第四十七話 過剰戦力
「ぐぬぬぅ……この距離とあの相手では、拙者にできることはなさそうでござるな」
沖の方にいる『海巨烏賊』に対し、レイさんが柄に手を置きつつ唸る様に呟いた。
私もここからできることなんて、落ちている石や岩を投げるくらいなので、傍観者を気取る。
もちろん泳げないこともないとは思うけれど、服が濡れちゃうからね。ご遠慮しよう。
本音を言えば、ジオラさんとイギリムさんの戦う様子が見たいだけだけど。
「ほっほっほ。組合指定では、危険度A級の『海巨烏賊』。なかなかの迫力じゃろう? まぁ、まずはこちらに注意を引いてもっと寄ってもらわんと。なぁ、ジオラ?」
『……ああ。ったく、人遣いの荒い爺さんだ』
そこで、満を持して黒級のイギリムさんと剣聖のジオラさんが、『海巨烏賊』側へと一歩近づく。
もちろん、それくらいじゃ全然『海巨烏賊』に届きそうにないけど、ジオラさんはいつの間にか抜いていた大剣を、右手一本で高々と振り上げた。
「なになに? まさか斬撃を飛ばしたり?」
前世で読んだ漫画にあった。剣を振って半月状の斬撃を飛ばす遠距離攻撃……っ!
あれって滅茶苦茶恰好いいんだよねっ!
期待して見つめる私の先、彼はそのまま大剣を振り下ろし――そして柄を握っていたその手をパッと手放した。
「えっ?」
「ぬぅっ?」
まるですっぽ抜けたようにクルクルと回転しながら飛んでいく大剣。飛んだのは、斬撃ではなく大剣そのものだった。ってなんじゃそりゃ?
重要な武器であるはずの剣をあっさりと手放したジオラさんに、私とレイさんが驚いて剣聖とイギリムさんを見る。
しかし彼らは何てことなさそうに、顔をクラーケンへ向けたままだった。
その様子を見るに、やはり大剣はすっぽ抜けたわけではなくわざと投擲したことになる。けれど狙いが分からない。
大剣一本を犠牲にして『海巨烏賊』の注意を引き、残りの長剣二本で戦うつもりなのだろうか? けれどそもそも、この距離では投げた剣も届かないような――。
『……なんだ?』
ふと、エルゲアが怪訝そうな声を出す。
「どうしたの?」
『投げられた剣を見ろ。動きが奇妙だ』
「剣の動き?」
エルゲアのその言葉に視線を海に戻せば、ジオラさんに投げられた剣は未だにクルクルと海面スレスレを飛び続けている。
投げられた角度と大剣の大きさからすぐに着水すると思ったけれど、意外と落ちずに頑張ってるなぁ……ってあれ?
なんと、大剣は徐々に海面から離れて高度を上げると、届くはずがないと思われていたクラーケンの元へ辿り着く。そして掲げていた触手を一本軽々と切断し――さらにはクラーケンを越えて通り過ぎて行ってしまった。
『ルアァァァァラララっ!?』
剣など気にしてもいなかったのだろう。
触手を斬り飛ばされたクラーケンが絶叫を上げ、注意をこちら側へと移した。と、次の瞬間、まるでブーメランのように戻ってきていた大剣が、再びクラーケンの別の触手を斬り飛ばす。
『ルアラァラっ!??』
クラーケンによる二度目の絶叫が響き渡る中、自分の元へと戻ってきた大剣を、ジオラさんが軽々と柄を掴んであっさりとキャッチ。
その様は、反動や重さをまるで感じさせなかった。きっとレイさんの言うように、相当な膂力の持ち主なのだ。
「うむ、かかりおった」
ジオラさんに気を取られていると、冷静なイギリムさんの声に引き戻されて、再び海の方を見る。
すると、触手を斬られて怒り狂ったように、海を割る勢いでクラーケンが近づいてきていた。
冷静に考えればすごく怖い光景なんだろうけれど、緑色の液体を触手の千切れたところから噴き出させながら突っ込んでくる姿は、まるでB級映画を鑑賞しているような趣があった。
大きすぎて現実感がないし、仮に現実感があっても昨日の『風嵐獅子』よりも弱そうなので緊張感も覚えない。
このままイギリムさんとジオラさんに任せておけば、私の出る幕なんてないだろう。
「随分と寄って来たな。頃合いじゃ、ジオラ」
『りょーかい』
イギリムさんの声に反応し、ジオラさんが大剣を再び投擲する。
今度は片手で横薙ぎに振るうような投げ方で、回転せずに切っ先が前を向いたまま突き進み――。
