10話
「凄い活気だな」
「はい! 人が沢山います! こんなに沢山の人はじめて見ました」
何事もなく拠点都市ギマールに着いたアンセムとレーヌは、馬車の窓から街の風景を眺めていた。街並みはヨーロッパ風で、白レンガ造りの建築物が整然と立ち並んでいた。
鮮やかなオレンジの屋根で統一され、薄く積もった純白の雪化粧との対比で美しさを一層際立たせている。
レーヌは初めて見る人混みに、興奮を隠しきれずにいた。
東京に住んでいたアンセムからすればそれ程多いとも感じないが、先に滞在したフロベール村に比べれば雲泥の差だ。だがそれよりもアンセムの目を引いたのは、街中を歩く獣人たちの姿だった。
(凄い! 本物の獣人だ。CGの様な作り物然としたものを一切感じない。毛並みもフサフサだ。アレをゲームで表現するとしたなら、どれくらいのテクスチャサイズが必要なんだ?)
途中からゲーム脳が炸裂していた。ちなみにアンセムが見ていた獣人は、どれも獣の顔をしている。萌え文化の集大成とも言うべき猫耳美少女は1人も存在しなかった。
(ケモナーさんなら大歓喜だったろうな。残念ながら俺にその気はないが)
そんなことを考えている内に、馬車は目的の場所に停車した。そこは3階建ての白亜の建造物だった。アーチ型の窓が規則正しく並び、入り口には国旗らしきものが2対設置されている。
国立銀行ギマール支店。
アンセムが関所の兵士に紹介してもらい訪れた場所だ。アンセムとレーヌが馬車を降り銀行へと入店すると、係の人間が声をかけてきた。
「ようこそ、お越しくださいました。本日はどのようなご用件でしょうか?」
黒い燕尾服を着た、初老の男性だった。身につけたアクセサリーはどれも高級品で、彼の役職の高さが伺えた。
アンセムは嫌味にならない程度に尊大な姿勢を示す。
「換金をお願いしたい」
「畏まりました。外貨両替でよろしいでしょうか?」
「いや、金の地金だ。換金は可能か?」
「勿論でございます。それでは専用の部屋にご案内いたします」
燕尾服の行員は慇懃に頭を下げ、2人を促す。
広いフロアを抜け、通された部屋は豪奢な調度品が並べられた応接間であった。アンセムは備え付けのソファーにゆったりと腰掛ける。レーヌはソファーの後ろに控え、馬車での騒ぎようが嘘だったかのように静かに佇んでいた。
「申し遅れました。私は当行で役員をやらせていただいております、アブロン・モーリスと申します」
「アンセムだ。そちらに控えているのは私のメイドのレーヌだ」
「ありがとうございます。早速ですが、お品物はこちらにお願いいたします」
アブロンはそう言って黒檀のテーブルを手で示し、アンセムの対面に腰を下ろした。アンセムが彼に目をやると、彼の瞳に値踏みの色が微かに浮かんだ。
(なるほどな。換金のためだけにこんな豪華な部屋を使うのが疑問だったが、そういうことか。となると、関所でのやり取りもすでに耳に入っているな)
アンセムの入店待ち構えていたように現れた役職行員。迷いなく外貨両替を提案してきたことからも、アンセムの情報を得ていた可能性は高い。恐らくは関所の兵士が情報提供者だろう。
(おおかた俺の個人資産を把握するのが目的か。豪華な部屋を用意したのも、見栄をはらせて必要以上に資産を吐き出させる心算だろう。こんな部屋を用意されて地金1本を換金では流石に格好がつかないからな)
アンセムの推測は正鵠を射ていた。
アブロンの目的は大口預金者の獲得だ。一介の兵士に、事も無げに高価なアクセサリーを渡すアンセムの資産は莫大なものだろう。その資産を運用できれば、他の顧客への融資幅が相当に広がる。功績が認められれば王都中央銀行への栄転も夢ではない。
アブロンがそんなことを考えていると、アンセムが唐突に指を鳴らした。
突如として机上に現れたのは、数えるのも馬鹿らしくなるほど大量の金塊だった。
「はひ?」
予想を遥かに超える金塊の量に、アブロンは思わずマヌケな声を上げた。アンセムは、悪戯が成功した悪童のようにクツクツと笑う。
「まぁ、これはほんの一部だがな。当座の遊興費ならばこんなものだろう。あまり出し過ぎては市場の金の価値が暴落してしまうからな。元本割れでは元も子もない」
事も無げに吐かれたアンセムの言葉に、アブロンは更に戦慄する。
天井に届かんばかりの金塊を出しておいて、ほんの一部だというのか。それに市場経済に関しても一定の理解がある。ボンクラの貴族でないことを悟り、アブロンの背筋を冷たい汗が伝う。
そもそもどうやってこれ程大量の金塊を取り出したというのか。
『物体収納』の魔法は高位の魔法使いが扱えるモノだと、アブロンは知人から聞いたことがある。ならば彼もそうなのだろうか。もし彼が高位魔法使いであれば、別の可能性が浮上する。
