第5章 眼と剣と壁と
―かつてこの黄金の国には、自らをヒトの王と名乗る者が存在していた。
彼は王になるためには手段を選ばず、時には●●を、そして●●を、さらには●●の●までも捧げることで、ヒトが生物として本来得ることのない●●の力を得た。
その結果世界の秩序は全て崩壊し、太陽と月が砕け散り、空と大地が凍りつき、唯一永遠と思われていた●までも止めてしまった。
彼はその大罪の罰として、古よりこの地を守護していた者達によってその身体と●を1●に切り離され、その破片の全てを広大な大地の至るところにばら撒かれてしまった―。
「―ということが、この頁に書いてあるんだよ!」
「こんな見たことも聞いたこともない言葉をよく読むことができるな?カナ。」
「考古学者の私でも全く理解することができなかったのだから、本当に感服だよ。」
ただただカナの能力に感心するテヰコとジュン。しかしそれでも首を横に振るカナ。
「…でも、ところどころで消えて抜けている文字は全然わからないの…。」
(確かに、空白の部分はほんの少し数える程度しかないが、話の要点ともなりえそうな部分でもあるな。文字が消失しているのには、何か人為的なモノが感じられる…。)
テヰコが謎の御伽話について考察を始めようとすると同時に、バタンと音をたてて古本を閉じたカナの少し残念そうな表情が見えた。その瞬間、テヰコはハッと我に帰る。
「そんなことはないさ。よくここまで読み解くことができたものだ。なぁジュン?」
テヰコの言葉に大きく頷くジュン、その上ではカナが「落ちる落ちる!」と笑っていた。
「…そうだな、この点については素直にテヰコに賛同するよ。」
テヰコはジュンの言葉を聴いて右眼を大きくし、驚嘆の声を上げた。
「私の意見がジュンと一致するとは…、明日はきっと猛吹雪だな。」
「もう既に吹雪いているじゃねぇか!」
カナが2人の漫才を聴きながらケタケタと笑う。
「やっぱり2人は仲が良―。」
「「そんなことはありえない!!」」
2人は完璧にシンクロした。
―
「さぁ着いたぞ。」
一行がしばらく穏やかな雪道を進んでいくと、ジュンがつぶやく。
ハッとなったカナは、彼の頭の上で両眼をこすりながら前方を確認する。テヰコの家に似た、レンガの家が幾つも並ぶ集落が目の前にあるのを見て驚く。
(いつの間に、こんな町の近くまで来ていたの…?)
呆けていたわけではないが、つい先ほどまでは人里の影すら確認できなかったのに、その集落はカナにとって灯りのようにパッと現れたように見えた。
そして、その集落の遥か南側―今のカナ達から見て左手側には、あの巨大な氷の壁がやはり屹然と立ちそびえていた。
集落の最も外側に位置する1つの小さな民家の前で、一行は歩みを止めた。
「―ここが俺の住む家だ。」
ジュンがそう言いながら、木製のドアを押し開く。
「ぐおぉぉぉ…。」
その先にはテヰコとジュンのよく知る巨大な先客がベッドの上で豪快なイビキをかいて寝ていた。
「ヒ、ヒロト!?相変わらずだな…。」
「こいつまた勝手に他人の家に上がりこみやがって…。」
「え!“これ”ヒトなの!?」
さりげなくカナが最もヒドいことを言う。
「まぁ一応な。とりあえずイビキがやかましいから、せめて布団を被せておこう。コイツ1度寝始めるとテコでも動かないからな。」
「異議なし。さっさと封印しよう。」
犬猿の仲であるテヰコとジュンがまたも息を合わせる。
ジュンはまずカナを荷物と一緒にソファの上に降ろし、ヒロトと呼ばれた“物体”の上に何枚もの布団を被せ始める。その後テヰコはジュンが被せた布団を微調整することで音漏れの軽減に努める。
その結果、3人は居住スペースの一部を犠牲に静寂を手に入れた。
「―さて、ようやく安心して腰を下ろす機会を得たわけだが…。カナよ、これからどうするつもりなんだ?」
ジュンがベッドからはみ出ているヒロトなる人物の腹を背もたれに座りながら、ソファの上にいるカナに問うた。
「うん…、その前に2人に訊きたいことがあるの。」