「よっと」
あろうことかイギリムさんが、その大剣の腹にヒョイッと走り飛び乗った。
「ぬぅっ!?」
そんな曲芸染みた光景に、レイさんが呆気にとられたような声を上げた。
「ほっほっほ。どれ、ようやくお前さんと遊べるのう」
『ルガァァ?』
大剣が『海巨烏賊』の頭部らしき場所に突き刺さる。
それと同時にイギリムさんが、握り締めた拳を『海巨烏賊』へとお見舞いした。
一撃、二撃、三撃と、絶え間ない拳による連撃をお見舞いし、『海巨烏賊』の頭部が見る見るうちに陥没し破壊されていく。
『ルルルゥゥァァっ』
「おっと。いかんいかん」
緑色の血飛沫を上げて、海の中へ倒れ込む『海巨烏賊』。
イギリムさんは慌てたように『海巨烏賊』から大剣を引き抜くと、肩に担いでこちらへ戻ってくる。
その際、水面を沈まずに走り続けているのは、一体どういう原理なのだろうか。
それほど浜から離れていなかったこともあり、すぐにイギリムさんはこちらまで辿り着き、苦笑を浮かべて息を吐き出した。
「馬鹿重いこの剣は返すぞ、ジオラ……ふぅ。ちと、深追いしすぎた」
「お疲れ様。けど、海の上を走れるなら、わざわざここまで『海巨烏賊』を引き寄せなくても良かったんじゃない?」
「ほっほっほ。簡単に言ってくれるが、疲れるので長時間や長距離は無理じゃ。そもそも海を足場にして戦うなどゾッとするわい」
私の疑問にジオラさんへ剣を返したイギリムさんは、掻いてもいない汗を拭うように額を手の甲で擦る。その様子を見れば、まだまだ余力はありそうだし、海の上でも普通に戦えそうだけどなぁ。
『ル、ルルガァァァっ!』
空気を割るような雄叫びが上がり、海に沈んでいた『海巨烏賊』が再び浮上してくる。そして怒り狂ったように触手を振り回し、盛大な水飛沫を起こしている。
「ほっほっほ。奴さん、かなりキレとるのう。となると……うむ。やはり来たか」
そして水飛沫を挙げたまま、眼を赤や黄色が混じったような色にランランと輝かせて迫ってくる。もはやこの砂浜に乗り上げてくる勢いだ。
「『海巨烏賊』って、陸でも動けるのかな?」
「おそらくは可能じゃろう。しかし、『海巨烏賊』は元々、水中からの奇襲や、水上や水中での戦いにて本領を発揮する魔物。どれだけ怒り狂おうと、『地で戦う者』にとっては好都合っ」
イギリムさんは言いざま、こちらへ伸ばされてきた二本の触手を手刀で切り落とした。
「ほっほっほ。ガイナと比すれば随分と軟い触手じゃのう。手応えがない」
「ぬぅっ! 剣が届けば拙者も戦えるでござるよっ!」
レイさんも、自身へ向かってきていた触手を切り落とし、さらには迎え撃つように足首まで海の中へと入っていく。
身体の大きさが何倍も違う魔物に臆せず闘う姿は、さすが戦闘狂だと思わされる凄みがあった。
『ルルルゥゥゥァァっ!』
自分へと最接近したレイさんに狙いを定めたのか、『海巨烏賊』から伸びるすべての触手が彼女へと殺到する。
高速のうえ、その質量と勢いから一撃のひとつひとつがかなりの威力だと思えるけれど、レイさんは微塵も苦戦を感じさせなかった。
それどころか、レイさんへと叩きつけられる『海巨烏賊』の触手が、どんどんどんどん短くなっている。レイさんが無駄のない剣捌きで、文字通り次々に触手を捌いてしまっているのだ。
「ぬぅぅぅっ! 来いっ! もっと来るでござるっ!」
緑色の体液に染まりながら、それでもレイさんは獰猛な笑みを浮かべて腕を動かし続ける。
『ルウゥゥゥゥ、グルゥゥ?』
これには『海巨烏賊』も戸惑ったのだろう、怒りを露わに表していた眼の光が、徐々に徐々に薄れていく。
そして無事な触手が一本もなくなった瞬間、分が悪いと悟ったのか浜から距離を取り始めた。どうやら潜れるところまで行き、逃げ出そうとしているらしい。
「ぬぅ、逃げられるでござるっ」
「レイ君。それ以上はやめいっ。奴の土俵に誘い込まれるぞ」
「ぐぬぅ、しかし……」
慌ててレイさんが追いすがろうとするも、イギリムさんに注意されて足を止めた。悔しそうに眉根を寄せ、剣の柄を強く握ったまま遠ざかる『海巨烏賊』を睨みつけている。このまま逃がすのはもどかしいのだろう。
