この竜でもいいですか
竜集め当番はミウ一人で、十二匹に分裂した竜を全て四年一組の教室に集めるのが仕事だ。
竜は学校中に散らばっている。給食のエレベーターに挟まっていたり、そのまま配膳されていたり、誰かが持ち帰っていたりするのでなかなか集まらない。
三月が終わるまでに集めきらなければさらに分裂してしまう。小さくなった竜は床の溝や水道に詰まって非常に厄介だ。
「こっちだわ。香りがする」
シニヨンに結った髪を弾ませ、ミウは階段を上った。
竜は青紫の星模様をしていて、滑るように移動する。甘い香りをたどっていくと、図工室で二匹見つけることができた。
「おいで。帰るよ」
ミウは竜を捕まえ、袋に入れた。竜は湯気を吐いて暴れる。湯気はアロマ効果があり、浴びると眠くなる。ミウは頭をぶんぶんと振り、袋を背負った。竜はぷっくりと丸く、大きさの割に重い。
「もう一匹ぐらい持てるかな」
ミウは五年二組の教室に入った。この時間は体育のようで、誰もいない。
掃除用具入れやロッカーを見て回り、棚にある本を全部出した。奥に丸まっているものを見つけ、ミウは手を突っ込んだ。
「おいで。怖くないよ」
「その声はミウですか」
中にいたのは竜ではなく、マユキ先輩だった。マユキ先輩はとても小さいので、引き出しや道具箱の中によく隠れている。ミウと同じ越境通学で、低学年の頃から顔を合わせることが多かった。
「ご、ごめんなさい。気づかなかった」
「いえ、お久しぶりです。元気でしたか」
ミウは最近できるようになったかぎ針編みのやり方や、かまぼこクッキーの焼き方について話した。
その時、背中の袋から竜が這い出した。ミウとマユキ先輩に煙を吐きかけ、一目散に逃げ出す。
「あ……待って、待っ……ふわあ」
ミウは眠気でふらつき、その隙に竜は二匹とも逃げてしまった。水色の尻尾をくねらせ、窓から滑り降りて消えた。
* * *
「竜集め当番ですか。そんなのがあるんですね」
マユキ先輩は机の端に腰掛けて言った。竜の入っていた袋を手に取り、ぱさぱさと振る。
「僕、この香り好きです」
「私も。また眠くなってきちゃった」
「寝ていいですよ」
ミウは椅子に座り、眠ろうか竜を探そうか考えた。頭の中でしばらく戦い、竜が勝った。
「竜をおびきよせるには……どうすればいいんだったかしら」
マユキ先輩は袋を振り続ける。空になったはずの袋から、どさりと赤い塊が落ちた。
ミウは息を飲んだ。
マユキ先輩は落ちたものを見つめ、不思議そうに首をかしげる。
「竜ではありませんね」
赤い塊はゆっくりほどけ、立ち上がった。赤いジャージを着た若い男の姿になり、鋭い目でミウをとらえる。
「あ……!」
ミウは後ずさった。この男を知っている。でも知らない。
黒々とした髪も、緊迫感のある表情も、じわじわと迫ってくる様子も、何もかも見覚えがある。だけど知らない。
「ミウ……俺だ」
「誰。あなたなんか知らない」
「俺だ! ミウ、俺だ」
男はミウに手を伸ばす。ミウはさらに後ずさり、そばにあったバトミントンのラケットを握る。
「ミウ、行こう。俺といれば竜なんか探さなくていいんだ。星を見たり、カスタネットに乗ったり、遠くの街に行ったり、俺といる時はいつもそうやって……ぐ、ぐあっ!」
男は頭を押さえ、ころりと倒れた。
無意識のうちにラケットで殴ってしまったかと思ったが、そうではない。
マユキ先輩が机の上に立ち、園芸用のスコップを振り下ろしていた。
「急所を外しました。もう一回叩いていいですか」
* * *
ラケットとスコップを突きつけられ、男はたじろいだ。
マユキ先輩はため息をつく。
「しつこい野郎です。全身かっぽじってやりましょうか」
「先輩、この人知ってるの?」
「いいえ。僕もこの人もそれぞれミウを知ってるだけです」
マユキ先輩はスコップを持った手を下ろす。
ミウは男をじっと見つめ、ラケットから手を離さずにいた。
男は観念したらしく、がっくりと肩を落とした。
「やっぱりだめか。まあ、これも想定内だ」
男はさも諦めた様子で壁際へ寄り、おもむろにカレンダーを一枚破った。三月のページをくるくる丸め、恵方巻のように食べ始める。
