6話
「……美味いな」
「はい!」
アンセムとレーヌは宿屋で食事をしていた。
現在アンセム達がいる『銀のポプラ亭』には食堂が併設されており、2人は一心不乱に出された料理を食べている。店内には村人らしき者たちが何人かいたが、皆酒盛りに夢中でアンセムの顔など気にしていなかった。
「良い食いっぷりだね! スープはお代わり自由だからどんどん食いな」
配膳をしていた中年の女将さんがそう言うと、アンセムとレーヌは揃って器を差し出した。
「あははは! あいよ、ちょっと待ってな」
2人から食器を受取り、女将さんがバックヤードに向かう。
(しかし意外だったな。味にはあまり期待してなかったんだが)
見た目は地味で味付けも胡椒だけのシンプルなものだったが、煮込まれた野菜の出汁がよく出ており、空腹を抜きにしてもいくらでも食べられそうだとアンセムは感じていた。
「レーヌ、スープに入っていた黒い野菜が何かわかるか?」
アンセムが質問したのは、オリーブを少し大きくしたようなトマト味の野菜だった。
「あれは『バスク』という野菜です。主に夏季に収穫されるもので、この地域でよく栽培されています。乾燥させれば長期の保存も効くので人気の食材ですね」
レーヌの説明を受けながら、アンセムはサラダにも手を伸ばす。サラダにも輪切りにされたバスクが入っており、生でも食べられるようだった。煮込んだものとは違った味わいがあり、甘みが強くドレッシングが無くても食べられるほどだった。
「お待ちどう様」
宿屋の女将さんがお代わりのスープを手に戻ってきた。
「ああ、ありがとう」
「ありがとうございます」
アンセムとレーヌはお礼を言いながら受け取る。スープを食べながら、アンセムは思っていた疑問を口にした。
「この辺では胡椒は貴重ではないのか?」
出されたスープには結構な量の胡椒が入っていた。中世ヨーロッパに似たこの世界ならば、香辛料は貴重品ではないのかと考えたのだ。
「ああ、昔は貴重だったみたいだけどねぇ。南方の……なんて国だったかは忘れたけど、とにかくその国が胡椒の栽培に成功したらしくてね。考えなしに大量に輸出したら値崩れを起こしたらしくてね。珍しい物好きな貴族の連中は見向きもしなくなったらしいよ。今じゃ『貧乏人の味覚』なんて呼ばれているよ。まぁ、ここに来る行商の受け売りだけどね」
アンセムは知らないことであるが、地球の歴史において全く同じような事は起きていた。その際はもう少しオブラートに『胡椒は庶民のソース』と呼ばれていたそうだが。
「なるほどな。勉強になる」
「胡椒が貴重なんて言うってことは、アンタ北方人かい? それにしちゃあ、聞いていた特徴とは随分違うけど」
南国から遠く離れた北方ならば輸送費の関係で、いくら値崩れを起こしていたとしても割高になる。そう考えた女将はアンセムが北方人かと当たりをつけるが、どうも聞いていた話と違う印象を受けたようだ。
「北方人はどんな特徴だと聞いていたんだ?」
「男も女もみんな別嬪さんだって話だ。耳が長くて、宝石みたいな瞳をしているんだと。肌も雪のように白いそうだ。アンタの面は間違っても北方人とは思えないねぇ」
女将さんはそう言ってケラケラと笑った。「顔については余計なお世話だ」と女将さんに言いながら、アンセムは考える。
(整った顔立ちで耳が長い……。パッと思い浮かぶのはエルフだな。ファンタジー好きとしては是非会ってみたい。……それはともかく、今は俺の出自についてか)
「俺はもともと放浪民だ。子供の頃から一族で放浪の旅をしていたのだが、根無し草の生活に耐えられなくなってな。定住地を求めていろいろな国を見て回っている。俺の人種については目下不明だ。色々な血が混ざっているらしいからな。胡椒が貴重だと思ったのは、拠点を長く置いていたのが北方だったからだ」
