地味でケチだと婚約破棄された事務官令嬢ですが、国家予算を握っているのは私なので、横領王子の破滅を承認します
きらびやかなシャンデリアの下、オーケストラの演奏がかき消されるほどの怒声が響き渡った。
「エリアナ・ベルンシュタイン! 貴様のような陰気で金に汚い女との婚約は、今この時をもって破棄する!」
アルカディア王国、建国記念パーティ。
国中の高位貴族が集う華やかな会場のど真ん中で、私、エリアナ・ベルンシュタイン伯爵令嬢は、婚約者である第二王子ジオルド殿下から指を突きつけられていた。
ジオルド殿下の隣には、ピンク色のふわふわとした髪の愛らしい少女がへばりついている。男爵令嬢のミィナ様だ。
彼女は、まるで歩く宝石箱のように飾り立てられていた。首には大粒のルビー、指には幾重ものリング、そしてドレスは特注の極彩色シルク。
対する私は、いつもの王宮事務官としての制服に近い、濃紺のシンプルなドレス。化粧気もなく、実務用の銀縁眼鏡をかけている。
「……ジオルド殿下。婚約破棄、とおっしゃいましたか?」
私は冷静に問い返した。声が震えないよう気をつける必要すらなかった。なぜなら、私の胸にあるのは悲しみではなく、『やっとか』という呆れと、少しの安堵だったからだ。
「そうだ! 聞こえなかったのか、この朴念仁め! 貴様はいつだってそうだ。俺が何を求めても『予算がありません』『規定に反します』の一点張り! あまつさえ、ミィナがいじめられていると訴えても無視をしたな!」
「いじめ、ですか」
「とぼけるな! ミィナが欲しがっていたドレスも、宝石も、貴様がすべて『却下』したそうではないか! 未来の王族となる彼女への敬意が足りない証拠だ!」
ジオルド殿下の言葉に、会場中がざわめく。
しかし、そのざわめきの色は、殿下が期待しているような私への非難ではなかった。
聡明な貴族たちは気づいているのだ。男爵令嬢ごときが、王族の予算を使ってドレスや宝石をねだること自体が異常であると。
私は眼鏡のブリッジを中指で押し上げ、淡々と事実を述べた。
「殿下。ミィナ様はまだ王族ではありません。単なる男爵令嬢です。その彼女に対して、王宮の予算から私的な装飾品費を捻出することは、財務規定第108条により禁じられております」
「うるさい、うるさい! 俺が許可すると言っているのだ! 次期王であるこの俺が!」
「次期王、とおっしゃいますが、王位継承順位は第一王子である兄君が一位です」
「ぐっ……! 兄上など関係ない! とにかく、俺は貴様のような融通の利かない、可愛げのない女にはうんざりなんだよ!」
ミィナ様が、ジオルド殿下の腕にさらにしがみつき、上目遣いで私を見た。
「そうですよぉ、エリアナ様。女の子はもっとニコニコしてないと、愛されませんよぉ? 私なんて、ジオルド様に愛されすぎて困っちゃうくらいなのにぃ」
彼女の挑発的な視線。
ああ、なるほど。
彼女たちは、私が泣いて縋るとでも思っているのだろうか。
あるいは、嫉妬に狂って醜態を晒すとでも?
(残念ながら、私の感情リソースは、あなた方のような不良債権に割くほど余ってはいないのです)
私はチラリと、会場の上階、貴賓席のバルコニーへと視線をやった。
そこには、グラスを片手に冷ややかな視線をこちらに向けている、長身の男がいる。
漆黒の髪に、氷のような青い瞳。
王国の宰相であり、公爵位を持つサイラス様だ。
彼と目が合う。
サイラス様は、表情一つ変えずに、わずかに顎を引いて頷いた。
――合図だ。
(では、始めましょうか。決算処理を)
私は居住まいを正し、先ほどよりも少しだけ声を張り上げた。
「わかりました。ジオルド殿下、その婚約破棄、謹んでお受けいたします」
「ふん、やっと認めたか。慰謝料などは期待するなよ? 有責はお前にあるのだからな」
「いいえ、殿下。慰謝料など不要です」
「な、なんだと? 強がりを……」
「その代わり――精算をしていただきます」
私は手元に持っていたクラッチバッグから、一束の書類を取り出した。
それは魔法加工された羊皮紙で、一度記述された内容は改ざんできない『絶対記録紙』だ。
私がそれを取り出した瞬間、バルコニーにいたサイラス宰相が動き出した気配がした。
「なんだそれは。恋文か? 今さら俺に手紙など……」
「いいえ。これは過去3年間にわたる、ジオルド殿下およびミィナ様関連の『使途不明金』に関する特別監査報告書です」
そのタイトルを読み上げた瞬間、ジオルド殿下の顔から血の気が引いた。
「監査……報告書、だと……?」
「はい。殿下は『俺が許可する』と言って、本来認可されていない予算を無理やり引き出そうとされましたね。私が窓口で止めた分だけでも50件。しかし、私の目を盗み、あるいは部下を恫喝して持ち出された物品や横領された公費……その総額は、金貨にして約8万枚に上ります」
金貨8万枚。
会場が静まり返った。
それは、小規模な領地の年間予算にも匹敵する金額だ。
「な、な……で、デタラメを言うな! そんなに使っているわけがない! それに、俺は王族だぞ! 国の金を使って何が悪い!」
「王族費には上限があります。殿下はその上限を、今年度だけで既に300%超過しています。これらは全て、ミィナ様への贈り物、および違法賭博への出資に使われていますね?」
「ち、違う! それは……!」
