現実
「お父さん、私、彼を放っておけない……」
やはりな、とアビゲイルは思った。娘が何を言うか当てるなど、父にとっては造作のないことだった。
アビゲイルは、目に涙を浮かべんばかりの娘を見つめ、ゆっくりと口を開いた。
「アルテイシア、彼は記憶を失ってはいるが、間違いなく一般人ではない」
「……どういうこと?」
「お前が彼をここに連れてきた後、私は彼の体を見た。彼の体には、数え切れないくらいの古傷があったんだ。体は引き締まっていて、無駄がない。つまり私が思うに彼は、軍人だ」
アルテイシアは沈黙した。しかし驚いたり、ショックを受けた様子はなく、むしろ決意を固めた顔をしていた。
「だったらなおさら、彼を助けてあげたい。 記憶をなくしたのは、彼にとって不幸な出来事だったかもしれない……。でも彼は、ずっと傷ついてきたんでしょう? 平穏の中に生きる時間があってもいいはずよ……。せめて彼の記憶が戻るまで、ここでーー」
アビゲイルの険しい顔を見て、アルテイシアは口を閉じた。
アビゲイルとしても、記憶をなくし、ボロボロの男を見捨てたいとは思っていない。だが彼は、元軍人の男が″ここ″に留まることになった先のことを考えると、簡単に了承はできなかった。
「アルテイシア。私には2つの未来が見えている。1つは、彼を回復させた後、3グループのいずれかの国の軍隊に送り出すことだ。今は戦争中だ。仮初の平和は終わった。軍備増強以外の名目で余所者を受け入れるところはないだろう」
アルテイシアは首を横に振って、何も言わなかった。
「……そしてもう一つは、ここ″ユーリ機関″の専属兵士となって、機関のアピールをしてもらうことだ」
この言葉を聞いて、アルテイシアは初めて驚愕した。
「そんな……! 彼は、私達とは何の関係もないのよ!? その彼を、私達が生きていくための道具にするの!?」
「アルテイシア。ユーリ家は代々、兵器の開発を生業としてきた。各国独自の軍事技術が飛躍的に向上してきた今、私は機関の価値を示さねば世に無用とされ、生活を支える金や食糧の支援は止められるだろう。現に兵器の注文は減ってきている。それに伴って、お前が思っている以上の勢いで、機関は困窮していっている。新しい″GWS″の試作機も完成した。これが機関にとって、ユーリ家にとって最後の頼みの綱なんだ」
アビゲイルが話し終える頃には、アルテイシアは涙を堪えられなくなっていた。
「私は……! そんなことの、ために……彼を、助けたわけじゃないのよ。この時代に翻弄されて、むざむざ死んでいって欲しくなかった……。それだけなのに、なんで、こんなことに……。何か別の道があるはずよ!」
「私達が生きていくためにはそれしかないんだ!お前と生きていくためには、そうするしかないんだよアルテイシア!」
アビゲイルは、アルテイシアよりも大きな声で怒鳴った。叱ったわけではない。彼は情けなさ故に叫んでいた。
自分達が危機に瀕していることを、彼女は正しく理解した。自分達が生き残るためには、彼に縋るしかないことも理解した。しかし受け入れられなかった。アルテイシアは父親をど突き、自分の部屋へ走っていった。
残されたアビゲイルはしばしその場に立ち尽くし、男がいる部屋のドアを開けた。