「よーしっ!」
もちろん、私もこのまま逃がすのは看過できないので、追撃しようと一歩踏み出す。
「リィラ嬢、大丈夫じゃ。ジオラに任せい」
しかし、立ち塞がるようにイギリムさんが私の前に手を伸ばし、ジオラさんの方へ視線を送った。
「ジオラ。奴を陸に上げるんじゃ」
『ったく。簡単に言ってくれるぜ』
ジオラさんは面倒くさそうにくぐもった声で不満を言いつつ、砂浜から一気に跳び上がった。
「ぬぅ? あの鎧姿で跳んだ? なんて跳躍力でござるっ!」
レイさんは驚いたような声を出して、一っ跳びで『海巨烏賊』まで到達したジオラさんを見上げるけれど、私に言わせれば『跳んだ』ではなく『飛んだ』だ。
ジオラさんが飛び上がる際、彼が足場を蹴った様子は一切なかった。現に、彼がいた場所の砂は、少しもへこんでいない。
つまり、ジオラさんは助走や勢いをつけずに、優に二、三十メートルは空中移動したことになる。それはもはや、跳躍ではなく飛行だろう。
けれど、驚くべきはここからだった。
『ルガァァっ?』
辿り着いた『海巨烏賊』の頭部へ深々と大剣を突き刺したジオラさんは、『おらよっ』と声を上げ剣を上に振り上げた。ちなみに、『海巨烏賊』は突き刺さったままだ。
まるで串にささった焼き鳥のように、五十メートルほどの巨体が振り回されている光景は圧巻だ。完全に身体が水中から出てしまっている。
そしてジオラさんが剣の切っ先を勢いよく砂浜側へ向けたことにより、遠心力で『海巨烏賊』がこちらへ飛んできた。
「おおっ! あの巨体が浮いたよ?」
「ぬぅっ! リィラ殿っ! か、回避でござるっ!」
レイさんが切羽詰まった声で叫ぶのも無理はない。
ちょうど『海巨烏賊』の着弾ポイントが、私とイギリムさんがいる場所なのだ。人間なんてぺちゃんこになってしまう。
うん。それはただ、単なる人間であった場合だ。
「ほっほっほ。よいよい、儂がやる」
拳を握り込んだ私をやはり冷静に諫めると、イギリムさんが『海巨烏賊』を迎え撃つようにジャンプする。
そして迫りくる巨体に対し、指を折りたたんだ右の掌底を突き刺す様に叩き込んだ。
「はぁぁぁっ!」
『ルゲァァっ!?』
身体を歪ませ、ありとあらゆる穴から緑色の体液を撒き散らし、私たちの横へと場所をずらして落下する。
横たわるその姿は、完全に砂浜に打ち上げられた未確認巨大生物って感じだ。
全ての触手は中ほどから断たれ、無数の打撃や斬撃の跡が残り、ピクピクと痙攣している『海巨烏賊』。
そんな哀れな魔物に対し、もちろん冒険者と剣聖は微塵も容赦はしなかった。
「ぬぅらぁぁっ!」
「ほっほ。的が大きくて助かるわい」
『さっさとくたばれ』
『ル、ルゥァァァァァっ!!』
我先にと止めを刺しに来る三人の猛攻を受け、『海巨烏賊』の悲し気な鳴き声が周囲を切り裂いた。そして誰の一撃が致命傷となったのか、少しの痙攣を見せた後、『海巨烏賊』は完全に沈黙し動かなくなる。
どうやら完膚なきまでに討伐されてしまったようだ。
巨大で醜悪な海の魔物ながら、その最期にはわずかながら同情してしまう――南無。
「うむ。これでこの周囲一帯の危険は払えたかのう」
一息ついたイギリムさんが、周囲を見渡して大きく頷いた。
辺りには死屍累々と無数の魔物が無残な姿で転がり、そこには私たち以外におよそ生きている者の気配は感じられなかった。
きっと本来いた魚や鳥たちの生き物は、突如として現れた魔物たちを前にどこかへ逃げ出してしまっていたのだろう。
「すまんかったのう、ジオラ。お前さんの手を煩わせるつもりはなかったんじゃが」
『いいよ、こういう時は。けど、冒険者組合の方への報告は頼むぜ? 俺は冒険者ですらないんだからなぁ』
「うむ、もちろんじゃ」
『ほんじゃ任せた』
すっかり一仕事を終えた風情で、軽口を叩き合うイギリムさんとジオラさん。そして挨拶を終えたのか、ジオラさんが片手を挙げてイギリムさんに背を向けた時、
「――待っていただきたい、剣聖殿」
それまで機を窺っていたと思しきレイさんが、鋭い声を投げかけた。