ミィナ様も青ざめている。彼女が今身につけている宝石も、ドレスも、すべてその『横領金』で買われたものだということが、衆目に晒されたからだ。
「証拠はすべて、ここにあります。日付、金額、そして殿下が無理やり書かせた誓約書も」
「き、貴様ぁ……! そんなものを隠し持っていたのか! よこせ! 今すぐそれを燃やしてやる!」
ジオルド殿下が逆上し、私に掴みかかろうとした。
男の腕力には勝てない。
だが、私は一歩も動かなかった。
動く必要がなかったからだ。
「――そこまでだ、愚か者」
絶対零度の声とともに、黒い影が私の前に割り込んだ。
ジオルド殿下の振り上げた腕を、片手で軽々と受け止めたのは、サイラス宰相だった。
「サ、サイラス……! 邪魔をするな! これは俺とエリアナの問題だ!」
「いいや、違うな。これは『国家に対する反逆』の問題だ、ジオルド第二王子」
サイラス様は、汚いものに触れるかのように殿下の腕を振り払った。
そして、私の肩を抱き寄せ、守るように立ちはだかる。
「エリアナ嬢は、財務省筆頭事務官としての職務を全うしただけだ。彼女は過去一年、君の暴挙を食い止めるために、私の指示の下で証拠を集めていたのだよ」
「なっ、宰相の指示だと……!?」
「そうだ。そして、その報告書は既に複写が作成され、陛下の元へも届いている」
その言葉に合わせるように、会場の扉が大きく開き、近衛騎士を従えた国王陛下が現れた。
陛下の顔は、怒りで真っ赤に染まっている。
「ジィィオルドォォォッ!!」
「ひぃッ、父上!?」
雷のような怒声。
陛下はジオルド殿下の前まで大股で歩み寄ると、有無を言わさずその頬を張り飛ばした。
乾いた音が会場に響く。
「この恥知らずめが! エリアナ嬢の再三の諫言を無視し、あまつさえ国庫に手を付けるとは! 我が息子ながら情けない!」
「ち、違うんです父上! これはエリアナが、俺を陥れるために……!」
「黙れ! 余はずっと見ていたのだ! エリアナ嬢がどれほど苦労して、お前の尻拭いをしていたかをな! それを感謝するどころか、婚約破棄だと!? 望み通りにしてやる!」
陛下は懐から、一通の書類を取り出し、ジオルド殿下に投げつけた。
「廃嫡決定通知だ。貴様は今日をもって王籍を剥奪し、北の鉱山へ送る。そこで労働し、横領した金を一生かけて返済せよ!」
「は、廃嫡……!? 鉱山……!? 嫌だ、嫌だぁぁぁ!」
「ミィナ、貴様もだ! 王族をたぶらかし、国費を浪費させた罪は重い。同罪として鉱山送りとする!」
「う、嘘よぉ! 私はただ、愛されてただけでぇ! ジオルド様が勝手にやったことじゃない!」
ミィナ様は叫びながらジオルド殿下を突き飛ばし、なんとサイラス様にすがりつこうとした。
「宰相様ぁ、助けてくださいぃ! 私、騙されてたんですぅ!」
「……触るな」
サイラス様の一睨み。
それだけで、ミィナ様は氷漬けになったかのように硬直した。
「私の視界に入るな。不快だ」
衛兵たちが駆け寄り、泣き叫ぶジオルドとミィナを引きずっていく。
「エリアナ、悪かった! やり直そう!」「宰相様ぁぁ!」という見苦しい声が、扉の向こうへと消えていった。
後に残されたのは、静寂と、少しの興奮。
すべてが終わった。
私は肩の力が抜けるのを感じて、小さく息を吐いた。
「……お疲れ様、エリアナ」
耳元で、甘く低い声がした。
見上げると、先ほどの氷のような表情とは打って変わって、熱を帯びた瞳のサイラス様がいた。
彼は私の顔を覗き込み、そっと私の眼鏡に手を伸ばした。
「あ……」
眼鏡が外される。
視界が少しぼやけるが、サイラス様の美しい顔だけははっきりと見えた。
「やっと、この日が来たな」
「……はい。長かったです、サイラス様」
「よく耐えてくれた。君のような優秀で、誠実な女性を、あの愚か者の婚約者にしておくのは……私にとって拷問だったよ」
サイラス様は、私の腰に手を回し、ぐっと引き寄せた。
会場中が見ている。陛下も、ニヤニヤしながら見ている。
顔が熱い。
「サイラス様、皆様が見て……」
「見せつければいい。君はもう、誰のものでもない。……いや、私のものになる予定だ」
彼はポケットから、小さな箱を取り出した。
パカリと開かれると、そこにはジオルド殿下が決して贈ってくれなかった、しかし彼が横領した金よりも遥かに価値のある、大粒のサファイアの指輪があった。
「エリアナ・ベルンシュタイン。私と結婚してくれないか。国家予算だけでなく、私の資産も、心も、すべて君に管理してほしい」
「……ふふっ」
プロポーズの言葉まで、仕事熱心な彼らしい。
私は胸の奥が温かくなるのを感じながら、精一杯の笑顔で答えた。
「はい、喜んで。……厳しい監査が入りますけれど、覚悟はよろしいですか?」
「望むところだ」
サイラス様は満足げに微笑むと、私の唇に口づけを落とした。
会場からは、先ほどの怒声とは比べ物にならないほどの、割れんばかりの拍手が巻き起こった。
こうして、地味でケチだと言われた私の婚約騒動は、国の不正の一掃と、新たな恋の始まりによって幕を閉じたのだった。
最後までお読みいただきありがとうございました!
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次作も「ざまぁ×溺愛」を準備中ですので、お楽しみに!




