今日は背中を押す。
今日は、とりもねこもテーブルの隅でぽこりと座っている。
面白いテレビがやってないみたいで、ふたりともぼんやりしている。
そうやって動かないままでいると、まるでただのぬいぐるみに戻ってしまったみたいでちょっとどきどきする。
だから思わず声をかけてしまった。
「ねえ」
「んー?」
とりがふこりと振り返る。
「どうした、マキ」
よかった。ちゃんと動くし喋る。
「何か用かね。ぼんやりするのに忙しいんだが」
「今日は面白いテレビやってないねえ」
ねこもそう言って腕をふよふよと動かす。
テレビはいつも通りついているのだけど、今日はなんだかその音がすごく遠い気がする。
きっとそれは私の気持ちのせいで。
取り残されたような不安。
「あのさ」
今まで聞いていなかったこと、聞こうと思わなかったこと。
なぜかそれを、人生に突然生じたこの隙間みたいな時間に、聞いてしまおうという気持ちになる。
思い切って、私は尋ねた。
「ふたりはどうして私の前でしか動けないの?」
それを口にしてしまうと、魔法が解けてしまうような気がして。
その瞬間に、ふたりとも元のものいわぬぬいぐるみに戻ってしまうようで。
怖かった。とても。
「はて」
でもとりはちゃんと動いた。
手羽をくちばしの下に持っていって、ふこりとねこを振り返る。
「どうしてだろうねえ、ねこくん」
「ぼく知らなーい」
ねこは考える気もさらさらなさそうで、身体をふよふよと動かしている。
「だから、たとえばさ」
私は言った。
「私がサワダさんと一緒に暮らすとして」
「けっこん!」
ねこの素っ頓狂な声に私の言葉は遮られる。
「一緒に住むってことは、結婚するのマキ!」
「いや、そうじゃなくて」
「同棲だよ、ねこくん」
とりが訳知り顔で訂正する。
「結婚前にとりあえず同棲してみるんだよ、最近の若い人はね」
「あなた、いつの人なのよ」
って、そうじゃなくて。
「たとえばって言ってるでしょ。たとえば、私がサワダさんと一緒に暮らし始めたら、サワダさんがいつも家にいるよね。そうしたら、ふたりはもう動かなくなるの?」
その問いに、とりとねこは顔を見合わせる。
しばらくふたりでそのまま、うーん…と唸っていたが、ようやくねこが、
「どうなの、とりさん」
と言った。
「どうなんだろうねえ、ねこくん」
とりが言う。
「そのへんのことは我々にはよく分からないぞ、マキよ」
「もしもサワダさんと暮らし始めたら、ふたりが動かなくなっちゃうのなら」
そう言いかけて、何だか急に声が詰まった。
「私は、いやだ」
涙がこぼれる。
「それなら、サワダさんと別れてふたりと暮らす」
「おやおや」
とりとねこはまた顔を見合わせる。
「困ったことを言い始めましたな」
「マリッジブルーかな」
「最近の人は就職でも結婚でも情報ばっかりたくさん入ってくるから、かえってそのせいで臆病になっちゃうのさ」
「人生って勢いが必要だよね」
「そうそう。やってみれば意外と何とかなるものさ」
違う。なんだか話がずれてる。
「そうじゃなくて。私は、ふたりと離れるのが嫌だってことを」
「マキ、見たまえ」
とりは手羽をびしりと挙げて私の言葉を遮った。それからテーブルの端までふこふこと歩いていき、そこでふこりと両方の手羽を広げる。
「あー、とりさん!」
ねこがはしゃいだ声を上げる。
「今マキに見せるのー?」
「もう少し秘密にしておこうと思ったが、どうも今がその時の気がするからね」
とりは、ふふふ、と笑う。
「え? なに?」
「まあ見ていたまえよ」
戸惑う私の目の前で、とりは不敵に言うと、それから「とうっ」という掛け声とともにテーブルから飛び降りた。
「あっ」
私は思わず自分の目を疑った。
「……飛んだ」
とりが手羽をふこふこと一生懸命動かしている。
それにどんな効果があるのかは分からないけれど。
でも、飛んでいる。
不格好だったけれど、とりのまるい身体は確かに宙に浮いていた。
とりはそのままぱたぱたと飛んで、棚の上に着地した。
「ふう」
「すごーい! とりさんすごーい!」
ねこが大喜びで歓声を上げている。
「かっこいいー!」
「とりさん、いつの間に」
そう尋ねると、とりはふこりとこちらを振り返った。
「ふふふ。こう見えても毎日、飛ぶ練習を怠らなかったからな」
そう言って胸を張る。
「我々も日々進化しているのだよ、マキ」
飛ぶ練習。まだしていたなんて。とっくに諦めたものだと思ってた。
「僕も練習中です」
ねこがそう言って両腕をぴこぴこと動かす。
「リッキーのトレーニングをもう少しやれば、飛べる気がするんだよねー」
いや、それはどうなんだろう。君はねこだし。
いや、でも。
そもそもとりだって、ぬいぐるみだし。でも、飛べたし。
ええと。
分からなくなってきた。
「マキよ」
とりは混乱している私を、棚の上からまるでご先祖様とか守護霊様とかそんな立派なものみたいに厳かに見下ろして、言った。
「人生は長いようで短いからな。不安に負けて、変化を恐れて、前に進むことをやめたら、若さはあっという間に失われるのだ」
とりは右の手羽で私をびしりと指差した。
「ぼくらの心配は要らない。飛べたんだから、マキ以外の人の前でもそのうち動けるようになるんじゃないのかな。知らんけど」
「知らんけどー」
ねこが嬉しそうにとりの言葉を繰り返す。
「だからマキはきちんと自分の人生の心配をしなさい。まずはサワダさんとしっかり向き合いなさい」
そう言うと、とりはまた棚の上から羽ばたいた。
と思ったら、今度はそのままぼてりと床に転がった。
「いてっ」
「大丈夫?」
慌てて拾い上げると、とりはふこりと首を捻った。
「やっぱり成功率はまだ五分五分だな」
「一回目は成功してよかったねー。かっこよかったー」
ねこがぴこぴこと腕を羽ばたかせながら言う。
「ほら、マキ」
私の手の中で、とりがふこりとテーブルを指差した。
「スマホが鳴ってるぞ」
低いバイブレーション。スマホの画面には、サワダさんの下の名前。
こうしているときでも、確かに時間は流れている。
私の人生も。
「マキも前進しなさい」
「すすめー」
ふこふこと身体を揺らすとりを、ねこの隣にそっと置く。
「……うん」
ふたりに促され、私はスマホを手に取った。
息を吸って、それから受信アイコンを押す。
「もしもし」
私が話し始めると、とりとねこは顔を見合わせて、うふふふ、と笑った。