第二話 どっちが化け物?
「痛いなっ! 馬鹿野郎っ!」
蹴りつけて迷宮に押しやるとは何事かっ!
咄嗟に出てしまった前世の言語で罵りながら、入口に張り巡らされた半透明の壁を叩いてみる。
やはりこちらからは完全に壁になっているようで、まるで石の壁を叩いているような感触だった。
繰り返し蹴ったり叩いたり、いろいろな場所を触ってみたが何も変わらない。
ここから出るのは不可能そうだ。
「ちぇっ、やっぱり駄目か。他を当ろう」
いつまでもこうしていたって何も変わらない。
私は入口から離れて移動することにした。
「ま、待って」
「どこ、い、行くの?」
その場を歩き去ろうとした私は、少女たちに呼び止められて振り向いた。
全身をガクガクと震わせ、顔は涙や鼻水なんかでもう無茶苦茶だ。
同じ境遇だからと言って、どうせみんな死ぬので馴れ合う気なんてない。けれど、あまりにもみっともなくて見てられない。
私は着ていた上等な服の袖で、彼女たちの顔を拭いてやった。
「別に、その辺ブラブラするだけ。どうせ今日中には魔物のお腹の中だろうけど、せっかくだから生きあがいてみようかと」
「わ、私も連れて行ってっ!」
「私もっ!」
「えっ? 別にいいけど、どっちみち死ぬよ? 私、何もできないよ? それでもいいの?」
確認に、何度もコクコクと頷く二人の少女。
うーん、わかっているならいいか。
勝手に期待されて助けられなかったことを恨まれても困るし。
もちろん、逃げ道を見つけられて全員助かり「めでたしめでたし」ならいいけど――まぁ、そんなうまい話はないだろう。
「みんな仲良くここで死ぬことになる。それが理解できてるならおいで」
念押しして手招きすれば、二人の少女は顔を見合わせてから改めて大きく頷いた。
そして私の元へと小走りに寄って来る。同い年くらいなのに、まるで小動物みたいだ。
「それより、それじゃあ動きにくいよね。せめて外せればいいけど」
未だに二人は後ろ手に手を縛られたままだ。
何とか外そうとしたけれど、縄できつく縛られていて解けそうにない。
「うーん、無理」
「えっ? そ、そんなぁ」
「これ痛いし、取ってもらえると」
あっさりと諦めた私に、二人は抗議の声を上げる。そんなことを言われても、無理なものは無理なのだ。
「何か刃物とか見つかったら切ってあげるから。それまで我慢してよね」
「はい……」
「それより、私はリィラって言うんだけど、二人の名前は?」
どうせ短い付き合いになるだろうけど、一応聞いておくことにした。
二人いるとどちらに呼び掛けているか伝わりづらいから。
「あ、はい。私の名前は――」
二人いる少女のうち、私と同じくらい背の低い方がまず名乗ろうとした。
その瞬間――彼女の頭だけが遠く、遠くへと飛んで行った。
「――えっ?」
頭部を失った身体は、まるで噴水のように夥しい量の血を飛散させ仰向けにゆっくりと倒れる。
「ちょ、っと? なにこれ……」
突然のことに思わず固まる私と、
「あ、あ、あっ、あっ……ああぁぁぁぁっ!」
狂ったように顔を微動させ小刻みな呼吸を繰り返した後、大声を上げて走り出したもう一人の生贄。
きっと一刻でも早くこの場を立ち去りたかったのだろうけど、その叫びと動きは完全に目立っていた。
『ギャッギャッギャ』
気色の悪い声を上げ、何かが私の傍を通り過ぎた。
そしてあっという間にもう一人の少女に追いつくと、まるで鎌のように鋭く湾曲した腕を振り下ろす。
「あぎゃ! ぁっ」
たったそれだけで、少女の身体が右と左、真っ二つに引き裂かれた。
同時に彼女の腕の縛めも切れたけど、もう何の意味もないなぁ、なんて漠然と思った。
『ギャッギャ』
少女から噴き出す血を浴びて、その異形は嬉しそうに声を上げる。
まるでライオンやトラをさらに大きくしたような姿をしているが、右の前足は鎌のようになっており、残りの三本の足で自重を支えている。
こちらへ振り返り、見えた大きな口からは鋭い牙を覗かせ、爛々と光る赤い目は凶悪そのもの。
魔物を見るのは初めてだが、話に聞くコボルトや、父の命を奪ったというゴブリンなんかが可愛く見えるほどの化物なのだろう。
「……こりゃ死んだわ」
命を諦める他なく呟いた瞬間、その化物が一瞬で視界から消える。
そして左肩から右の脇腹にかけて焼けるような痛みが走り、鎌になっている腕で斬られたのだと悟った。
――あ、死んだ……
『条件を満たしました。転生特典『不老不死』が発動します』
仰向けに倒れながら死を自覚した瞬間、そんな抑揚のない声が脳に響く。
なんだこれ――? なんて思う間もなく、私から噴き出していた血は、まるで動画を逆再生したかのように私の身体へと戻っていく。
いや、本当に……なんだ、こ、れ?
