にもよく使われているんですよ。」
「 へぇ、ぜんぜん知らない花だ。で、どうしてその花が俺が『いいカレシ』だってあんたが言うことと関係があるんだ?」
「 花言葉です。 」
店主の口から思わず少女趣味みたいな単語が出てきたから俺は驚いた。
「 花言葉ってあれか? 花ごとに違う意味がついているとか言う・・・。」
「 そうそれです。サンザシにももちろん花言葉がついているんですよ。どんな言葉か想像できますか? 」
「 いや俺そういうもんに興味とか持ったことがないからなぁ・・・。 」
俺はガシガシと頭をかいた。
「 そうですか、じゃぁせっかくですから指輪をお渡しするときに正解をお教えしましょう。
そのときまでに考えておいてくださいよ。これは宿題です。 」
「 分かった。 」
そうは言ったものの、俺にはあまり考える気がなかった。
俺の返事でそのことを悟ったのか、店主は困ったような表情を浮かべた。
その表情を見て俺は少し申し訳ない気持ちになった。
「 ・・・ちゃんと考えるから、ヒントをくれないか?知識がないから手も足も出ない。 」
店主はおれの言葉を聞くと表情を変えて、優しい声でいった。
「 ヒントですか?そうですねぇ・・・私の勘が正しければ、今のあなたのカノジョに対する気持ちそのままだと思います。 」
「 俺の気持ち?」
意味が分からず俺は店主の言葉を繰り返す。
言葉の意味が理解できないわけではない。理解できないのは俺の気持ちのほうだ。
「 えぇ。それ以上は申し上げなくてもわかると思いますよ。 」
店から出て彼女の家に向かう。
俺が彼女に抱いている気持ち・・・
何だろう?
いったい何だろう?
彼女と一緒にいると心が洗われる気がする。楽しい。安心する。
彼女に何かしてあげたい。喜ばせたい。
彼女のことをもっと知りたい。もっと。
生け垣を挟んだ俺と彼女は正反対だった。
生け垣の外で拳を血に染めて、地を這いながら、世の中を、人を恨み生きてきた俺。
生け垣の内で何をするわけでもなく過ごし、見たことのない世の中に思いをはせていた彼女。
あの日がなければ一生出会うことはなかった。
それでも俺と彼女はあの日、出会った。
相変らず乱暴で、ひねくれた俺。
相変わらず優しく、まっすぐな彼女。
俺たちは出会っても正反対だ。
それでも――――
今、彼女は俺の一番大切な存在だ。
顔も見たこともない相手なのにこんなことを思うのはおかしいかもしれない。
「 好きだ。 」
口に出してみる。
俺の気持は愛とか恋とかそんなどこにでも転がっていそうな言葉で片付けられてたまるものかと思うが、
あいにく俺には、この気持ちをを言い表す言葉を持ち合わせていない。
しょうがなくもう一度口にしてみる。
「 好きだ。 」
少し胸のあたりがざわつく。
こんな気持ちを抱くのは彼女が最初で最後の気がした。
何の根拠も自信もないけど俺はそう思った。
生け垣の向こうで――――
彼女は俺と同じことを思っていてくれているだろうか。