今日はベルを鳴らしている。
「ただいまー」
「おかえりー」
ちーん。
「えっ」
「おかえりマキ」
ちーん。
「えっ、えっ」
部屋の奥にいるとりとねこの方から、何やらベルのような音がする。
「何、どうしたの」
「ふふふ。これです」
とりとねこが誇らしげにふこふこと出してきたのは、本当に銀色のベルだった。
よくお店のレジやテーブルに置いてある、店員さんを呼ぶときに使うやつ。
黒い台座の上に丸いボウルを逆さにしたみたいな金属製の本体がのっかってて、その真ん中につまみみたいな出っぱりがある。そこを上から指とか手のひらで軽く押すと、ちーん、と軽やかな音を立てる、あれ。
最近は電子音のベルが多くなったから、あんまり見ないけど。
「どうしたの、それ」
「ぼくが見つけた」
とりが胸を張る。
「とりさんが見つけた」
ねこもなぜか得意そう。
これ、何でうちにあるんだっけ。
あ。昔、プレゼンの練習で、時間を計るときに使ってたやつかもしれない。先輩に見てもらって、制限時間になったら、ちーんって鳴らしてもらってたような。
「やさしさベルという名前を付けた」
「は?」
やさしさベル?
「何、そのひみつ道具みたいな名前」
「これはぼくらがやさしい行いをしたときに鳴らしてもよいベルなのである」
「はあ」
「さっき、マキにおかえりと言っただろう。やさしかったのでベルを鳴らした」
「やさしい……かな」
そうかな。どうかな。
「ちゃんとマキにやさしさベルの説明してあげてる。とりさんやさしい」
ねこがそう言いながら、さっとベルを押す。
ちーん。
……何だこれ。
ねこの腕は私の小指くらいしかないので、ねこが押すとでっかいドラみたいなんだけど。
「ふふふ。ありがとう、ねこくん」
そう言いながらとりがふこふことベルに近付く。
「ちゃんとねこくんにお礼を言うぼく。やさしい」
「とりさんやさしい」
ちーん。
とりが自分で自分を褒めてベルを押している。
早くも、何でもありな感じが漂ってきた。
「もう夜だから、あんまりちんちんちんちん鳴らさないでね。ご近所迷惑だから」
「はーい」
「ほーい」
絶対分かってなさそうな返事をして、とりとねこはベルをずるずると引きずっていく。
「ねこくん、そっち重いだろう。ぼくが持つよ」
「とりさんやさしい」
ちーん。
「ねこくんはいつもぼくのやさしさに気付いてくれるな。やさしい」
「ぼくやさしい」
ちーん。
褒め合って、ベルを鳴らし合って、全然進まないふたり。
何やってるんだか。
もう放っておこう。
部屋着に着替えて、テレビを見ながら買ってきたジンジャーハイボールを飲んでいると、スマホが震えた。
あ。サワダさんから電話だ。
「はい、もしもし」
あ。なんだかサワダさんの声が明るい。
どうやら、今度の週末、休日出勤しなくてよくなったらしい。
それでわざわざ私に電話して来てくれたのだ。
「あ、はい。いいんですか? 嬉しい。それじゃどこかに行きたいです」
私がサワダさんと話していると、いつの間にか近付いてきていたふたりがふこりと顔を見合わせる。
「どうやら、サワダさんがマキをデートに誘ってくれてるらしい」
「サワダさんやさしい」
ちーん。
「あ、はい。私はどこでも」
「行く場所をマキに合わせてくれようとしているな」
「サワダさんやさしい」
ちーん。
うるさい。
「え、この音ですか? あ、いえ。何だろう、テレビの音かな」
ちょっとー。サワダさんにもベルの音、聞こえてるんですけど。
「テレビの音じゃないぞ。マキの嘘に付き合ってくれてる」
「サワダさんやさしい」
ちーん。
うるさいうるさい。
「え? 木魚? あ、あのよくお坊さんがちーんって鳴らすやつですか。あれ、おりんっていうんですって。いやいや、そんな。あはは、そうですよね、こんな夜中にお経とか聞こえてきたら怖いですよね」
「お経くらい、マキは怖くないぞ。なにせ笑いながらホラー映画を見る女だからな」
「あの映画、こわかったねえ」
……ちーん……
こらこら。ホラーっぽく不気味に鳴らすんじゃない。それってやさしさベルじゃなかったの、趣旨変わってるじゃん。
私が身振りでベルを鳴らすのをやめるよう伝えると、とりとねこはまたふこりと顔を見合わせた。
「どうやら鳴らすなって言ってるようだぞ」
「電話中はうるさいのかもね」
「そうだな。静かにしてあげよう」
「とりさんやさしい」
ちーん。
ああ、もう。
気が散って、サワダさんの話が頭に入ってこなくなってしまった。
「あ、はい。聞いてます。それいいですね、ええ」
ちーん。
ああ、もう。うるさいってば。
「あはははは」
「うふふふふ」
ちーん。
ちちちちーん。
うるさいなあ。
「はい、分かりました。それじゃあ……おやすみなさい」
半分上の空みたいな感じで電話を切ってから、はたと気付く。
あれ?
さっきサワダさん、泊りがけで旅行、とか言ってなかった?
私、それに「分かりました」って答えてなかった?
え? 泊まり?
ちょっと待って、心の準備が。
「おお、マキ嬢の電話が終わったぞ」
「これで鳴らし放題」
ちーん、ちーん、ちーん。
「あはははは」
「うふふふふ」
あれー……?
もはやただベルを鳴らしたいだけのふたりを見ながら、私は必死にさっきの会話を思い出そうとしていた。