カナはまたも不安げな表情でテヰコとジュンの顔を見つめる。しかし2人はカナが自分たちに何を問おうとしているのか、既にわかっていた。
「さっきは突然だったし、興奮していたから詳しく訊けなかったんだけど、2人ともどうして“あんな姿”になれるの?」
とても普通のヒトにできることではないあの燈色のオーラの発現を、カナに忘れられるわけがなかった。
カナが恐る恐る2人に訊くと、ジュンが目でテヰコに「お前から言ってくれ」と訴えた。テヰコもやはりといった感じで、暖炉で燃える薪を背に話し始めた。
「カナちゃんは、“蒼い遺伝子”というモノを聴いたことはないかい?」
初めて聴く言葉に、カナは首を横に振る。
「ううん、それにこの本にもそんな言葉載ってないの。抜けているだけかもしれないけど…。」
テヰコが続ける。
「私の研究によると、どうやら現存する数少ないヒトの中には、その謎の“蒼い遺伝子”を持つ者が極まれにいるらしいのだよ。」
「“蒼い”…?」
「もともと遺伝子というモノは、簡潔に言うとそのモノを形作る為の設計図のようなもので、私達ヒトの身体も両親から受け継いだ遺伝子という設計図に基づいて見た目や本質が決められているのだ。ここまではいいかい?」
カナが自信なさげに頷く。
「そしてこの“蒼い遺伝子”というのは、両親から受け継がれる一般的な遺伝子と違い、それを持つ者が1度ある条件を満たさなければ発現することすらない。極まれにしか見つからないと言われるのは、その特徴に由来しているのだ。よって仮に現存するヒト全てを同時に調べる機会があったとしても、“蒼い遺伝子”を刺激する何らかの条件が満たされない限りは全て見つけ出すことは不可能なのだ。」
そこまで話すと、テヰコはその場で立ち上がった。
「しかし、そこで過去に偶然にもジュンと私はその条件を満たす機会と、そもそも自分達が“蒼い遺伝子”を所持している事実の両方を得ることができた。さらに発現の条件には共通点があることもわかった。」
テヰコが右手を胸に当てながら宣言する。
「―それは生きたいと思う“感情”の高まりだ。これだけ聴くと大雑把で説得力に欠けているかもしれない。しかし生物学的に見たヒトの脳の中には、感情をコントロールする前頭葉が存在しており、おそらく“蒼い遺伝子”はこの前頭葉と密接な関係にあると考えられている。そして発現の条件となる“生きたい”という感情―これはすなわち自らが生命の危機にさらされた時や、自分の生命を脅かすモノへの怒りや憎しみを蓄積させた場合に起こりうるということなのだ。」
カナはここでテヰコの話を精一杯要約した。
「えっと…、つまりテヰコお姉ちゃんとジュンお兄ちゃんは、昔死にかけるような危ない目に遭うことがあって、その時にあの不思議な力のおかげでその場を乗り越えたってこと?」
「―そうだな、大方間違いではない。」
今まで腕組みをしながら沈黙を守っていたジュンがボソッとそう言った。
「俺には考古学だの生物学だの難しい話はわからんが、少し前にこの地域が強烈な寒気と猛吹雪に飲み込まれそうになることがあったんだ。地域の治安を守る者として相手が大自然だろうが関係無しに、俺は吹き荒れるニホンカイへ出向いた。…今思えば無謀な決断だったな。確か、あの時はテヰコにみんなの避難を支援してもらったんだよな?」
「―そうだったな。私はジュンも壕に避難するように言ったのだが、あの時のジュンは『犠牲になるのは俺1人で充分だ。』と聞かなかった。」
カナが恐る恐るジュンに訊ねる。
「ジュンお兄ちゃんは…、あの氷の壁を生み出すほどの津波が恐くなかったの?」
「―ん、まぁな。いや、あの時はそんなことを考えられるほどの判断力がなかったんだと思う。カナは絶対に、こんなことするなよ?」
ジュンはその右頬を人差し指で掻きながら、何気なくカナに忠告をする。
「それで俺はニホンカイに来たのはいいものの、その光景をみて唖然とする他なくてな。…海岸から陸地に向かって幾つもの巨大な亀裂ができていて、そこに凍りついた海水が浸入してきていたんだ。亀裂に潜り込んだ海水は猛吹雪による圧力がかかって、その亀裂をさらに押し広げ…、その悪循環の先は俺らの住む町に向いていた。」
