第7章 もう1つの眼
カナがいつか味わった猛吹雪と巨木が壁に激突したかのような轟音が鳴り響く中で聞こえた、その切羽詰まった声は確かにヒロトのそれであった。
ヒロトの声を放つ異形の者は、カナ達のいる集落への侵入を試みる何者かの動きを拒むように、18本の帯のような腕を四方八方へ広げながら仁王立ちをしている。
そしてカナはその腕と腕の隙間から、こちら側へ侵入しようとしている者の正体を見てさらに驚愕する。
「な、なんでこの家の前に“オニ”が!?」
「なるほど、この衝撃の元凶はヤツか!」
テヰコも確かに“オニ”がそこにいることを確信し、無意識のまま戦闘体勢をとる。しかしそれよりも早く行動に出た者がいた。
「テヰコ、カナを頼む!」
そう言いながら、背中におぶられていたカナをテヰコに託し、ヒロトらしき者が展開する壁へ向かっていくジュン。そのまま壁の上部へ向かって跳躍―蒼い遺伝子を解放。カナとテヰコが驚き声をかける間もなく、ジュンの身体が燈色の光を纏う。
「俺も行くぞヒロト!“梵剣”!!」
ジュンがその右手で巨大な蒼い大剣を握りしめながら、壁の反対側を上から見下ろす。そこには銀の長髪を携え、その両手で握る蒼い長刀で壁に風穴を空けんと突きの構えをとる“オニ”の姿があった。
「今度こそ、あの時の借りを返してやらぁ!!」
「―!」
“オニ”がジュンの姿に気づいた時には、既にジュンの大剣の先が怒りに燃えるジュンの姿と共に眼前にあった。
しかしそれは寸前で“オニ”に到達するに至らなかった。ジュンの視界に突如眩い光が展開され、ジュンの動きを封じる。
「うぅ!?な、なんだこの光は―!?」
「どうしたのだ、ジュン!?」
どうやら、ジュン以外の者には異変の正体が見えていないようだ。唯一その姿を見て動揺するテヰコをさしおいて、ジュンの頭の中で謎の声が語りかける。
(貴様は、何の為に剣を振るうのか?)
「!?誰だ!!」
ジュンは失われた視界の中で梵剣を握り直しながら叫んだ。謎の声が再びジュンの脳裏に響く。
(貴様が信じるべき道は、そこにはない。)
「るせぇ!他人に俺の正義を否定される筋合いはねぇ!!」
(決して間違えるな、貴様は剣を振る為の存在ではない。)
謎の声は、ジュンに対し不可解な言葉を投げ続ける。そして―。
(貴様が真実の一部となる為に、“貴様自身が剣と成れ”。)
その最後の言葉と共に、ジュンは視界を取り戻し、地表にその両足を着く。その瞬間、立位を保てなくなるほどの疲労感がジュンを襲う。それは猛吹雪による寒さのせいであると同時に、蒼い遺伝子の発現に対する代償であった。
―
「くっ…、何だったんだ今のは―。」
ジュンが膝立ちのまま辺りを見渡すと、またも既に“オニ”は吹雪と共に消え去っており、ジュンと同じように疲労感で片膝を着くヒロトの姿のみがそこにあった。その向こうからカナの声が聞こえる。
「ジュンお兄ちゃん、もう“オニ”はいないよ!大丈夫!?」
テヰコの身体から降りたカナが“びっこ”を引きながらジュンのもとへかけてきた。ジュンの家からその位置まで10mもないのに、カナは全身雪まみれの状態でいた。それほど強い吹雪が先ほどまで吹いていたということだろうか。
「ヒロト…なのだろう?しっかりしろ!」
テヰコは間違いなくヒロトであるヒトの肩を持っていた。しかしその巨体は並みのヒトが単身で支えられる重量ではない。吹雪による低温がそこにいる者全ての体力を奪っていく中、テヰコも例外ではなくその場で立っているのがやっとだった。それに気づいたジュンは既に行動に移っていた。
「…俺が持つ。」
「―ジュン!?君も無理をするのでは―。」
「俺が持つって言ってんだ!!!」
