2話
レーヌはある意味で幸運だった。
それはアンセムに助けられたこともあるが、本当の意味で言うなら、彼女を襲っていたのが「狼」だったという点だ。
雪深い森で目覚めたアンセムは、様々な検証を行っていた。
自分がアンセムになったのなら、そのスキルも使えるかもしれない。そんな思いから、試しにスキル名を唱えたところ自分の意志とは無関係に体が動き、ゲームと同じ挙動を取った。
アイテム群もアンセムが持っていたものなら取り出すことが出来たし、その辺にある石や木の枝を仕舞うことも出来た。だがマップやインタフェースなどは呼び出すことが出来ず、ステータス画面を見ることも不可能だった。
アンセムはひとまずインタフェースを諦め、完全武装をして下山することにした。
下山の途中、アンセムは幾度となく狼に襲われた。
一番初めに襲われた時は、混乱から最強ランクのスキルで狼を吹き飛ばしたが、威力が想定以上に凄まじく、彼はドン引きした。
初めは生き物を殺すことに嫌悪感があったが、度重なる襲撃にそれどころではなくなり、嫌悪感は徐々に消えていった。
詰まる所、何度も殺した狼だったからこそ、彼は戦闘に介入したのだ。これがもし未知の生物(トワイライトや地球で見たことのない生物)だった場合、彼はレーヌを見捨てていた可能性が高い。
元社会人だった彼は、情報不足による勝率の低さを自覚している。営業やプレゼンにおいて、調査不足が解雇(死)に直結することを理解していたからだ。
流石に自分がゲームのキャラクターになるなどという想定はしていなかったので、なんでこんな強面に設定してしまったのかと嘆いていたが、それは致し方ないことであろう。
※
そして現在、アンセムとレーヌは未だ森の中にいた。
アンセムは自身の横を必死についてくるレーヌに目をやる。
15,6歳だろうか。西洋人風の顔立ちのため、判然とはしない。目鼻立ちは整っており、赤毛を緩く後ろ手に縛っている。
農婦のような服装で、その上から毛皮のコートを羽織っている。寒いからと、毛皮のコートを貸し与えたのはアンセムであるが。
(それにしても、『レーヌ』か。そんな名前のNPCはトワイライトにはいなかったはずだ。無論全てのNPCの名前を覚えているわけではないが……。少なくともイベントやメインのクエストで見た覚えはない。もしかしてここはトワイライトの世界ではないのか?)
アンセムは自身がゲームのプレイヤーキャラクターになったことで、この世界をゲームの世界だと思いこんでいた。
狼からアイテムがドロップせず、死体が残り続けていたことも疑問ではあったが、「ゲームが実体化すればこうなるのかな?」と深く考えていなかった。だがもしそれが間違いだとすれば、非常に厄介なことになる。彼は今更ながらにその可能性に気がつく。
(もし仮に、ここが全く知らない未知の世界であればかなり不味い。俺はレーヌの目の前でスキルやアイテムの取り出しを見せている。この世界で魔法が異端の力であった場合、最悪は異端審問や魔女狩りのような迫害の対象になってしまう)
アンセムは自分の失態に気が付き、目の前が暗くなる。
(いや、まだそうと決まったわけではない)
アンセムは気を取り直し、レーヌに質問を投げかける。
「レーヌ、魔法を見たことがあるか?」
「魔法ですか? あっ! 先程アンセム様が狼を倒す時に使われていたものですか? それにこの毛皮のコートを取り出したときも。凄いです!」
レーヌはうっとりとしながら毛皮のコートを撫でている。
(忌避感の様なものは無いみたいだが、今一判断に困るな……)
「俺以外で魔法を使う者を見たことはあるか?」
「見たことはないです。ですが大きな街には、魔法使いの方が沢山いると母から聞いたことがあります」
「ちなみに、その街の名前は分かるか?」
「確か……『ギマール』だったと思います」
(魔法使いと名乗る者たちが都市部に沢山いるということは、少なくとも取り締まりの対象ではないということか。だが、俺の力はゲームの力だ。魔法使いたちからしても異端ということは十分にありえる。そして『ギマール』という街の名前に聞き覚えはない。全く未知の世界と仮定して動いたほうが良さそうだ)
「レーヌ、俺が魔法を使えることは他言しないでくれるか?」
アンセムはレーヌに釘を差すことにした。助けた事で、恩で縛れるかもという打算からだ。
「……分かりました。何か事情がお有りなのですね」
(随分と物分りが良いな。恩を感じているにしても、理由くらい聞いてもよさそうなものだが。魔法がそれほど珍しくないのであれば尚の事だ。単に遠慮しているだけか?)