テヰコはそれを聴きながら、「今でも本当に恐ろしい…。」と呟き、カナは背筋をブルッと震えさせる。
「しかしその亀裂の進みを見ている間に、俺の中にやり場のない怒りがこみ上げてきてな。その時いつの間にかこの右手には巨大な剣が握られていて、何の疑問も感じないままそれを亀裂に向かって振り下ろしていた。―するとそこには俺のと同じような感じの長刀を構えた“オニ”が、俺の一振りを防いでいたんだ。俺はヤツを見た瞬間、この亀裂はヤツの仕業だと確信した。根拠はないが…。」
ジュンはここまで話すと、その頭を垂れる。
「だが…、ヤツは強かった。たまたま剣術の心得があった俺の攻撃は全然当たらず、むしろヤツの素早い攻撃に俺は防戦一方の状態に追い込まれた。」
ここでテヰコが口をはさむ。
「そうだった。私がなかなか壕に来ないジュンを探しにそちらへ向かった頃、丁度ジュンは謎の乱戦の真っただ中だったのだ。」
「実は…その先の記憶がほとんどなくてな。テヰコも来ていたのか?」
テヰコがジュンの記憶の続きを語り始める。
「私が走りながらどんなに叫ぼうとも、吹雪に掻き消されてジュンには届かなかったのだろうな。そして私が現場の近くで最後に見た光景は、ジュンの防御を崩した“オニ”がその長刀でジュンの腹部を貫こうとする瞬間だった。」
カナが「ヒッ!」と両手で顔を覆う。
「その時の私にはジュンのような能力の発現はなかったから、どちらにせよもうダメだ…、と流石にそう思った。が、その後妙な光景が目に映ったのだ。ジュンの身体の前に青白く薄い壁のようなものが張られていて、“オニ”の攻撃を完全に遮断していたのだ。その後も壁はその場で倒れ込んだジュンの身体を保護し続け、“オニ”は諦めたのだろうな、私の存在に気付く前にその姿は吹雪と共に消えたのだ。」
―
テヰコの補足が終わると、ジュンの後ろで封印されたはずの物体がモゾモゾと動く。
「…やっと起きたか?」
起き上がったその物体は、ジュンを約2倍、テヰコを約2.5倍、カナを約5倍に拡大したかのような巨漢であり、ヒトであった。
「君か!ボクの上にこんなに布団を被せたのは!おかげで、テヰコの料理を無理矢理食わされながらニホンカイで溺れる夢を見せられたじゃないか!?」
「勝手に他人の家に上がり込んだ挙句、普通のヒトなら3人分は確保できる居住スペースを占拠し、おまけに騒音までたてられた身としては、この程度の制裁は慈悲に等しいと思うんだが?」
家主のジュン以上に、本来そこにはいないはずの人物が右眼を光らせて怒りを表していた。
「…恵美ヒロト。私の料理が何だと言ったかな?」
その声を聴き、一気に血の気が引く巨漢。
「そ、そうそう!あんな食べ物ではない何かを―って、テ、テヰコ!?なぜここに!?…あれ、それとこの可愛い女の子は!?」
「そんなに私の料理が美味かったのなら、ここまで来るために作ってきた弁当の残りを分けてあげようではないか!」
そういうや否や、テヰコはカナが座っているソファの上に置いてある荷物から、握り飯“のようなもの”を3つ取り出し、ヒロトと呼ばれた巨漢の口に突っ込んだ。
「頼むテヰコ!い、命だけは―、モガ、モガガ!?」
ヒロトは一瞬で白目を向き、沈黙してしまった。テヰコはその様子を「フフフッ。」とモルモットを見るような目つきで観察していた。
「そう言えば…、カナはここに来るまで何を食べていたんだ?」
ジュンがふとカナの耳元でそんなことを言い出す。
「もうほとんど尽きちゃったんだけど、テヰコお姉ちゃんと2人でいた時までは、あたしの家から持ってきた缶詰の残りを食べていたよ!あとお水。」
それを聴いたジュンが、カナの頭の上に右手をポンッと置く。
「…大正解だ、カナ。あと、命は大事にしないとダメだからな。」
「?」
そう言ったジュンの両眼にはうっすらと涙が浮かべられていた。
続きます。