夕方に吹き行く風は蒼い春
遠くから金属音が聞こえる。きっと野球部がバッティング練習をはじめたのだろう。
だけど俺には関係ない。いつもの家路を辿るだけだ。
「あれ? 正好じゃん!」
後ろから聞き覚えのある声がした。俺は首だけ振り向いた。
「おお、美晴か。部活はどうした?」
「今日は先生が出張で休み~」
「そうか、それで今日は早いのか」
「ふふん!」
そんなに胸を張っても、特にお前は偉くないぞ、美晴。
「それにしても、こんなところで会うなんて珍しいよね!」
「そうか? 学校でよく出くわしてるだろ」
「学校は学校だよ! 私が言ってるのは帰り道でってこと!」
「そりゃあそうだろ。俺は帰宅部。お前は陸上部なんだからさ」
「まったく君は、夢も希望もありやしない!」
「悪かったな、現実主義なんだ」
美晴はつまらなそう目で俺を見た。そして「ふふふ」と笑って続けた。
「小学生の頃はさ、こんな風に一緒に帰ったよね~。くだらないことばかり話してさ」
「そりゃあ、家が近いんだから同じ下校班にもなるさ」
「ということで、今日は思い出に浸りましょう!」
「はあ? 俺は家に帰って勉強が……」
「たまには我が家の売り上げに貢献しなさい!」
「『たまには』って言われてもなぁ……」
しぶしぶ俺はその後をついていった。
「お帰り~って、あれ? 正好君じゃない! 今日はどうしたの?」
「いや、今日は売り上げに貢献しろと引きずられてきました」
俺と美晴の母さんが親しげに話している様子を見て、美晴はキョトンとしていた。
「え!? あんたよく家に来るの?」
ようやく状況を飲み込んだ美晴が驚きを隠さずに大きな声を出す。
「そりゃあ、俺がここのどら焼きのファンだからな。週1で来てる」
「すでに貢献済みだと……」
「そりゃあ、お前は友達と遊んだり部活してるからな。そりゃあ、俺が来てることなんて知らないさ」
「さっきから『そりゃあ』使いすぎ~」
美晴は俺に向けて、まるでトンボを捕まえるかのように人差し指をクルクルと回した。
「クセなんだ、仕方ない」
「はっはっは! あんたら小学生の頃から変わらないね~! さあさあ、のんびりしていきな」
「じゃあ、着替えてくるわ」
そう言って美晴は店の奥へと急いで入っていった
「着替えてくる」と美晴が言ってから10分ぐらい経った後、
「ほれ、どら焼き。あとお茶ね」
と言って、おぼんを持って店へと戻ってきた。
「サンキュー」
「御代はあとでいいから」
「この期に及んで金をとるのかよ」
美晴はテーブルの上に、3つのどら焼きが乗った皿を置いた。
「で、思い出に浸るってどういうことだよ」
俺は参考書を開きながら、まん前に座る美晴に問いかけた。
「まあ、それは置いといて」
「はい?」
思わず参考書に向けていた目を美晴へと移した。美晴は何か物をどけるジェスチャーをし、言葉を続けた。
「私はあんたに言いたいことがある!」
「なんだよ、大きな声で」
「正好さ、学校で私を見るとき睨んでるでしょ!」
「それは思い違いだ。元々目つきの悪い俺が横目で何かを見たら、睨んでるようになるんだ」
「嘘おっしゃい!」
「それは俺の台詞だ。お前こそ俺のこと睨んでないか?」
「私は近眼だから仕方ない!」
「それ、嘘だろ?」
美晴は「まあね!」と言って笑った。俺は溜め息をついて、参考書のほうへと目を向けた。
「ほらほら、勉強なんかせずにどら焼きをお食べ~」
「まったく……」
俺が取らないと自分が食べられないんだろうな、と俺は思いながらどら焼きを一つとった。
そうすると、美晴はそれに続いてすぐにどら焼きをとった。
「太るぞ」
「甘いものは別腹です!」
「そういえば、お前は昔から甘いものに目がなかったな」
「ちっちっち、正好は甘いなぁ~。私は美味しいものに目が無いんだよ!」
「同じようなもんだろ」
「そう~で~すか~」
美晴はそう言いながら笑っていた。
「それにしても、好きだなぁ~」
俺は参考書から美晴の方へと目を向けた。
「そうか、知らなかったよ」
「何が?」
「まさか俺と一緒の気持ちだったなんてな」
「え、え、え?」
いきなり美晴は辺りをキョロキョロと見回した。どうしたんだ? こいつは。
「長い付き合いだからって目を背けていた」
「ちょ、ちょっと! いきなり、そ、そんな真剣な、こ、声を出さないでよ!」
どうして美晴は動揺しているのか、よく分からなかった。
「そりゃあ、俺も好きだよ」
美晴は大きく目を見開いた。俺はお茶を一度口にしてからさらに続けた。
「どら焼き」
「……へ?」
美晴の目が一瞬で細く、睨んでいるような目になったのが分かった。
「美晴、実はどら焼きが大好きだったんだな。知らなかったよ。ほら、もう一個食べていいぞ、どら焼き」
俺はテーブルの上に置いてある皿を美晴へと押し出した。
「あ、ありがとう……」
美晴はそう言ってどら焼きを手にとった。そして何かを呟きながら、俺との目線を外してどら焼きを食べ始めた。
「じゃあ、また来るわ」
「今度は私が店にいるときに来なさいよね」
「余計なもんでも買わせるのか?」
「当たり前よ!」
「おお、怖い怖い」
俺は逃げ去るように店を後にした。
~その後~
少し背中を伸ばしたとき、今日のことを俺は思い出していた。
「それにしても、あの言葉、どら焼きでいいんだよなぁ~」
俺はあの瞬間の美晴を思い出す。
「……そりゃあ都合よく解釈しすぎか」
俺は参考書の問題を解くために、もう一度集中を高めようとした。
~その後 2~
「ああ、もう! 好きって言っちゃったけど、あいつにはばれてないよね! うん、きっと大丈夫! 勉強ができたって、こういったところでは頭は働かないから!」
一人、ベッドの上で悶える美晴の姿がそこにはあった。
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