毎晩
何故か彼女に会ったあの夜から仕事が続くようになった。
まぁ、始めはそんなには長くなかった。
まず3日間だけ、次は5日間、7日間・・・・・。
きっと俺の中に渦巻いていたどろどろとした物のはけ口ができたからだろう。
結局あの夜以来、毎晩俺はあそこに足を運んでいた。
そして今日も――――
「 あの野郎の存在自体ががムカつくんだ。」
生け垣を境にして今日も身振り手振りで喋る俺。
「 あら。どんな風に?」
そんな俺を生け垣の向こうで見る彼女。
きっとこんな俺を彼女は細い三日月と違った笑いかたで見ているんだろう。
「 どんな風にって・・・そりゃ・・・小言ばっかり言いやがるし・・・ハゲてるし
それに・・・。」
「 それってあんまりムカつくもんじゃないんじゃない?」
言葉に詰まった俺に助け舟を出すように彼女はクスクス笑いなが言った。
「 んー・・・。我慢できないわけじゃぁねぇけどな。」
「 じゃぁちょっと我慢してみればいいじゃない?」
彼女が生け垣の向こうでまた笑った。
「 そうだな。」
まるで子供だ。
キャサリンの前では俺の棘を持っているはずの口調も目つきも役にはたたない。
小さな子供が大人に喰らわす拳。
いや、それ以下だった。
そういえばキャサリンは自分のことは話さないな。
いつも俺の愚痴ばっかり聞いていて楽しいのか?
少し気になった俺は尋ねた。
「 あんたはいつも何してんだ? 」
「 え? 」
キャサリンは少し驚いたように言った。
「 俺の愚痴ばっかり聞いてても面白くないだろ。あんたは昼間何してんだ? 」
沈黙があった。
彼女が少し話そうか迷っているような気配が生け垣の向こうでした。
「 何もしていないわ。 」
「 何もしてない?そんなことなんてあるのか? 」
「 あなたに比べたら何もしてない。 太陽の下に出ると汗をかいて体力を消耗してしまうから、
暗い部屋の中でベットで眠っているだけ。 」
彼女は悲しそうに言った。
「 夜は外に出ていいのか? 」
「 ええ。今は涼しい時期だから・・・夏なんて夜も暑いから一日中部屋に缶詰だったのよ。 」
「 そんな生活俺には耐えられないな。 」
俺はもともと活発なタイプだ。
昔は宿題なんかやらないで遊んでばっかりだった。
家に缶詰なんて死んでもごめんだ。
「 でしょ。でもこれでも昔よりはマシなのよ。 」
「 昔? 」
「 私、生まれつきとっても体が弱くて、
つい一年前くらい前まで病院の外なんか出たことなかったの。 」
「 っ。 」
俺は言葉を失った。そんな俺の様子に気がついたのか慌てて言った。
「 別に気にしないで、今はだんだん丈夫になってきてるから。 」
あぁ。キャサリンが俺の話を楽しそうにずっと聞いていたのは、
何も外のことを知らなかったからだったのか。
俺はその時初めて気がついた。
「 そうか、そりゃよかった。 」
そうは言っても俺は少なからず動揺していた。
何年も何年も同じ部屋だけで過ごす毎日。
自分には到底耐えられそうにない。しかし、それが彼女のすべてだったのだ。
その時彼女に何かしてあげたいという気持ちが初めて芽生えた。
しかし、あいにく俺は女を喜ばせるような上手いことは言えない。
「 何か欲しいものないか? 」
自然と口がそう言っていた。
最近はきちんと働いているから稼ぎはいいんだ。
「 え? 」
彼女はやっぱりさっきみたいに驚いた。
「 外の世界をまったく知らないあんたに社会の先輩である俺からのささやかな贈り物だ。
毎日俺だけ愚痴を聞いてもらって、得してても割に合わないからな。 」
「 別にそんなものいただかなくても、私はあなたと――― 」
「 いいって、遠慮するな。何かあるか? 」
何か言いかけた彼女の言葉を遮って俺は言った。
「・・・。」
彼女は諦めたようにしばらく考えていた。
「 ・・・か・・可愛いものが何かほしいです。 」
少し恥ずかしそうに彼女は言った。
俺は見たこともないのにその恥ずかしがる顔は可愛いだろうと思った。
「 そりゃまた抽象的だな。 」
吹き出すのをこらえながら俺が言うと、彼女は拗ねたように言った。
「 きゅ、急に言われても思いつきませんっ。 」
「 はは、わかった。わかった。可愛いものね。」
ついに笑ってしまった。
それにしても可愛いものか・・・。
「 お嬢様。今夜は冷えます。そろそろ中に入られた方が・・・。 」
生け垣の向こう、彼女の家の中からいつものバァさんの声がした。
「 もう、芝山は心配しすぎよ。 」
どうやらこの芝山というバァさんは彼女の世話をしているらしい。
大体俺たちの会話はこのバァさんが彼女を家の中に呼び戻そうとする声で終わりを迎えた。
「 そうは言われましても・・・。 」
少し困った感じの芝山の声が聞こえた。
「 じゃぁ俺はそろそろ帰るか。 」
そういって俺は立ち上がった。
座り込んで寄りかかっていた生け垣にはいつの間にか俺用のくぼみができてしまっていた。
「 あら、そう・・・。 」
彼女の少し寂しそうな声に後ろ髪を引かれるが、
体が弱いなんて話を聞いてしまった日にグダグダ居座るわけにもいかない
「 じゃあな。 」
「 ええ。 」
生け垣の向こうの彼女には見えるはずもないのに、
俺はちょっと手をあげてからその場を立ち去った。
またな。
という言葉はいつも言わなかった。
毎日来るのに、明日もどうせ来るのに言わなかった。
彼女ならわかっていると思っていた。
キャサリンには俺の『黒』という名前しか教えていない。
俺がこの場所に来なくなればこの生け垣をはさんだ関係は終ってしまう。
終ってしまうのだ。