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ヴァンパイアを、バンパイアと書いてはいけない

作者: 久賀 広一

あ、当たり前じゃろう!?


この世には、「吸血鬼をテーマにした作品なら、どんなものでもチェックする」という人間がいると言われるほど、我ら”ヴァンプ”は崇拝されておるのだ。


つまりは、様式美!


そこに美学がなければ、存在する価値が半減してしまう。


”オシャレをしない人間は、泥棒よりも醜い”


そんな言葉を残した作家もいた。

もちろん、泥棒の方がタチがわるいぞ!?


そんなことは分かっておる。

わしがヴァンプであるための生命線の一つ、トマトジュースを買うための、なけなしの300円を空き巣に持っていかれそうになったこともあったからのう。


じゃが、ここで語られるべきなのは、当然そんなことではない。

いつも美しくあろうという姿勢のことじゃな。

それは、周りへの喜びや礼儀でもあるのだ。


持って生まれた容姿などは、そのままで構わない。

じゃが、そこからどういう心持ちで生きるかで、人相や振る舞いの端麗さはずいぶん変わってくるもんなんじゃな。


我らを見よ。

かつて、醜いヴァンパイアが存在したであろうか。


むろんヘタな表現で我らを書こうとしたやからもおったが、そういう者たちは大した成果もあげられなかった。


それは、人を相手とし、長い時間をかけて惹き付けるために美しくなった我らを否定する者だったからじゃ。


人間たちは気づいておるのかの?


かつて、ヴァンパイアの天敵だったあのにっくき『ヴァチカン』の主が、”教皇”と呼ばれておったことに。


そしてそれは、知らぬ間に”法王”という呼び名にすり変わっておった。


何故だと思う?


ふん。

さとい者は、もう気づいておるじゃろうて。


その通りじゃ。

この文化大国 日本には、『天皇』と呼ばれる存在がおるな?


それは国の象徴であると、国民を代表する存在であると言われておる。


何よりもこの国は伝統様式を大切にし、今の多様な社会を築いてきた。

ほとんどの宗教を丸のみにしてイベント化してしまうようなふところの深さは、我ら人外の者にとっては、すこぶる住みやすい国である。

十字架なども突きつけられぬしな。

突きつけられても、信仰心などほとんどないから効かぬしな。(こっこっこ!)


そのあまりに多様な社会、国のいただきたる『皇』の文字を、どれほど尊敬の念をもって接しようが、他文化の当て字に使うわけにはいかなかった。


故に、ヴァチカンは王であり、皇ではないのじゃ。



……ふう。


そろそろ、このしゃべりもネタが尽きてきたな、と思ったのではないか?


ふふっ。

そうだとしたら、お主もまだまだ甘い存在よのう。

爆弾の投下は、これから始まるのじゃ。


ーーでは、参るぞ。

来月から始まる新元号『令和』。


お主はどう感じた?


初春の”令”月、気淑く風”和”ぐ。



もちろん美しい。

言葉はこの国最古の歌集であり、意味も流麗深長。


じゃが、令和。


なんか江戸時代? みたいな感じがしないか。

いや、無論(わし)は江戸時代にも生きておったぞ?


八百八町(はっぴゃくやちょう)を駆けめぐり、銭を投げて歌を詠っているような者と戦ったこともある。


じゃからかのう。

どうも、「新しい風」を期待してしまったのじゃ。


どんな良き伝統も、そこに革新がなければ消えていくことは、誰もが承知しておるじゃろう。


どうしても、人は、生物は歩みを止めることが出来ない。

たとえ過去をふり返るとしても、それはやはり、結果として前に進むための大きな学びなのじゃ。


じゃから、儂は新元号を聞いたとき「何か心地よい、新しい匂い」を感じたかったんじゃな。


……じゃが、その願望ははかなくも絶たれた。

「令和」

せめて、「颯々(そうそう)」とかならまだ良かったんじゃがな。

まんま過ぎるか?


軽い?


そうか……やはり難しいもんじゃのう。


まあ何はともあれ、これで退散するとしよう。

ここまで何かをほざいておけば、お主らの記憶にも残ったじゃろうて。


いいか? 決してヴァンプをバンプと呼んではいかん。


それは、我らの見目麗(みめうるわ)しさのためではなく、数字を美しく数えるためにわざわざ面倒臭い言い回しをする国のように、自身が美しくあるためなのじゃ!


というのは建前で、また吸血鬼ブームが来てほしいだけじゃな。

そんなものを昔書いた、愚か者がおったから。

……ここにの。


ファッ! ではさらばじゃ!!











…この話を書いたまさにすぐ後だったと思うのですが、ローマ法王から『教皇』に日本訳名も変更認証されたみたいですね…


「教え導く存在であり、決して王という尊大なイメージではない」という、長年の日本信者の方々の働きかけによるものだったと記憶しています。

時代は変わっていく…柔軟で良い方への変化は、いつだって希望を感じますね…

このエッセイが、ただの恥ずかしい話になってしまいましたが。

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