すでに一度失敗しているので、できるだけ懸念事項は消しておきたい。そんな思いからアンセムは用心深くなる。
「あっ……!」
アンセムが考え事をしていると、レーヌが小枝に躓き転びそうになった。雪に埋もれていたため気づかなかったようだ。アンセムは素早くレーヌの腕を引き、彼女の体を支える。アンセムになった事で、反射神経も向上しているようだった。
「大丈夫か?」
「はい……。ごめんなさい」
「いや、謝るようなことではないが。……っと、悪い」
アンセムは抱き寄せる様な形になっていたレーヌを引き離す。レーヌも慌ててアンセムから離れた。
微妙な沈黙が流れる。
これが中学生のカップルなら初々しいが、強面のおっさんと未成年の少女という絵面のため、全く微笑ましくない。むしろ犯罪臭がする。
「少し歩き疲れたか。とは言え日没までには少なくとも街道には出たい。あまり休憩を挟むのもな……」
よく見れば、レーヌの顔には疲労の色が浮かんでいた。全力で狼から逃げて来たのだから無理もなかった。
「ごめんなさい。私のことは気にしないで結構ですから……」
「そう言われてもな……」
遠慮がちの彼女を横目に、アンセムはあることに気がつく。
(……もしかして、彼女なら乗れるかも?)
「なぁ、レーヌ。君はユニコーンを知っているか?」
「……ユニコーンですか? 確か王様や貴族様の馬車を引く角の生えた馬のことですよね? 普通の馬の倍の速さで走ることができると聞きました」
(この世界に存在しているなら大丈夫か。王侯貴族というのが引っかかるが仕方がない。もう一つ懸念事項があるが、聞くわけにもいかないし……。これで駄目なら別の案を考えよう)
アンセムは一度、『マウント/騎獣』であるユニコーンを召喚していた。
『マウント/騎獣』とは移動専用の召喚獣だ。攻撃力を持たないかわりに召喚師でなくとも召喚できる、広いオープンワールドを探索する手段の一つだ。
アンセムは森を移動する手段としてユニコーンを召喚したが、乗ることは出来なかった。乗ろうと近づいたら後ろ足でけられ、ユニコーンは光りに包まれながら消えていったのだ。
恐らくフレーバーテキストが現実化した影響だと、アンセムは当たりをつけている。その事に気がついた時、アンセムは「処女厨がっ!」と悪態をついていた。
「清らかなる乙女しか乗せることはない」。それがユニコーンのフレーバーテキストだった。他のマウントを召喚しようにも、ドラゴンやグリフォンしかいない。これらのフレーバーテキストが現実化されていたら不味いので、呼び出すことを諦めていたのだ。
(レーヌが清らかであることを願おう)
まるでユニコーンのようなことを考えながら、アンセムは彼のマウントを呼び出した。
「騎獣招来『ユニコーン』」
光とともに、一匹の白馬が現れた。螺線型の巨大な角を戴き、白銀の鬣をたなびかせている。
一度目には「深い知性を秘めた瞳」だと感動したアンセムであったが、ただの処女厨だと分かっているため感動はない。だがそんなことを知らないレーヌは感動した瞳でユニコーンを凝視している。
「これに乗ると良い」
「いえ……ですがっ!」
遠慮するレーヌであったが、自分は乗れないからと強引に説き伏せた。
「……では失礼します」
レーヌは何の問題もなく跨る事ができた。
遠慮がちにしていた彼女であったが、とても嬉しそうだ。そして嬉しそうにしていたのは、ユニコーンも同様だった。
(やったねアンセム! 彼女は処女だよ!)
ユニコーンを見ていると、そんな幻聴がした。
(うるせぇよ! ぶっ殺すぞ、処女厨がっ!)
アンセムはまたも内心で悪態をついた。