指
今日も俺は仕事を終え、商店街を通って彼女の家に向かっていた。
いつのまにか出会ってもう3ヵ月たっていた。
馴染みの飲み屋のオヤジから声をかけられても店に立ち寄ることは少なくなった。
彼女との時間の方が遥かに大切になっていたからだ。
あまり寒い中あいつを待たせるわけにはいかない・・・。
と思い道を急ぐ俺の目に何かがキラリと映った。
いつもは足早に通り過ぎるだけの宝石店。
そこのショーウィンドーに飾られていた小さなものに俺は釘付けになった。
うす桃色の梅の花ような飾りが大小1つず並んでついた指輪だった。
5枚の花びら、その中によくみると雄しべとか雌しべが(俺にはどれがどれだか分からない。)こまごまと造られていた。
こういうものにあまり俺は詳しくはないけれど、結構いい造りをしていると思った。
「 その指輪がお気に召したのですか? 」
店の入り口から店主らしきジィさんが出てきた。
そろそろ店じまいらしい。シャッターを閉めるための棒を持っていた。
「 え、あぁそうです。 」
「 カノジョへのプレゼントですかな? 」
カノジョ・・・
俺は確かに彼女のことを考えてこの指輪のことを見ていたが、俺と彼女はそんな関係ではない。
でも、ここで違うと言うのもおかしい気がした。
「 まぁ。そうです・・・可愛いものが欲しいって言ってたから。 」
「 ほぅ。なんともいいカレシさんだ。サイズが分かればすぐにでも発注できますよ。 」
老人はニコニコしながら言った。
「 さいず? 」
「 ほら、指輪にも大きさってものがありますからね。 」
「 あぁ。そうか・・・ 」
そうはいっても俺は彼女の顔だって知らないし、ましてや手なんて握ったことがない。
「 じゃぁ、またカノジョさんの指のサイズが分かったらいらっしゃいな。 」
まだ買うとも言っていないのにジィさんは話をぽんぽんと進めてしまう。
値段もそこそこだが、まぁ2、3ヶ月働けば十分買える値段だった。
「 分かった。 」
ジィさんに俺はそういうと足早にその場を立ち去った。
彼女の家に向かいながら俺は考えた。
毎晩話しかしないから俺は彼女の声しか知らない。
あと、この前知った病弱だということ。
もしかして、ずっと動いてなさそうだから、ものすごいデブだったり・・・
いや、それはない。
相撲取りのような声はしていないからな。
くだらない事を考えながら、俺はもっと彼女のことが知りたいと思った。
年とか、どんな食べ物が好きだとか、俺が来ない間は何をしているのかとか―――
その日はいつもと逆で彼女が俺の質問攻めにあった。
「 なぁ、年は?」
「 19才です。」
「 俺より1つ下なんだな。」
「 そうなんですか? 」
「 好きな食べ物とかあるか? 」
「 今の時期は芝山が作ってくれる栗ごはんが好きです。 」
「 嫌いな食べ物は? 」
「 何でも食べます。 」
「 エライな。俺はピーマンが嫌いだ。 」
「 そうなんですか? 」
「 ペットは飼ってるのか? 」
「 私の体の関係で、犬とか猫は飼えないので、金魚を5匹飼ってます。 」
「 趣味は? 」
「 絵を描くのが好きです。あまり体を動かさなくていいので。 」
「 利き手はどっちだ? 」
「 右です。 」
「 本とかよく読むのか? 」
「 えぇ、昔から占いの本は好きでよく読んでます。 」
「 好きな色は? 」
「 白・・・あ、最近は黒も好きです。 」
黒も好きです。
くろもすきです。
いや、それは俺のことを言っているんじゃないとは分かっていた。
けれども、心臓がトクンと鳴ったのが自分でも分かった。
あ。
これは―――――
「 どうしました? 」
急に黙り込んだ俺に心配したのか彼女は声をかけてきた。
「 いや・・・りょ、両極端だな。 」
「 ふふ。そうですね。 」
曖昧にごまかして俺は言った。
生け垣があってよかった。
今の俺の顔は真っ赤だ。
それこそ見せられたもんじゃない。
「 今日は何だか質問攻めでしたね。 」
「 いや、なんだか急に色々気になってな・・・。 」
「 ふふ、今日の黒さん変ですよ。 」
「 そっ、そんなことねぇよっ。」
俺がちょっと意地になって言ったのが余計面白かったのか、彼女はさらに笑い出した。
俺は反論するのを止めた。
そういえば忘れるところだった。と思って俺は笑い続けていた彼女に切り出した。
「 なぁ。」
「 はい? 」
何故だかわからない。俺は緊張して一回息をおおきく吸ってから言った。
「 あんたの手、見せてくれないか? 」
「 手? 」
「 あぁ。見てみたい。生け垣からズボッて出すだけでいいから。 」
「 ?? 」
彼女の理由が分からないといった感じが伝わってきたが、
しばらくすると座っている俺の顔の後ろあたりからガサガサと音がした。
俺は生け垣から体を起こすと振り返って彼女の手を待った。
スッと差し出されてきた手は
街灯の灯りが透けるのではないかと思うくらいに白かった。
俺はその手をしばらくじっと見た。
白い手。
細い指。
その指先にはあの指輪についていた花と同じ色の爪がついていた。
俺は彼女の差し出された手がこの世のものだとはなんとなく思えなかった。
存在を確かめるように俺はその手に触れてみた。
俺の汚れた手とはあきらかに違うなめらかな質感。
冷たい。
両手で彼女の手を包んだ。
冷たい。
このまま俺の手の中で雪のように消えてしまいそうな・・・そんな儚さが彼女の手にはあった。
無意識に俺は彼女の指に自分の指をからめて握った。
彼女も少しためらって俺の手を握り返した。
「 あったかい・・・ 」
「 あぁ。 」
不思議と会話はそれだけだった。
目を瞑る。
彼女の手から彼女の脈がかすかに伝わってくる。
「 キャサリン。 」
そういえば初めて名前を呼んだ。
「 はい? 」
「 あんた、生きてるな。 」
「 え? 」
生け垣のこっちと向こう。
互いの存在は今この瞬間まできちんと確かめたことはなかった。
彼女はここにいる。
その存在をこれほどまで強く感じたことはなかった。
「 いや、なんでもない。」
そういって俺は手を離した。
名残惜しかったが、これ以上触れていると・・・
俺の方がおかしくなりそうだった。
「 じゃあ、俺帰るな。 」
「 あ、はい・・・・・・黒さん。」
「 ん? 」
「 初めて名前、呼んでくれましたね。 」
なんだ、気付いてたのか。
俺は、あぁ。とだけいって彼女の家をあとにした。