13話 猿の子。
何とも言えないモヤモヤした感情を抱えたまま、一は風呂場を後にした。
その間、自分の気持ちを誤魔化すように一は米羅と楽しげに会話を楽しんだ。
2人はさっぱりと汗を流すと、食欲を刺激する良い匂いにお腹を鳴らすと顔を合わせて笑みを溢した。
そして、足早に居間へと向かった。
居間の襖を開けると、そこに待っていたのは数々の美しい料理たちだった。
艶やかな野菜に白銀の白ご飯。
「おぉー!!」
豪華な食卓に一と米羅は思わず、声をあげると側にいた徐米に向かって拍手を送った。
畑仕事で疲れているはずにも関わらず、こんなにも美しく豪華な食卓を作ってしまう徐米はまさに理想の女性なのかも知れない。
2人に拍手を送られた徐米は頬を赤くして照れて見せた。
「そんな、拍手なんてやめて下さい」
「いやいや、これは凄いよ!ありがとうございます!」
一は照れる徐米の手を取り、感謝の言葉を口にするとその横で米羅は激しく頷いて見せた。
「それよりも、召し上がって下さい」
「確かに。温かいうちに食べないと失礼だ」
徐米はそう一と米羅に言うと、腰を下ろしてコップに水を注いだ。
そのコップを一と米羅に手渡し、食卓の準備は整った。
3人は目を合わせて、腰を下ろすと同時に手を合わせて食事を始めた。
テーブルに並べられた料理はどれも美味であったが、中でも一と米羅の舌を唸らせたのは煮物だった。
「なんだこれは……すごく美味しい……」
「本当だ…一さんの言うとおり言葉にならないぐらい美味しい」
抜群の味加減から繰り出される、素材そのものの優しい味。
この両者が見事に調和し、口の中でとろけを生み出している。
もう、言うまでもなく美味なのだ。
徐米はそんな一と米羅を見て笑みを溢したが、その胸の中はチクチクと棘が刺さっていた。
──この時がずっと続けばいい。
夜猿の正体を探るために山へ入ったのに、今は純粋にそんなワガママを心の中で願っている。
米羅も孤独だったが、徐米もまた孤独だった。
家族は皆、先立っていき村人からは距離を置かれていた。
こんなにも笑った1日は10年ぶりかも知れない。
「お姉さん、ありがとう!」
不意に米羅から向けられた笑顔と感謝の言葉。
それは、この胸の中のワガママを心の中で止めておくのを難しくさせるものだった。
「そうだ……ごめんなさい。私もお風呂を借りてもいいかしら?汗が気になってしまって」
「うん、もちろん」
徐米はそっと立ち上がると2人に背を向けて、居間を後にした。
一は徐米の心中が何となく理解できたが、それに触れることはなかった。
徐米が姿を消して、すぐにテーブルにあった皿はすべて平らげられ一と米羅は片付けを済ませた。
「一さん、ちょっと縁側で待っていて下さい」
「うん?……わかったよ」
米羅の嬉しそうな笑みを見て、一は縁側へと向かった。
外はすっかり夜が闇を広げており、夜空に浮かぶ月が山の下にある遠い村を照らしている。
一はその景色に心を奪われ、しばらくジッと見つめていると米羅が酒瓶を手にして現れた。
「それはさっき、言ってた果実酒?」
「うん、お姉さんには悪いけどお先にどうぞ」
腰を下ろした米羅が酒瓶の栓を抜くと、果実酒の華やかな香りが周囲を包んだ。
新鮮な果実の匂い、というよりはこの山の土地の香り。
米羅は一にコップを手渡すと果実酒を注いだ。
コップに注がれた果実酒を透き通っているが、花の香りを纏っている。
「どうぞ」
一は果実酒を注いでくれた米羅に頭を下げるとコップに口をつけた。
すると、口の中で広がる優しい味わい。
果実酒にも関わらず、噛みたくなるようなそんな不思議な果実酒だった。
「とても美味しいよ。今まで飲んだ酒の中で1番だよ」
「そこまで言ってもらえたら照れちゃうな」
辺りの落ち着いた空気がそうさせているのか、褒めた一も照れた米羅も口を閉ざして静寂が訪れた。
心を形にする言葉を選んでいる、と言えばそうだ。
2人ともこの1日で思うことはある。
そう、それも徐米と同じぐらいに。
「なんかね……一さんや徐米さんと一緒にいると母さんを思い出すんだ」
「そうか。……お母さんが亡くなってから村へ行こうとは思わなかったのか?」
「……母さんが、村に行っても幸せにはなれないって言ってたんだよ。……あそこには居場所がないって」
米羅は月に照らされる遠く見える村を視線に映して、拳を強く握った。
それもそうだろう。
村から追放された者にとって、村は良い場所ではない。
「でもね、オイラは知ってるんだ」
「……なにを?」
「村には優しい人がいるって。その証拠に2週間に1回ぐらいのペースで食料を運んできてくれるんだ」
「……それは誰が?」
「誰かは見たことはないんだ。いつも朝起きたら、玄関の前に置いてあるから。でも、優しい人だってことはわかる」
「米羅……実は村には……」
証拠なんてものは少ないし、絶対的ではない。
それでも、一は夜猿のことを口にしようとした時、髪を濡らした徐米が姿を見せた…。