テヰコの制止を怒号と共に振り払うジュン。カナがそれを聞き思わず飛び上がる。しかしテヰコは冷静にジュンに言葉をかけ続ける。
「…ジュン、君はあの時“オニ”と何を話していたのだ?」
テヰコに代わりヒロトの肩を持ち、自分の家に向かうジュンの足が一旦止まる。
「…あいつは“オニ”じゃねぇ。」
ジュンがカナとテヰコの方へ振り向く。
「…“オニ”なんかより、もっと不愉快なヤツだ―。」
その顔は、自分たちの生命を脅かし否定する者達へのかつてない怒りと憎しみにあふれた、ジュンの激昂寸前の表情であった。
―
ジュンがヒロトの肩を持ちながら家の中へ入ると、2・3歩進んだところでついにその重量に耐えられずにバランスを崩し、2人はズシンという鈍い音とともに倒れた。
「―ジュン!ヒロト!大丈夫か!?」
ジュンがその身体の2倍はあるヒロトの下敷きになるかと思いきや、ジュンの左腕が家の入口のドアノブに引っかかったおかげで先にヒロトが倒れ、その上に覆いかぶさるようにジュンが落ちた。その後2人の口元から寝息が聞こえ始めた。
「…2人とも体力を使い果たしたのだろう。」
テヰコが2人の寝顔を見て、やっと安堵の表情を見せる。そのテヰコの背中の上からカナが声を出す。
「ヒロトさんが、ジュンお兄ちゃんを“オニ”から守っていたんだね。」
「…そうだな。しかしまさか、ヒロトまで“蒼い遺伝子”を発現していたとは…。」
テヰコは驚きつつも、何かを思い出したかのようにその場でくすっと笑う。
「…2人とも、不器用で、素直じゃなくて、とても熱いヒトだったのだ。」
そんな穏やかな雰囲気も束の間、テヰコはその身体についた雪と共にカナを降ろし、今回の出来事の不審な点を挙げる。
「さて、なぜこの町―もとよりこの家の前に突然“オニ”が現れたのだろうか…。」
ジュンとヒロトが住むこの集落には、数年前にテヰコも住んでいたことがあり、その地理と地域性は彼女も理解していた。
「この集落はニホンカイに近い人里の中でも、吹雪による視界の悪さや山地による高低差で外部のヒトにはそもそも見つけられず、近づきづらい土地柄だ。いくら“オニ”とはいえ、そう簡単に侵入できるほど防御が甘いところではない。」
カナがその言葉に対して言及する。
「でも、“オニ”はあたし達のいる場所を完全に当てて、ここまでたどり着いたよ?」
「そこが最も不可解なことなのだよ。」
テヰコが腕を組みながら考え込む。
「まず、今回の件とカナちゃんのその本の文面や挿絵から確信した。ヤツも間違いなく、私達3人と同じく“蒼い遺伝子”の発現者の1人だ。そしてヤツが、ここに私達がいるのが偶然ではなくわかっていたモノだとすると、それはヤツの正体がこの辺りの地理に富み、且つ発現者である私達のことを知る者であることになる。さらに悪いことに、ヤツは何らかの理由により、自身以外の“蒼い遺伝子”を持つ者を排除しようとしている。」
テヰコの考察に納得するようにコクリとうなずくカナ。恐怖と寒さにその小さな身体を震わせながら、古本の表紙を右手の人差し指でなぞるようにこする。
「…もしこの本に書いてあることや絵が本当なら、発現者は“少なくともあと3人はいる”ってことかぁ…。」
(あと3人―?)
「…はっ!!」
カナの言葉をきっかけに、テヰコは先ほどのジュンの言葉を思い出し、首を横に振りながらもう1つの答えを出す。
(“オニ”なんかより、もっと不愉快なヤツだ―。)
もしあの時ジュンに語りかけた者が自分達の敵であるとするならば、それは“オニ”とは違う存在であり、且つ“オニ”と共謀している者である可能性が高い―。
事態が深刻化していることに気づき始めたテヰコが息を飲み、カナにそれを告げる。
「…カナちゃん、私達は既に“もう1人の発現者”に監視されているのかもしれない―。」
続きます。