第二十話 エルゲアさんは怒りん坊
翌朝。
ほとんど三百年ぶりに布団に包まってぬくぬくと寝ることができた私は、我ながらのんびりと起床した。
そしてしばらくここがどこだかを考えて、『白兎亭』の二階に泊めてもらったのだと思います。レイさんとは部屋が分かれたので、それなりに広々とした空間だった。何なら少し寂しいくらいだ。
「おはよう、エルゲア」
相棒――きっと本人は認めてくれない――に声をかけるも、やはり巾着袋は無言を返した。昨日、不思議巾着に入れてからずっとこうだ。無理やり突っ込んだことを、ずっと怒っているのだろう。
「……うーん、悪かったよぉ。だから無視しないでってばぁ」
不思議巾着から『隷属の首輪』を意識して取り出してみた――その途端。
『貴様っ! あのような場所に吾輩を入れっぱなしにしおってっ! 暗いし、音もないし、つまらんし、寂しいしっ! いったい何の恨みがあるというのだっ!?』
「うおっ?」
まるで濁流のようにエルゲアの言葉が脳に飛び込んできて面食らう。それだけで彼がどれだけフラストレーションを溜めていたかが良く分かった。
「ご、ごめんってば。もしかして『不思議巾着』に入れてたら会話できないとか?」
「貴様、一体何を聞いていた? たしかに『収納具』に入れられていれば、吾輩が外界の様子を知るすべはない。しかしそれ以前に、触れている相手でなければ吾輩の言葉は届かんのだっ! 言ったはずだぞ?」
「え……そうだっけ?」
すごい剣幕でエルゲアは怒っているけど、私が聞いたのは「所持している私以外には聞こえない――」だから、首輪所持者の私にはどこにいても聞こえるのかと……。
つまりあれか。首輪を物理的に手に持っている私以外には聞こえないと……そう言いたかったのかな?
いやぁ、分かりにくいって。
「でも、首輪をずっと手に持ってるなんて面倒だし邪魔だよ。どうにかなんない?」
『別に触れてさえいればいいのだ。首につけておけば会話はできるぞ』
「えっ、きっつ」
『何がだっ?』
憤るエルゲア。
けれど首輪ファッションなんて私には敷居が高いし、何よりさぁ。この首輪って呪物なんだよね? そんなの首につけるなんて怖すぎるよ。
「あ、これでどうかな?」
思いついた私は首輪を腕につけ、穴の位置を調整して金具を止める。
少しベルト部分が余っているけれど、これで手に持つ必要はなくなった。
『ふむ、腕輪というわけか。どうやらこちらの声も聞こえているようだな。悪くない』
先ほど取り乱していたのが嘘のように、偉そうな声音でエルゲアが言う。いやいや今更取り繕っても、寂しいだのなんだの言っていたのは消えないからね?
「それでは話せ。吾輩が服屋で貴様に封印されて以降、一体何があったのかを。ここは一体どこだ?」
「……うーん、別に大したことはなかったんだけど」
どうやら本当に、『不思議巾着』に入っていた間の出来事は知らないらしい。私はご飯を食べに行く前に、エルゲアへここまでの経緯を説明することにした。
「ぬぅ、リィラ殿。おはようござる」
「おはよう、レイさん。もうご飯食べてるんだ?」
エルゲアへ話し終えて下に降りると、レイさんが定位置となったカウンターで食事を摂っている。彼女の傍に積み上げられた皿の数からして、食べ始めてからすでに随分と時間が経っているはずだ。
「レイが早いというより、リィラが遅かったな。もう昼に近いぞ」
カウンターの奥から顔を出した店長――昨晩聞いた名前はバルザ――さんが、呆れたような視線を向けてきた。
あらら。寝心地が良すぎて少しばかり寝坊してしまったようだ。
まぁ、特に予定があるわけでもないからいいんだけど。
「それじゃあ、朝食兼昼食ってことで。まずは腹ごしらえをしようかな」
『ふん。食事など、本来は吾輩や貴様には必要ないはずだがな』
席についてウキウキで食事を注文した私に対し、エルゲアが腕の首輪の中から冷ややかな声を出す。
うるさいなぁ。たしかに食べなくても死なないけど、お腹は減るんだって。ドラマの中の姑みたいにチクチクと言うのは辞めて欲しい。まだ不思議巾着に仕舞い込んでいたことを根に持っているようだ。
「レイさん。今日も食事を食べたら依頼を受けるでしょ? どんな依頼を受けるつもり?」
「ぬぅ、見てからの判断になるでござるな。ただ、『青猪』の狩猟はしばらくは御免でござる」
私の問いかけに、レイさんが苦笑しながら答える。たしかに昨日だけであんなに倒せば、しばらくはの間はうんざりするかもしれない。
『『青猪』か。吾輩の知らぬ魔物、見てみたかったのだがな』
首輪からそんな残念そんな思念が伝わってくる。
はいはい、すみませんね。昨日、見せてあげられなくてっ!
