第八話 開かれた世界
「うぅ、いてて……」
迷宮の崩落が始まってどれくらいの時間が経っただろう? ようやく大きな音が静まったので、身体を覆っていた瓦礫を退かして身を起こした。
ひたすら瓦礫の山に身体を殴打され埋め立てられ続けた私は、それでも割とピンピンしている。
そりゃあ痛いし重いし苦しかったけど、それでも負った傷は擦過傷がせいぜい。致命傷とは程遠いので、身体の再生も始まらずにあちこち血が滲んでいる程度には平気だ……いや、これ平気か?
「まぁ、このくらいの傷ならすぐに治るかな? それよりも……おお、夕日だ」
身体の具合を軽く確かめた後、ずっと気になっていた私を真っ赤に染め上げ続ける存在――久しぶりに見る夕日へと視線を移した。
「うわぁ、奇麗だな――」
きっと、誰もが一度は見たことある何の変哲もない夕日や、その夕日に照らし出された茜色の雲や夕焼けの空。特別な物なんて何もない。
けれどその光景は、前世でも今世でも見た何物にも負けない絶景だった。
心が震え、知らずに涙が頬を伝う。
知らなかった。こんなに世界が美しかったなんて――。
「そうか……出られたんだ、外に」
彼方で地平に沈みゆく夕日を見やり呟けば、ようやく実感が湧いてきた。ついにあのジメジメとして陰気で、化け物が闊歩する迷宮から脱せられたのだ。それはもう、万感の思いだった。
「――よし、そろそろ動こう……うん?」
いつまでも眺めていられそうな夕日から視線を切って、動き出すために足元を見る。
すると、そこには私の首元から消えたはずの首輪が落ちていた。
「たしか、『隷属の首輪』だっけ?」
拾い上げてみると、やはり先ほどの戦いで使われた呪宝とか言う怪しげな首輪だ。なぜこんなところに?
『まさか、『策士策に溺れる』とは、な……』
「うげぇっ!」
突然首輪から声が響き、思わず持っていた首輪を放り投げた。そしてそれとほぼ同時に、その声がエルゲアの物であったと思い出し慌てて回収する。
何とか首輪が地面に落ちる前にキャッチしてみれば、やはり首輪から呆れたような声が響いた。
『いきなり投げる奴がいるか、気をつけろ』
「いや、そんなこと言われても。驚いたし……というより、生きていたんだ?」
手応えとしては完全に亡き者にしたつもりだったんだけど。あんな風に全身が散り散りになっても生きていられる存在なんているのだろうか? ――あ、私がいたわ。
『当然だ。使用状態の『隷属の首輪』を装着して致命傷を負った者は、受けた傷を無効にして首輪へと封印される。そうでなければ『致命傷を負った者を隷属させる』など不可能だからな。そして、主となった者の命が無ければ、敗北した者は自力では首輪から出られないのだ』
「へぇ? なんだか封印されてるみたいだね」
『似たようなものだ。実際、吾輩も貴様をその首輪に封じ込めて奥地へしまい込むつもりだった。隷属したところで、貴様など使い道がないからな』
「ひどいっ」
こんな小さな首輪に封印されて何もできないなんて、それじゃあ迷宮を彷徨い続けるよりも味気なさすぎる。きっと退屈で死んでしまったことだろう。あ、死ねないんだった。
『『隷属の首輪』の効力は、支配主が死ぬまで継続する。貴様がどれくらい生きるかは知らんが、おそらく数千年はしぶとく生き延びていそうだ』
「いや、そうなんだろうけど、なんか引っ掛かる言い方だなぁ」
まるで人を生命力の強いゴキブリのように言わないで欲しい。『しぶとく』は余計だ。
「なればこそ、この場に吾輩を捨てていくのが賢明だろう。それだけで貴様ら人類は、吾輩という災いを半永久的に封じ込めておくことができるのだ』
「うーん……」
エルゲアの言葉に嘘偽りがなければ、たしかに人類の平和のために、このまま首輪からエルゲアを出さない方がいいのかもしれない。
けれどどうだろう?
たしかに人類の平和は大事だけど、けれど私には『今世を目一杯楽しむ』という何よりも大事な目標があるのだ。
そしてその目標に従えば、人間よりも長生きしそうな旅の道連れはなくてはならない存在。つまり、会話ができて千年以上生きてきたというエルゲアはピッタリな存在ではなかろうか?
よってここは、彼を連れて行くのが正解なように思える。
そもそもの話、他の人間に会ってみなければ、彼がこの世界にとって災いを齎す存在なのかすらわからないし。
もしかしたらこの世には、私や彼など鼻息で殺せる人間がわんさかいる可能性だってある。それを確かめてからでも、エルゲアの処遇を決めるのは遅くないはずだ、多分……。
「よしっ! そんなわけで一緒に行こうっ!」
「まてまてまて、一体どんなわけだ? 吾輩を連れて行ったところで、貴様には何の益もないぞ?」
脳内で勝手に結論を出した私に、エルゲアが初めて聞くような慌てた声を出す。いや、彼の言い分もわかるが、それを彼が気にするのはおかしな話だ。
それに――。
「ちゃんとメリットもあるよ。だってこうして話し相手になってくれるじゃない?」
「む……これは単なる気紛れだ。別に貴様のためではない」
「うん、それでもいいよ。今まで孤独な迷宮暮らしが長かったからさ、会話や他人の気配に飢えてるんだよね」
きっとエルゲアもそうなんじゃないかと思って反応を待つけれど、掌に乗せた首輪からは何の応えはなかった。
でも、間違いはないはずだ。
だって戦いの最中に、あれだけの会話を繰り広げたのだ。そしてその口元には絶え間なく笑みが浮かんでいたのだ。絶対に元々はお喋り好きなはず。
だからこそ私は、彼と一緒に旅をしたいと思えるのだ。
「これからよろしくね、エルゲア」
「……ふむ、どのみち隷属の身となった吾輩に拒否権はない。貴様が吾輩を連れて行くというのなら従うまでだ」
笑いかけた私にエルゲアのこの塩対応。
うん、仲良くなるにはまだまだ時間がかかりそうだね。心の距離が開きまくってる。
けどまぁ、問題はない。何せ私にも彼にも、きっと十分過ぎる程の時間がこれから待っているのだから。ゆるりと距離を詰めていけばいい。
これから続く未来と広がる世界に思いを馳せ、私の頬は思わず綻んだ。