「こいつ! 何しやがるんです」
マユキ先輩が向かっていったが、男は一瞬でカレンダーを飲み込み、全身に赤黒い炎をまとった。マユキ先輩に体当たりをすると、あれよという間に燃え移る。
「あ……ああ!」
スコップが転がり、マユキ先輩はその場にうずくまった。
「先輩! しっかりして」
「わりとしっかりしてますよ。大丈夫です」
そう言いながら、マユキ先輩はどんどん燃えていく。
ミウはラケットを持ち、男に向き直る。男は炎の色を赤から紫へ、銀へ、そして毒々しい虹色に変えてにやりと笑った。
「邪魔者はいなくなった。三月もなくなってしまったぞ。どうする、ミウ」
「こんなことをして、ただで済むと思わないで!」
叫んだ途端、右手が熱くなった。ラケットが光を放ち、ぐんと伸びる。先が尖り、槍のような形になった。きらきらと水滴をまとい、まるで昔からの相棒のようにミウの手になじんでいる。
「刺しても無駄だ、俺は炎……」
「刺すんじゃないわ」
ミウは全身に力を込めた。胸の中心から指先へ、ひんやりとした何かが流れていく。
ラケットの持ち手が星のように光ったかと思うと、先端の尖った部分から雨が溢れ出した。
「う、うおっ、ああああああ!」
鉄砲水のような雨だった。男に吹きつけ、突き倒し、襲いかかる。
男は咳き込み、苦しそうに顔を歪めると、皺だらけになって縮んでいった。眉は抜け落ち、髪はみすぼらしくまばらになり、赤いジャージは水を含んでだぼだぼと音を立てる。
「今です!」
マユキ先輩が起き上がり、スコップで男の頭を叩き飛ばした。
ミウもラケットの柄で男の胴体を三回打ち、肩と胸と腹を飛ばした。
水浸しの床に、手足がぼとぼとと落ちる。
この人を知っていたかもしれない、とミウは思った。見下ろしている間に、それはただの赤い破片になってしまった。
* * *
マユキ先輩はスコップで欠片をかき集め、袋に入れた。
「先輩、火傷は」
「火傷なんかしてません。炎が燃え移っただけです」
どうぞ、と袋を差し出す。まだ少し甘い香りがして、ミウは小さく欠伸をした。
「これ……私に? きゃっ」
袋の中でもぞもぞと何かが動いた。放り出そうとすると、マユキ先輩が両手で支えた。
「この竜でもいいですか」
「え?」
袋の中を覗くと、赤茶色の痩せた竜が十二匹、ムカデのようにうごめいている。なんともみすぼらしいが、鋭い角と尾、うろこに覆われた肌はまぎれもなく竜だ。
「三月は食べられてしまいましたから、今日で終わりです。とりあえずこれを持って帰ってください」
「三月……そうだ! そうします!」
ミウは急いで袋の口を結んだ。三月の終わりまでに竜を十二匹、四年一組に持ち帰りさえすればいいのだ。それでミウの役目は終わる。
「元の竜はどうしてるかしら」
「どうもしないんじゃないですか。分裂したいならさせておけばいいんです」
マユキ先輩の声に呼ばれたように、窓の隙間から風が吹き抜ける。薄桃の花びらがミウの髪にとまり、ひらひらと笑った。
三月が終わるのだ。
「マユキ先輩、六年生になっちゃいますね」
「ミウは五年生ですよ」
「私、五年生ですか。覚えてられるかな」
「大丈夫です。体育をさぼって本棚に入るような男でも五年生を一年間務めたんですよ」
ミウは笑った。窓をいっぱいに開け、咲きこぼれる香りを吸い込んだ。食べ尽くされた三月の置き土産は、律儀に満開だった。
覚えてられるかな、とミウはもう一度つぶやいた。
マユキ先輩はミウの髪から花びらを取り、手のひらに乗せた。
記憶の断片のように、袋の中の竜がざわざわと動く。
「忘れてもいいんですよ。思い出す時が来ても来なくても、どっちでもいいんです」
マユキ先輩の指先に触れ、花びらを受け取る。確かな温かさに、ミウは全身が色づいていくのを感じた。
散らない記憶が咲いている。今も昔も、ここでも、別の場所でも、ずっと。
風がやってくる。新しい花びらを連れて、眠気を吹き飛ばすように走り抜けていった。
久しぶりの投稿です。
しばらくこちらには低浮上になりますが、また戻ってきた際にはよろしくお願いします。