すなわち魔法に寄る金塊の創造だ。だがアブロンがその可能性に思い至る直前に、アンセムが釘を打つ。
「ああ、それらは魔法で生み出したものではないぞ? あくまでも物体を取り出すだけの魔法だ。と言っても信用出来ないだろうから、気の済むまで調べると良い。削ろうが潰そうが好きにすればいい。検分には立ち会わせてもらうがね」
「たっ……只今係の者を連れてきます。少々お持ちください」
アブロンは慌てた様子で席を立った。それを見計らってレーヌがアンセムに声をかける。
「アンセム様、本当にこれは一部なのですか? 見栄を張った、ということではないのですか?」
「なんだ、疑っているのか? 本当にほんの一部だよ。集めたのは良いが、使い道がなくてな。死蔵させていたからちょうどいいくらいだ」
トワイライトには武器製造というシステムがあった。
素材を集めて武器を作るというシステムだ。だが高位ランク武器の製造に用いられる素材は、ミスリルやオリハルコンの更に上位に位置する特殊金属が主だったため、低位の素材は死蔵している状態だったのだ。
金などはその最たるものだった。
「もはや次元が違いすぎてよくわかりません」
レーヌは途中から考えるのを止めていた。アンセムとの付き合いは短いが、彼のことは考えるだけ無駄と再認識させられたレーヌだった。
ノックの音と共に、アブロンが行員を数人引き連れて入室してきた。
その中に1人、毛色の違う人間が紛れていた。黒紫のローブを纏った、白い髭を蓄えた老人だった。アンセムが訝しんでいると、アブロンがすかさず紹介に移った。
「彼は当行専属の魔法鑑定士です。主に偽造通貨や悪貨の鑑定を特殊魔法にて行っております。彼であれば魔法によって作成された偽造通貨等も見抜く事ができるのです。なお、彼の存在はくれぐれも部外秘でお願いしたく」
「問題ない。そんな便利なものが使えては、色々と狙われる立場だろうからな。御行の私に対する信頼の証として受けろう。預金に関しては、そちらの期待に応える額を用意しよう。金塊で良ければ、と注釈はつくがな」
「やはりお気づきでしたか」
アブロンは肩をすくませて苦笑いを浮かべる。
「知人から、銀行は預金されることを喜ぶと聞いた事があるだけだ」
本当はアンセムにそんな知人はおらず、たまたま銀行員を元にしたドラマを視聴していただけである。文化レベルの違いに不安はあったが、行員の口ぶりからするに問題はなかったようだ。
流石に投資信託や証券取引などと言えば通じなかったであろうが。
そんなやり取りを横目に、連れられた行員や先に紹介された鑑定士が検分を進める。
鑑定士は積み上げられた金塊からランダムに1つ取り、ブツブツと何かを呟きながら手のひらを揺らす。すると掌から淡い光が漏れ出し、魔法陣のようなものが出現した。恐らくあれが、鑑定のための特殊魔法だろう。
(トワイライトには存在しないものだな。ゲーム内では鑑定などしなくても敵頭上にHPバーは表示さていたし、アイテム詳細も取得物に限ればUIで閲覧できていたからな。……是非とも欲しい能力だ)
アンセムの猛禽のような瞳が、鑑定士を射抜く。
MODで導入したアイテムを使えば、相手の能力を奪い取ることは可能だ。無論検証は必要だろうが、ゲームが現実化する傾向を見るに奪い取れる可能性は極めて高い。
(だがそれはダメだ。彼の存在は秘匿されている。彼に何かあれば、真っ先に疑われるのは紹介を受けた俺だ。それに俺の主義にも反する)
アンセムはこの世界に渡り、ある方針を決めていた。それはこの世界の住人に迷惑をかけないということだ。
アンセムの力は、不意に与えられたものだ。努力をして手に入れたものではない。だからこそ、不用意にこの世界を貶める行為はしないと決めていた。
他者の力を奪うなど、それに反する最たるものだ。他者が努力をして、あるいは生まれ持った才能を奪うなど赦される行為ではない。
(もっとも、向かってくる敵に容赦はしないがな)
とは言えみすぼらしい立ち振る舞いをしていれば、不用意に喧嘩を売ってくる馬鹿が現れるかもしれない。それは、この世界の人間の戦力を正確に把握していない現状では、大問題になりかねない。
貴族としての振る舞いは、それらを牽制する意味でも有用だった。敵対するより、媚びを売るほうが得だと相手に認識させるのだ。
関所で指輪を渡したのも、そのためのデモンストレーションの一種だった。それで馬鹿を引き寄せる可能性もあるが、それは今後の立ち振舞にかかっている。
(安全を得るためには、知るべきことはまだまだある)
この世界の文化形態、宗教理念、一般教養に経済活動。人間が社会生活を行う上で必要な知識の確保は急務だ。
今後の行動指針を脳内でリスト化しながら、アンセムは査定の様子を眺めていた。