アンセムは滔々と嘯いた。
放浪民というのは殆どそのままトワイライトのプレイヤーの初期設定だった。そこにロールプレイで培った設定を捏造したものである。アンセムの中身である佐藤は設定厨の傾向があったため、この手の捏造はお手の物だった。
「良かったよ。夢が壊れなくて。お嬢ちゃんが北方人だっていうなら納得なんだがね」
暗に美人だと言われ、レーヌはテレテレと顔を赤くする。そんなレーヌを横目にアンセムは胸をなでおろす。
(女将の反応を見るに、俺の設定に違和感を持ってはいないようだ)
そんなこんなで食事を済ませた2人は、宿泊部屋に移動することになった。料金は食費込みで先に済ませている。
「……本当に一部屋で良いのかい?」
女将さんは半眼でアンセムを睨みながら尋ねる。親子ほど離れている男女が同衾するのだ。心配にもなる。
「手持ちの金が少ないだけだ。やましいことをするつもりはない」
「わかったよ。汚したシーツは別料金だからね」
何もわかっていなかった。女将との会話が聴こえていたのか、レーヌは美人と褒められた先程よりも顔を赤くしている。
(けっこう耳年増なんだな……)
複雑な表情を浮かべながら、アンセムは案内された部屋に入室した。
※
部屋の中は想像以上に質素だった。
木製の台に藁を敷いただけの簡素なベッド。掛け布団は何かの動物の毛皮を繋いだものだ。簡単な造りのテーブル1つと、その上に飾り気のない燭台がぽつんと置いてある。
アンセムは扉の閂をかけた。レーヌは緊張した面持ちで俯いている。いい加減誤解を解かなければと思いアンセムは口を開いた。
「あーレーヌ。一部屋にしたのは、俺が便利な魔法を使えるからだ」
もともとは二部屋借りるつもりでいたが、宿の外観を見たアンセムは内装も期待できないと感じていた。そこでアンセムがMODで導入したアイテムを思い出し、それを使用する事に決めたのだった。
レーヌの返事を待たず、アンセムは部屋の壁の前に立つ。
「マイルーム・エブリデイ」
アンセムがそう唱えると、壁に張り付くようにして場違いなほど豪奢な扉が出現した。唖然とするレーヌを他所に、扉を開く。
中は驚くほど広く、まるで宮廷のような装いをしていた。
白亜の壁に、青い絨毯が敷き詰められた床。天井からは豪奢なシャンデリアが幾つも吊るされており、壁には多くの絵画や調度品が設置されている。
あまりの荘厳さに、レーヌどころか呼び出した張本人さえも呆気にとられていた。
(ゲームでは見慣れたものだったが、いざ現実に目にするととんでもないな)
『マイルーム・エブリデイ』は、アンセムがMODで導入した住居アイテムの一つだ。
フィールドとは切り離された、いわゆるインスタンスエリアと呼ばれるゲームの仕様を応用したもので、設置さえすればいつでもどこからでも訪れることができる。
部屋数も無駄に多く、風呂場や調理場は勿論のこと、鍛冶台や錬金台なども設置してある。武器強化を鍛冶台で行うトワイライトで、いちいち鍛冶屋まで行くのが億劫だったために導入したものだった。
「あそこに見える右手側の扉を開くと、2階へ続く階段がある。廊下に出ると客室があるので、好きな部屋を使うと良い。風呂も全ての室内に設置されているから好きに使え」
アンセムの言葉に、レーヌはまたしても驚愕した。
レーヌの常識で考えれば、個人の風呂などというものは王侯貴族しか所有することが出来ない高級なものだ。都市部ならば共同浴場があると彼女の母親が言っていたが、農村部では川沿いで体をふく程度のものだった。
「さぁ、まずはレーヌの部屋を決めに行こうか」
「……はい」
レーヌは夢見心地のまま、アンセムに手を引かれていった。