そんな感じでレイさんとお喋りし、時にはエルゲアの鋭い突っ込みを受け流し食事を終える。そうして私たちは『白兎亭』を後にし、そのまま真っ直ぐ冒険者組合へと向かった。
「――ぬぅ、何やら人だかりが出来ているでござるな」
組合が見えるところまで来ると、たしかに組合前に多くの人が集まっている。
それも多種多様な年齢層と装いをしていて、軽装の腰が曲がったおじいさんもいれば、露出の激しいお姉さんもいる。おまけに全身鉄鎧で、背中に三本の大きな剣を背負った人間かどうかも怪しい人まで……なんじゃこりゃ?
不思議に思いながら近づいてみれば、ちょうど彼らは出発するところだったようだ。数名を残して一斉に反対側へと歩き出し、私たちが組合の扉に着く頃には、背中は遠くの方になっていた。
「あ、お姉さん。今の人たち、一体何なの?」
「あら、リィラさんにレイさん。こんにちは」
彼らを見送っていた組合職員の中に、昨日親切にしてくれた受付のお姉さんを見つけて声をかける。
するとお姉さんは微笑んで挨拶をした後、去って行った集団の方へ視線を向けた。
「惜しかったわね。もう少し早く来れば、生の黒級冒険者や剣聖様を近くで見られたのに……やっぱりすごい貫禄だったわよ」
眼がキラキラと輝いているお姉さんは、それはそれは生き生きとした表情で大変よろしいのだけど、結局質問には答えてもらえていない。
そもそも黒級冒険者に興味もなければ、剣聖に至っては「なにそれ? 美味しいの?」レベルである。すっごくどうでも良かった。
「えーと。そのすごい人たちが集まって、これからどこに行くの?」
「リィラさんは、ヘベン市の北側に大きな白壁が聳えているのを知ってる?」
「『白壁』? いや、知らな――」
『たわけ。貴様がこの街に入るため、飛び越えた壁のことだ』
心当たりがなくて首を横に振ろうとしたら、エルゲアが強い口調で教えてくれた。
なるほど、あれのことかぁ。
「うん、知ってるよ。それがどうしたの?」
「ぬぅ、あの巨大な頑強そうな壁のことでござるな? 拙者も見たでござるよ」
レイさんも知っているらしく、腕を組んで「ぬぅ、ぬぅ」と頷いている。それに合わせてポニーテールが上下に揺れるのが可愛くて面白い。
「あの壁の向こう側に小さな山があって、その中腹には迷宮があるんだけどね?」
……あれ? それって――。
『ふむ、それは吾輩の迷宮であるな』
私の疑問に答えるように、迷宮の主であるエルゲアが思念を飛ばしてくる。ああ、やっぱりそうだよね?
けど、エルゲアの迷宮が一体どうしたというのだろう?
「実は、二、三日前にその迷宮が崩落したようなの」
「迷宮の崩落? それはつまり、主を倒して迷宮を攻略した者が現れたということでござるか?」
私に話しかけていたお姉さんに、レイさんが身を乗り出すようにして聞いた。どうやらレイさんにとって『迷宮の崩落』は、聞き捨てならない言葉だったらしい。
「はい、もちろんその可能性はあります。ただ、組合が案じているのは、もう一つの可能性です」
お姉さんは少し面食らったように頷きつつも、すぐに言い淀むように視線を下に向ける。
「その迷宮――『クレム遺跡』は組合によって禁足地に指定されています。つまり、『何人も攻略不可能』と断じられていた迷宮で、入口には幾重もの封印が施されていました。なので、中に入るためには外側から封印を破る必要があるんですが、そんなことをすれば術者に気付かれます」
「……術者は気付かなかったのでござるな?」
「はい。あ、いいえ。正確には、「外側から破られた気配はなかった――」とのことです。そうなると内側から破られたことになり――そのため攻略者が現れたのではなく、もう一つの可能性が濃厚なのです」
「……ぬぅ、主が迷宮外に出た――でござるか」
「はい。その通りです」
「…………」
どうしよう。
レイさんとお姉さんの議論が白熱していて、私が口を挟む余裕もない。
おそらく『クレム遺跡』は、『神威の迷宮』のことなんだろう。つまり迷宮が崩落したのは私がエルゲアを倒したからで、「攻略したから崩れた」で正解なんだと思う。
けど実際に、迷宮の主だったエルゲアは首輪の中に入って迷宮の外に出ているからそれも正解なわけで……うーん。よくわかんない。
とりあえず、二人の話を聞いておこう。
「禁足地指定された迷宮の主……如何ほどの化け物でござろうか」
「さぁ。一説によると、ウルムス神によって封じられた邪神であるとか、ウルムス神の下僕であるとか様々ですが――」
『…………』
あれ?
エルゲアは何も言っていないはずなのに、なぜか彼の怒りが如実に伝わってくるんだけど。怖いんだけど。
別に私が怒らせたわけじゃないのに、私にしかエルゲアの怒りが伝わらないのは理不尽すぎる。
もう、せっかく機嫌が良くなってきていたのになぁ……。




