3話
アンセムはレーヌが乗ったユニコーンの手綱を握りながら、街道を目指して森の中を歩いていた。レーヌは時折ユニコーンの鬣を撫でていた。
ユニコーンも満更でもない様子で、彼女の好きにさせている。
(男と女で態度変わり過ぎだろう、コイツ。俺だって清らかな身体なのに……)
所有者にもかかわらず、文字通り足蹴にされた身としては納得がいかなかった。そんな事を思いながら歩いていると、遠目に人工物の様な物が映った。
石柱が等間隔で円形に配置されている。地球で言えばストーンヘンジが近しいだろうか。もっとも、あそこまで巨大ではないが。
アンセムは足を止め、レーヌに質問する。
「アレが何か分かるか?」
「確か……古代に滅びた国の石碑……だったと思います。詳しいことはよくわかりませんが……」
「近づいて危険はないのか?」
「そういう話は聞いたことありません。ただ、森の中にアレと同じのが幾つかあって、どれも街道の近くに置かれていたので、村の人達は獣達が森から出ないための『お呪い』ではないかと言っていました。私も森の中に入る時までは、それを信じていました」
「……実際にそのような効果はなかったと」
「はい……」
あまり気にする物でもないのかとアンセムが考えていると、レーヌが言いづらそうに口を開いた。
「実は……私のお母さんを、探したいんです」
アンセムはこの言葉を聞いて、彼女の事情を何も知らなきことに気が付いた。余計なことを言ってボロを出すのを嫌っていたこともあるが、この世界を把握することに意識が集中していたことが主な理由だった。
狼に追われていたことから、少女が物理的な脅威たり得ないと判断していたからでもある。
アンセムが無言で促すと、レーヌはポツリポツリと自身の身の上を語りだした。
※
レーヌは母と共に、『リングス』という村で暮らしていた。
貧しいながら平凡で、のどかな暮らしだった。そんな平凡な日常はもろく崩れ去った。
村に盗賊が押し寄せたのだ。
村人たちは次々と殺され、村は火の海に包まれた。レーヌは母親と共に命からがら逃げ出した。だがすぐに盗賊に感づかれ、追われるとになった。
母親はレーヌの手を引き森の中に身を隠した。迷信を信じ、石碑の近くまでなら森の獣たちも襲っては来ないだろうと考えたからだ。だが実際に石碑にそんな効果はなく、今度は狼達に襲われた。
レーヌの母は、娘を逃がすために身代わりとなった。
おいすがるレーヌを突き飛ばし、狼の群れに飛び込んだのだ。レーヌは泣きながら森の中を走った。だが狼達の足は速く、すぐに追いつかれてしまった。
「……そこで現れたのが、俺というわけか」
「はい……」
重い。
年端もいかない少女には辛い現実だ。アンセムはかける言葉が見つからず、暗澹とした気持ちになる。
「ここ以外の石碑に、お母さんの……遺体があるはずなんです……。探して、せめて埋めてあげたいんです。早く森を出なければならないことは分かっているのですが……」
「そうか……。わかった、君の母親を探そう」
アンセムは少し迷ったが、彼女の母親の遺体を探すことに決めた。
「……ありがとう、ございます」
レーヌは伏し目がちにそう言った。
アンセムたちは進路を変え、目的の場所へと歩き出した。
※
レーヌの案内で森の中を歩いていると、探していた石碑の近くに人影が見えた。
「……っ! お母さん!!」
レーヌはそう叫んだ。ユニコーンから飛び降り、人影の方に駆け出す。
「良かった! 無事だったんだ!」
見慣れた母の後ろ姿に、レーヌは我を忘れて駆け寄ろうとする。
「待て! レーヌ!」
嫌な予感がしたアンセムは、急いでレーヌの細い腕を掴む。
「離してください!」
「待て、なにか様子が変だ!」
アンセムがレーヌを宥めるが、彼女は聞く耳を持たない。必死にアンセムの手を振り解こうとしている。
そうこうしている内に、人影がアンセム達に気がついた。人影がアンセム達に向き直る。そこに佇んでいたのは、1つの死体だった。
――『ゾンビ/生ける死者』。
トワイライトに限らず、あらゆる創作物で見かける『歩く死体』。体中が裂かれ、右腕はすでに喪失している。両足は外側に折れ曲がり、眼球があった場所からは赤黒い血が流れ出していた。
「…………」
アンセムの嫌な予感は的中した。レーヌの母親は、ゾンビへと姿を変えていたのだ。レーヌは言葉を失い、その場にへたり込む。アンセムも鎮痛な面持ちで押し黙った。
「……もう、嫌だ。私達は……ただ、平凡に暮らしていただけなのに……お母さん……」
変わり果てたレーヌの母親は、娘の言葉に反応することも無く低い呻き声を上げていた。その場から動かず、眼球のない眼で中空を眺めている。
「レーヌ、目を閉じていろ」
「…………」
レーヌはアンセムの考えに気付き、彼の顔を見上げる。少女の表情は絶望に塗れていた。
「……お母さんを、弔ってあげるんだろ?」
優しく語りかけるように、アンセムが言った。彼の言葉に、レーヌは弱々しく頷く。
聖騎士であるアンセムにとって、アンデッドは敵ではない。もちろんこの世界においてそれが通用するかは未知数ではあるが、倒す手段はいくらでもある。ゲームや創作物と同じであれば、逃げることも容易いだろう。
ゾンビの脚が遅いのは定番な上に、たとえ早くてもアンセムとユニコーンの全力疾走に追いつくのは至難の業だからだ。
問題はレーヌの心的外傷である。
すでに彼女の心は限界だろう。そこに強力な魔法やスキルで母親が惨殺される光景を目にした場合、最悪は彼女の心が壊れてしまう。
(せめて彼女の母親が死んでいるだけならば、蘇生の方法はあった。使うかは別として、そのようなアイテムや魔法は持っている。だが、ゾンビを生き返らせる方法はない)
もしかしたらこの世界にはあるのかもしれないが、それを探している間に母親のゾンビが倒される可能性のほうが高い。アンセムはそう考え、心を決める。
「……《セイクリッド・ビーコン/清浄の灯火》」
アンセムがゾンビを見据え手を翳すと、掌に白炎が灯る。
どこからともなく鐘の音が聞こえる。アンセムが白炎を握りしめると、それを合図にゾンビの体を白炎が包んだ。
それはどこまでも静かな炎だった。
ただ静かに、慈しむように死者を燃やしていく。どこか尊さを感じさせるその光景を、レーヌは目を閉じることもなくぼんやりと見つめていた。
アンセムはレーヌの顔を盗み見る。彼女の心を推し量ることは出来ないが、少なくとも目の中の光は失ってはいないようだった。
「大丈夫だ。『この魔法で灼かれた者は、天界へと召し上げられる』。きっとレーヌのお母さんは天国で幸せになれる」
アンセムの言葉に、レーヌは少しだけ安堵の表情を浮かべた。
無論この魔法にそんな効果はない。
アンセムが語った言葉は、ただのフレーバーテキストに他ならない。だが、全くのデタラメでもなかった。ユニコーンの一件で、フレーバーテキストが実際の効果を得る現象が起きている以上、眉唾と断ずることは出来ないのだ。
信じるものこそ、救われる。つまりはそういうことだった。
燃え尽きた灰が中空を舞う。レーヌは母親の灰を追い、天空を見上げる。
「……さようなら、お母さん」
涙を拭いながら、レーヌは別れの言葉を口にした。レーヌの声を聞きながら、アンセムも両目を閉じて冥福を祈った。