『グクっ?』
なんだか痛みも一瞬で無くなったのでゆっくりと身体を起こせば、化物も驚いたように一歩こちらから距離を取った。
「なに? あなたがこれをやったわけじゃないの?」
まるで何もなかったかのように塞がっている傷口を触りながら問うも、化物は依然として警戒したようにこちらを見るばかりだ。どうやら奴の仕業ではないらしい。
だとするとやはり、先ほど脳内に響いた声の仕業に違いない。
「うーん? なにが起こって――」
呟く間もなく、再び化物の姿が掻き消える。
そして視界がぐるりと回り、遠ざかっていく自分の身体が見えた。
首のないその姿を見れば、自分は頭だけ飛ばされたのだと理解できた。これは今度こそ死んだだろう――そう思ったのだけど……。
「――うーむむ? なんでだ?」
飛ばされたはずの頭は、まるで引っ張られるように自分の身体へと逆戻り。ピタリと元の位置に収まった。
『ググゥ……ギャギャギャっ!』
平気な顔で首を傾げる私に苛立ったのか、化物は何度も何度も鎌を振るい私の身体を細切れにする。が、それでも私の身体は悉く一瞬で元通りだ。
服は残念な有様だが、幸いこの場に裸を見られて困る相手もいないので問題ない。
最初は怒り任せに鎌を振るっているように見えた化物も、やがてハッキリと焦りの色を見せ始めた。
どうやら斬っても斬っても、殺しても殺しても死なない私に対し、怖れのようなものを覚えたらしい。
私の方も、恐怖心やら痛みやらで最初は化物の為すがままだったけど、これだけされたら随分と斬られる作業にも慣れてくる。それに気付いたけれど、徐々に相手の動きが視認できるようになってきた。
あ、首ちょんぱだな? 次は右からの袈裟斬りかぁ。今度は上段からの唐竹割――ってな具合だ。
試しに左から振るわれた鎌の腕を、身体を一歩引いて避けてみる……あ、避けれた。というより、一歩下がるだけのつもりが、何だか後ろに十メートル近く下がったんだけど。
『グクっ? ガァっ!』
驚いたように目を見開いた後、すぐさま追撃をしようと駆けてくる。
「ふふ、駆けてくる、ね」
そう。今まで一瞬で姿が掻き消えているようにしか見えなかった化物が、私に向かって三本の足を巧みに動かしジグザグに駆け寄って来るのがハッキリ見えるのだ。
『ギャッギャ』
私の目の前に来ると、鎌の腕を真上から振り下ろしてくる。それを正確に視認できた私は、身を捩って躱してから、握りしめた拳を化物の鼻っ面に叩きつけた。
『ギャンっ?』
「あだだっ!?」
悲鳴のような声を上げて後退する化物と、拳の痛みに悶絶する私。
待って、待って? めちゃくちゃ痛い。見ると拳は変形して赤く腫れ、手首に至っては折れた骨が突き出している。開放骨折だ。
「いっつつぅ……なんで治らないのよっ!」
致命傷はすぐに治るくせに、こんなに痛い腕の骨折が治らないなんておかしいだろう。これだけの思いをして殴った化物なんて、悲鳴の割には全然効いていなさそうだし……。
もしかして斬撃限定の治癒能力なのかな?
『ゲッゲッギャ』
怪我が治らない私に対しチャンスだと思ったのか、再び化物がこちらに迫る。痛みで反応が遅れた私は、身体を引き裂かれる致命傷を受け――一瞬で完治する。
するとどうだろう? あれほど痛かった腕も、斬られた傷のついでと言わんばかりに治っていた。どうやら斬撃のみを治すというわけではなさそうだ。
「よーしっ!」
腕の治った私は、再び化物の顔を殴りつける。
『グギャウっ!?』
すると今度は、潰れるような声を出して化物が吹っ飛んだ。迷宮の床を二度、三度と転がり、ガクガクと震える足で何とか起き上がったその顔は、元の形もわからないほど陥没している。
先ほど殴った時と同じような力だったと思うけれど、何がここまで威力を引き出したのだろう?
私の拳も少しジンジンするけど、腫れたり折れたりした様子もない。
『グギャア、グググ』
文字通り顔を潰された化物は、威嚇するようにこちらへしばらく唸った後、やがてこちらを向いたまま後退った。そして迷宮の闇へと消えていく。
どうやら諦めて逃げたらしかった。
「……何とか、生き残ったのかな?」
もちろん数十回、いや優に三桁は殺されてたと思うけれど、何故か結果的に生き残ることができた。鎌のような腕を持つ化物と戦っている時は考える余裕もなかったけれど、私の身体は前世とはずいぶん違うようだ。
「たしか、頭の中で『不老不死』がどうのこうの言ってたけど……まさか、ね?」
まだ半信半疑だけど、何度殺されても元通りになった身体。正直、途中から死ぬ気が一切しなくなっていた。自分がそんな存在になる心当たりがないとはいえ、本当に『不老不死』になったんでなければ説明がつかない。
「うーん。まぁ、考えても仕方ないか」
いろいろとしばらく考えた結果、私は取り合えず棚上げすることにした。
そして無残にも化物に殺されてしまった少女たちの元へと足を向ける。
「……ごめんね。頼ってくれたのに、守ってあげられなくて」
事前に言っていたけれど、それでも私だけが助かってしまったのは何か違う気がしたので謝った。
今さら彼女たちに謝罪なんて必要ないだろうけど、それでも謝りたくなったのは単なる自己満足だ。ちゃんとわかってるから、きっと問題ない。
衣服が綺麗に残っていた、頭部を失くした少女。せめてと思い、彼女の自由を封じていた縛めを解除する。あれほど解けそうになかった腕の縄は、それほど抵抗も感じられず簡単に解けた。
それから上着だけ貰って自分で羽織る。
血塗れではあるが、裸でいるよりは何倍もマシだろう。いや、どうかな? 人それぞれかもしれない……。
「さて、それじゃあ行こうかな」
きっと死体は放っておけば魔物に食い荒らされるのだろうけど、連れて行くわけにもいかない。
後ろ髪を引かれる思いを抱きながら、私はゆっくりとその場を後にした。




